佐藤悦成氏の寺院遺蹟についての調査報告の「中国仏教と破仏」は、大仏寺は貞観2年(628)に尉遅敬徳により創建され、石窟は760年頃に開窟されたといわれるから、当初は本尊としての大仏窟と殿楼のみであり、千仏・羅漢の両洞はなかったことになる。寺前の道路下は涇河の河川敷であり、河岸の岩山を穿って大仏殿は建立されている。道路脇の大仏寺文物管理所から殿楼へ昇れば、正面右に羅漢洞、左に千仏洞が位置し、両窟内とも多数の仏・菩薩・神将・天人が雕られている。羅漢洞は四窟構成であり、千仏洞は三窟により成立している。両窟の諸像とも破仏の影響を受けて、頭部ほかいずれかの部位を欠いているという。
大仏窟は初唐期(608-712)、千仏洞・羅漢洞は盛唐期(712-765)も終わりに近い頃に開鑿された。
その一つ
主尊は釈迦如来で蓮弁のみごとな台座に結跏趺坐する。両手は長い袖に包まれて見えない。
その両側にはおそらく十大弟子の最年長の迦葉と最年少の阿難。通常は迦葉が釈迦の左肩に、阿難は右肩に置かれる。
その位置については敦煌莫高窟第五十七窟南壁説法図(初唐期、608-712)を参照のこと
龕は曲面になっている。
左端は中心柱の角。蓮台に坐す如来との間に3体、向こう側に4体の菩薩や金剛力士像などが並ぶ。その小さな龕の斜め下には獅子が彫り出されている。
北廊の北角には単独の如来像。そして出入口に近い東壁には小さな龕に独尊像や三尊像。
おそらく宋時代の三尊像
続いて北廊から見えていた仏五尊像
中央の大きな反花の台座に結跏趺坐する仏は、大衣の襟が右前になっている。
両側はやはり迦葉と阿難像だろう。
五尊像の右上に千仏が区画の中に浮彫されている。仏立像 唐・宋
東廊の南端に仏立像の龕があり、その両側には小さな龕が並んでいる。
南廊がないので、中心柱ではなかった。
このあたりが宋時代というのは、北宋時代(960-1127)だけ。
関連項目東廊西壁
菩薩立像
大仏窟の上の丈八寺
『彬縣大佛寺』は、大仏窟から西に100mの、石窟が8つ並んだところにある。その主窟は丈八窟で、内部には一仏二菩薩の立像が岩から彫り出されている。主尊は8.2m両脇侍は6mの高さがあるという。