リュステムパシャジャーミイの後はムスルチャルスを経て、トラムT1でエミノニュ駅からスルタンアフメト駅下車、アヤイレーネへ。間にはギュルハネ駅もあるが、急な坂道の上に意外と距離があるので、スルタンアフメト駅の方が楽。
リュステムパシャジャーミイから金角湾沿いの大通り Ragıp Gümüşpala Cd. をガラタ橋方面に行くと広場がある。この辺りも商店や食堂が軒を連ねている。ムスルチャルスは逆L字形 Google Earth より
正面入口から中に入る。
『望遠郷』は、イェニ・ジャミイの西側と南側の壁面に向かい合う美しいL字形の建物の市場、ムスル・チャルシュス(エジプトのバザール)は、かつてエジプトから納められた貢ぎ物によって設置されたため、この名がある。スパイスのバザールとも呼ばれており、香料や調味料、香辛料、薬草が売られている。 かつて88軒あったスパイス専門店は、現在では十数軒にすぎないが、これらの店の棚には色とりどりの香草やスパイスが並んでいるという。
何だろう。説明パネルは、南東(キブラ)にあるこのバルコニーは、アザンの館と呼ばれている。スパイスバザールは 二つの異なるバザールを組み合わせた複合施設。祈りの広場はこれら二つのバザールの長い辺と短い辺が交わる角にある。毎朝、商人たちは一日を始める前にここに集まり、祈りを捧げていたという。
短い辺の出入口(南)。別の広場に出て、外にも商店街は続いている。
イタリア料理にあるように、中にチーズを入れて軽く揚げたものを想像していたら、ボリュームたっぷりのフライだった。チェリージュースと共に。
メインは皇帝のお気に入り Geleneksel kuzu etli Hünkar beğendi 伝統的なラム料理皇帝のお気に入り 野菜とポテトのピュレと共に
これがよく煮込んであって、ほろほろ。脂身の苦手な私の一番のお気に入り。
でもこの二品で満腹!
その後アヤイレーネへ。
『望遠郷』は、トプカプ宮殿の第1庭園をまっすぐ行くと、左手にピザンティン時代の聖イレーネ聖堂、アヤ・イレーネ博物館がある。ここにはビザンティウム時代にすでに聖堂が立っていた。コンスタンティヌス一世がこれを建て直し、ハギア・イレーネ(聖なる平和)に捧げた。聖イレーネ聖堂はこの町の最古の聖堂であり、聖ソフィア大聖堂が建てられるまでは、主教座が置かれていた。その後もこの聖堂は、第2回全教会会議の会場となるなど、重要な役割を果たしていた。現在の建物は、532年のニカの反乱で破壊されたあと、537年にユスティニアヌス一世により再建されたものであるという。
トプカプ宮殿を見学する時に通りがてら撮影。見えるのはいつもこちら側
トプカプ宮殿側から眺めたアヤイレーネ
説明パネルは、コンスタンティノープル征服後、この教会はモスクにはならず、武器や戦利品を保管する武器庫に改築されたため、内部も外部も物理的な変化はほとんどなかった。アフメト3世(1703--30)の統治時代の1726年に遡る修復碑文には、この教会がダル・ウル・エスリハ武器博物館(武器の家)に改築されたことが記されている。スルタン・マフムード一世(1730-1754)の統治時代の1744年に遡る柱廊に刻まれた二つ目の碑文には、この教会が改修され、再び武器庫として再設置されたことが記されている。19世紀まで、教会は武器庫として機能し続けていたという。
ニカの乱の後、ユスティニアヌス一世がアヤソフィアと共に再建した。アヤソフィアはドームの前後に半ドームを架構してドームの重力を軽減したが、アヤイレーネでは❻内陣の半ドームとの間に帯状の箇所が挟まっているので、4本のピアでドームを支えている。
平面図 『世界美術大全集6 ビザンティン美術』より
➊入口 ➋北側廊 ➌南側廊 ➍名称不明 ➎身廊 ❻内陣 ➐シントロノン ➑ナルテックス ➒中庭 ❿回廊
後陣側からドームのある身廊へ。
中央の半円アーチから至ることのできる特別な席だった。
そして➎の身廊も修復中で、❻後陣へと進んでいく。円柱の細いこと。
半ドームには十字架だけの金地モザイク。そしてその下には聖職者たちが座る石段状の座席のシントロノン。
この金地モザイクは近年に修復されていた。
回廊は二重。なぜ回廊に行ってみなかったのだろう。
➑拝廊の天井にも不思議な形が描かれているが、再建された当時のものだろうか。
左側はガラス戸で閉じられている。
ということで見学は終わり。修復が終わったらまた来よう。
この金地モザイクは近年に修復されていた。
アプシスのモザイク イスタンブール、アギア・イリニ聖堂 8世紀中頃 トルコ
『ビザンティン美術への旅』は、アギア・ソフィアに次いで巨大な聖堂。現存する聖堂はユスティニアヌス帝の奉献になるが、740年の地震で大破し、再建された。内部、アプシス(後陣)にはイコノクラスム(聖像破壊運動)時代のモザイクによる巨大な十字架装飾が残っているという。
イコノクラスムで以前にあった素晴らしいモザイク壁画が壊され、十字架だけが表されたのだと思っていたが、地震で崩壊したとは。
『ビザンティン美術への旅』は、アギア・ソフィアに次いで巨大な聖堂。現存する聖堂はユスティニアヌス帝の奉献になるが、740年の地震で大破し、再建された。内部、アプシス(後陣)にはイコノクラスム(聖像破壊運動)時代のモザイクによる巨大な十字架装飾が残っているという。
イコノクラスムで以前にあった素晴らしいモザイク壁画が壊され、十字架だけが表されたのだと思っていたが、地震で崩壊したとは。
シントロノンという古い様式の聖堂だが、メフメト二世がコンスタンティノープルを征服して真っ先に訪れ、モスクにすると宣言したアギア・ソフィア聖堂の後陣にも、その時まではシントロノンがあったのかも。それがモスクにとって大事なメッカの方向を示すミフラーブを付け足すのに邪魔な石段を取り払ったとか。
シントロノンについてはこちら
半ドームと主ドームの一部
床には、ニカの乱以前の柱頭を短い円柱の下に置いたり、不思議なマークが浮彫された石板がその下に敷かれたりしてある、しかも複数。
➑拝廊で反対側を向くと➒小さな中庭があった。アヤソフィアではなくなってしまった回廊でアトリウムとも呼ばれるもの。
今回は修復中で、正面から見ることができなかった主ドームと半ドームを正面から見た写真(『建築巡礼17 イスタンブール』より)
確かに半ドームの金地モザイクはだいぶ傷んでいた。主ドームにも金地モザイクがあったようだが、何が描かれていたのだろう。
ドームを見上げるが、薄い幕でよく見えない。文字通り紗がかかっているのだった。
中心から樹木が放射状に出ている気がする。
幅の狭いヴォールトには二重丸・・・いや、円の中に開花した花を上から見たロゼット文が描かれているらしい。
別のところには四弁花文や輪っかの中にギリシア十字など。素晴らしい出来とは言い難い。
南回廊に回ってみた。 北身廊の特別席とそれに続く列柱。
南側廊が見上げたドーム
南回廊に回ってみた。 北身廊の特別席とそれに続く列柱。
楕円形天井も幕がかかっていたて見えなかった。
ドームの見える位置まで進んだが、やはり絵は分からない。でもペンデンティブの一つに何か残っているのが見えた。
そして❻内陣の十字架の周囲のモザイク
部分的にフレスコ画で補修してある。
南回廊を戻っていくと、➑拝廊から➍楕円の間の台に向かうカーブした階段の向こうのアーチにモザイクらしきものが見えた。
➑拝廊で反対側を向くと➒小さな中庭があった。アヤソフィアではなくなってしまった回廊でアトリウムとも呼ばれるもの。
ローマのサンクレメンテ教会にもアトリウムがあったが、ここの方が古い。
ということで見学は終わり。修復が終わったらまた来よう。
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参考サイト
参考文献
「建築巡礼17 イスタンブール」 日高健一郎 1990年 丸善
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」 1997年 小学館
「ビザンティン美術への旅」 赤松章 益田朋幸 1995年 平凡社