何故か縦に撮した写真がないので、切り立った岩山ということが伝わらない。
フランス・ロマネスク散策 Balade dans l'Art Roman en France のエギル Aiguilhe (以下ロマネスク散策)は、エギルの岩は、はるか昔より聖地でした。教会堂の基礎に使われている3つの巨大な石は、ドルメンであるようです。古代ローマの人々はそこに、メルクリウスを祀った神殿を建てました。
10世紀、ル・ピュイでペストが猛威を振るう中、ル・ピュイ大聖堂の参事会員Truannusがル・ピュイ司教ゴドスカルクに、礼拝堂の建設を願い出ます。そこで司教は、大天使ミカエルを祀った礼拝堂をエギルの岩の頂に建設させ、礼拝堂は961に聖別されました。11世紀、礼拝堂は修道院となりましたという。
ケルトの時代からの聖地だったものに、古代ローマの神殿が建ち、さらにキリスト教の礼拝堂が建てられた。
途中にこんな浮彫が。日本の石仏のよう。
岩の腰壁がない、あるいは崩落した箇所では、
そして見上げると
途中から眺めたルピュイ郊外
細い鉄の棒だが、捻ってあり丈夫。前を行くのは現地ガイドさん。かなりの年配だが、脚は達者。
もう少し、
もう少しと自分を鼓舞する。
この踊り場から右に向くと、サンミシェルデギュィユ礼拝堂の正面(南東方向)が姿を現した。
ロマネスク散策は、教会堂への入り口は、南東に位置します。
下界へと降りていった。
石垣には苔や草がたくましく生えているし、
この黄色い十字花もあちこちで咲いていた。
ここのくぼみは石材を切り出したもののように思う。
礼拝堂から南の方角にあるノートルダムデュピュイ司教座聖堂へ。
その岩峰をくねくねと登っていく。
ロマネスク散策は、サン・ミッシェルは、高さ82m、周囲57mのエギュイユの岩の首の頂上に建てられました。周囲は Chemin de ronde と呼ばれる曲がりくねった歩道に囲まれており、268 段の階段を登りますという。
曲がりくねった階段の途中に、かつて3つの祈祷所がありました。このうち、岩の麓にあった、大天使ガブリエルを祀った祈祷所の遺構のみが残ります。大天使ラファエロを祀った祈祷所、Guinefort祈祷所は消失しました。
ロマネスク散策は、サンミッシェルへの螺旋階段には3つの礼拝堂があり、そのうち岩のふもとにある大天使ガブリエルに捧げられた最初の礼拝堂の遺跡だけが残っています。2番目は大天使ラファエルに、3番目の聖ギネフォールに捧げられた礼拝堂は消失したという。
ところどころに岩が掘られているのに気がついて、きっと石段を積むためにここから掘り出したのだろうと思ったが、
ロマネスク散策は、岩山には複数の小さな洞穴があり、ここにはかつて隠者が住まっていたとされるという。プロスペール・メリメが「珠玉の傑作」と評したこの南東のファサードでは、色石を菱形に積んだモザイク装飾と、三葉のアーチが見られます。近隣のル・ピュイのノートル・ダム大聖堂同様、エギユの教会堂でも、モザラベ建築またはオリエントの影響が見られますという。
ファサードにはいろんな装飾が施されている。これについては後日忘れへんうちににて
入口の上には神の右手が。その手に導かれて礼拝堂に入っていった。
内部も驚きがいっぱい。身廊や後陣はどこなのか、変則的な構造のため迷ってしまう。
建築家A.マレ l'Architecte Mallay による礼拝堂の平面図(Wikipèdiaより)
壁際の周廊には木製の腰掛けが並んでいたり、
交差天井も不規則な平面に合わせて入り組んでいた。
そんな礼拝堂の奥隅には竜を退治する大天使ミカエルの像を祀る浅い壁龕がある。
柱頭彫刻やフレスコ画については後日、忘れへんうちににて。
再び外に出て、礼拝堂の外側を一回り。
この礼拝堂と同じような岩山の上に作られた聖母子像。そして下にはノートルダムデュピュイ司教座聖堂。
左から鐘楼も十字交差部のドーム、南翼廊、そこから西にのびる長い身廊。その手前の奥に長い高い建物は石落としの建物と呼ばれているものらしい。
ロマネスク散策は、教会堂の北西に聳える鐘楼は、ル・ピュイのノートル・ダム大聖堂の鐘楼をモデルに12世紀に建てられました。
鐘楼は落雷により1245年に崩壊し、14世紀にオリジナルと同じ姿に再建されました。そして19世紀半ばに建築家マレにより修復されましたという。
遠くから眺めるのと、上の方を見上げるのとでは見え方が大分違う。
この鐘楼は、後陣のやや北よりにある。浅い扶壁 contrefort によって補強されている。
内陣 choeur のある辺り。
もう一度礼拝堂のファサードを見て、
ここのくぼみは石材を切り出したもののように思う。
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参考サイト
WikipediaのL'Église Saint-Michel d'Aiguilhe