そこから見えたのがこの摩崖仏。これについては次回😊 それにしても急な階段👀
階段の上から振り返ると、四重の塼塔や、龍がくねる屋根の門などの向こうに、下から見上げるだけだった山々と同じくらいの高さで見ることができた😊
仏教寺院から出てきた僧には見えないこの老人は、道観から出てきた人のよう。特に何を言うでもなく、写真を写しても怒るわけでもなく、飄々と辺りをウロウロしていた。
上にある寺院には行かず、
小さな建物が並ぶ奥の崖に残る壁画を見学した。60㎡にわたって北周期(535-556)の壁画が残っているそうな。
その下側には塔があるらしい。
やっぱり下部に蓮弁が並んでいる。先ほどの塔と同じく宋代(960-1127)のものだろう。
水簾洞という名称が示しているように、雨が珠暖簾のように降るところで、よくぞ北周時代の壁画がこれだけでも残ってくれたというようなところでした。
ガイドの輩さんは、豊かな森林が火災に遭った。道教の寺と上隅に仏教寺院があるという。
屋根の上には、比較的大きく描かれた一仏二弟子二菩薩像の後方や両側にも小さな仏像や比丘のような人たちがいる。
輩さんは供養者が多く描かれているという。
一見一仏二菩薩像に見えるが、釈迦と菩薩の間に描かれた小さな人物は、十大弟子の阿難と迦葉。しかし如来も脇侍菩薩も宋代の重修が未完成、田相の袈裟は一番位が高いのだそう。
輩さんはカールした髪だと言ったが、宝冠を結んだ幅のある布のように見える。
左脇侍の左や斜め上にも如来坐像や脇侍菩薩などが描かれている。偏袒右肩の如来坐像と通肩の如来。どちらも着衣としては古い様式
通肩だろうと思うのだが、大衣の袖が腹部で見たことのない膨らみがある。顔の下にあるのず施無畏印の右手かも知れないが、左手がどうなっているのか・・・
その左にも飛天が並んでいる。緑、茶色の天衣のそれぞれの飛天は良くは残っていない。小さな建物の屋根に、塔のようなものが見え隠れ。僧が亡くなると塔をつくって供養したのだそう。
それぞれの塔の下に反花の蓮弁がついている。この2つは宋代だそう。
三尊像の下、軒と軒の間の位置。
最上部は菩薩と比丘たち。失われた箇所に如来坐像やもう一体の菩薩像があったはず。
次の段には一仏二弟子二菩薩像が描かれていた。迦葉の顔が分かりにくい。やっぱり下部に蓮弁が並んでいる。先ほどの塔と同じく宋代(960-1127)のものだろう。
水簾洞という名称が示しているように、雨が珠暖簾のように降るところで、よくぞ北周時代の壁画がこれだけでも残ってくれたというようなところでした。