お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2020年3月23日月曜日

ローマ トラヤヌス帝の市場と広場


完璧な半球ドームができたのは、ハドリアヌス帝(117-138)の頃に再建されたパンテオンにおいてであった。その前の皇帝トラヤヌス(98-117)はどんな建物を建設したのだろうか。
『世界美術大全集5 古代地中海とローマ』は、トラヤヌス帝はローマ市で大規模な公共建築を建設したが、そこには伝統的な建築へのこだわりと新しい建築への挑戦という二つの面が錯綜して現れている。この両者を端的に示すものが隣接して立つトラヤヌス広場とトラヤヌス市場である。しかも、この対照的な二つの建物をシリアのダマスクス出身のアポロドロスという一人の建築家が担当したという事実は、当時の建築の拡散性と流動性、またそのインターナショナル化を示すものであるという。
半円状の市場の左上に建てられた長方形平面の建物が大ホール。

11月4日通り(Via Quattro Novembre)を歩いていくと、赤いレンガの壁が見えてくる。
これがトラヤヌス市場の現在の入口。修復されたようで、トラヤヌス帝期のまだ不完全な交差天井が見られるか心配。

入ったところが大ホール。
同書は、半円状に並ぶ2階はワインやオリーヴ油などの物資の倉庫であったとみられる。これらの物資は、その北側に置かれた連続する6つの交差ヴォールトのホールの両側に6部屋ずつが2層に並ぶ建物で、その他さまざまな食料品などとともに、市民に無償で配給されたと考えられるという。
実はこの交差ヴォールトが見たかったのだった。80年に完成したコロッセオに、通路の天井に交差ヴォールトが使われていたのを見ていたのだが、100-112年頃に建造されたこの建物の交差ヴォールトが、同書の図版ではどうも不完全なものに見えたので、それを確かめたかったのだ。
白黒の図版からは、長年放置されて傷みのある薄暗いホールに見えたが、実際は光が入り込んで明るかった。
一つの補強アーチの中に大理石の枠の店。その上の四角い窓は明かり取り?
配給所?の平面図(非常時の避難経路図より)
同書は、トラヤヌス市場の中庭でアティックに人像柱を用いる手法はアウグストゥス広場からの借用であるという。
大ホールの奥にアウグストゥス広場出土の女人像柱(カリアティード、型取りした石膏)の巡る柱廊の遺構が置かれていた。
市場の出入口から出て左へ、
大ホールの西側にも店舗の並ぶ通りがあった。修復されたビベラティカ通り(Via Biberatica)だが、『inside IMPERIAL ROME』の復元図によると、2階には外廊下があり、それを店舗の楣石から持ち送って造った(ちょっと曖昧になっている)アーチが支えている。
その先で通りを外れ、階段を降りてマニャナポリ通り(Via Magnanapoli)を行くと、
トラヤヌスの記念柱が見えてきた。
それはモエシア属州でのダキア戦争での勝利を記念して、戦争の様子を浮彫にしたもの。






台座にも盾を持ち、兜を被った兵士たちが浮彫されている。

記念柱はトラヤヌス広場に立てられ、広場は現在の地面より低いので、見下ろして見学する。
トラヤヌス広場はフォルム・ロマヌムの北東側に後113年に完成し、一連の『諸皇帝の広場』のなかでも最も壮大かつ壮麗なものであった。中庭(中央にはトラヤヌス帝の騎馬像)をもつバシリカ、二つのアプシス(突出した半円部)をもつバシリカ、トラヤヌス記念柱、トラヤヌス神殿が中心軸上に並び、付属するラテン語とギリシア語の図書館とともに、完全な左右対称を成して整然と配置されている。仕上げはすべて大理石を用い、建築オーダーを最大限に活かした外観を成している。このフォルムにみられる大理石による建築オーダーの活用、壮大さ、強烈な軸線と左右対称性によって各建物をまとめあげる構成力は、まさしくパレストリーナのフォルトゥナ・プリミゲニア神域などを通じてヘレニズム期以来受け継がれてきたローマの建築伝統である。この伝統は同じトラヤヌス帝時代に再建されたカエサル広場でも強固に保持されているという。

ガイドさんの持つ想像復元図と
現状
全てに大理石が使われたというのに、現在のこっているのはこの程度。
遺跡は広大なので、途中に通路が設けられて、そこから見下ろして見学する。

次の通路より、トラヤヌス市場を眺める。
同書は、トラヤヌス市場は新しい建築造形と意匠に対する試みである。巨大な半円状のアプシスには3層に店舗が並び、その背後に3、4階建ての店舗が新しく造られた街路に沿って立ち並んでいる。建築意匠上の大きな特徴はコンクリートの特性を活かしたヴォールト天井やドームを用い、多層にわたる店舗を造りだしていることである。さらに大理石による古典的な建築オーダーで仕上げられたトラヤヌス広場とまったく異なり、煉瓦で仕上げと、大理石による建築オーダーをほとんど用いることなく半円形やヴォールト天井などの形態による力強さで全体をまとめあげている点に新たな建築の方向性を見出しているという。
この半円状に凹んだ市場の手前側には、トラヤヌス広場のアプシスが半円状に突き出ていたので、半ドーナツ状に通路があった。
店舗の枠は大ホールと同様に大理石を使い、
階段も大理石が被せてある。

通路の右はトラヤヌス広場と記念柱
左にもトラヤヌス広場は続いている。
フォリ・インペリアリ通りに出ると、トラヤヌス広場の向こうにトラヤヌス市場の建物全体が見える。
同書は、この市場は複雑な平面および立面をなす一種の建築複合体で、大きく5つに分かれ、最も下の床面から最高部まで約35mの高さがあり(5、6階分相当)、少なくとも170以上の部屋が配置されていた。これらの部屋は単なる個人経営の店舗ではなく、むしろ帝国の行財政関連の事務室、それに関係する商人たちの事務室兼店舗、銀行、帝国所有のさまざまな物資の倉庫あるいはそれらの商取引を行う場所として使用されていたとみられ、後2世紀以降のローマ帝国の経済活動の中心的役割を果たしていたとみられるという。

トラヤヌス広場には、屋根の架かった発掘あるいは修復中の箇所もあるので、
それを見ようと思ったが・・・坐っている人たちや通っている人たちで近寄れなかった。
?坐っているのはヒトではなかった!
トラヤヌス市場をバックにトラヤヌス帝の銅像

隣接するフォロ・アウグスト(アウグストゥス広場)右端の列柱は、
マルス・ウルトル(復讐のマルス)神殿で、フォロ・アウグストはその東側にも続いている。
男前だったというアウグストゥス帝の銅像
古代の建物の遺構と中世の建物、そして現在のローマ人が生活する建物が混在するローマ。
前回に来た時は、せっかく3日間使えるローマ・パスを使って、バスで移動するつもりだったのに、デモでバスが来ず、この辺りは雨の中を歩き回った。でも、そのおかげでローマは歩いて回れる街だとわかったのだった。

ローマ トラヤヌスの浴場

関連項目
トラヤヌスの建造物 交差ヴォールトと半ドーム
参考文献
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」1997年 小学館
「inside IMPERIAL ROME」 2012年 VISION ROMA