スルタンアフメットジャーミィ(ブルーモスク)近くの広場に行くと、切石積みのオベリスク Örme Dikilitaş が朝日を浴びていた。
光が当たっているので白っぽいが、実際は美しいとは言えない。
『望遠郷』は、3匹の蛇が絡み合った形をしている。ギリシアが前479年にプラエーテでペルシア軍に勝ったのを記念し、三脚部に31の同盟ギリシア諸都市の名を刻んでデルフォイのアポロ神殿に奉納したものを、コンスタンティヌス一世がここに移した。3匹の蛇の頭はコンスタンティノープル陥落後、次々に失われたが、そのうちのひとつが1847年に発見され考古博物館に保存されているという。
このアトゥメイダヌ At Meydanı 広場の先には、 アンティオクス宮殿とラウスス宮殿の遺跡があるが、ほとんどの人はトラムヴァイの駅への行き来で通り過ぎるだけ。
より豪華なアンティオクス宮殿は、半円形の5つの後陣がある六角形の建物である。この宮殿はカルケドンの聖エウフェミアの聖遺物を納めるため、9世紀の初めにマルテュリウム (殉教者記念堂) に変わった。13世紀のフレスコ画が描かれていたマルテュリウムは、残念ながら一般には公開されていないという。
向こうの店舗は、円も両替できる CHANGE OFFICE やキョフテが美味しいと評判で行列ができる Tarihi Sultanahmet Köftecisi Selim Usta、その隣にスイーツ店など。
トラムヴァイに乗って、
金角湾近辺の地図 Google Earth より
エミノニュ Eminönü 駅下車。左手にスレイマニエジャーミイとリュステムパシャジャーミイが見えている。
T5路線は金角湾に沿って金角湾の奥へと向かう。陸側を眺めていると、現地ガイドのアイシャさんが言ったように、城壁跡があちこちに残っていた。
エユップスルタンテレフェリク駅 Eyüpsultan Teleferik 下車。少し先の信号のある横断歩道を渡って少し戻ると
『イスタンブール歴史散歩』は、金角湾は岬から奥まで11㎞、幅は平均400mという細長い湾で、トルコ帝政時代には水も澄み、岸辺は市民の行楽地になっていたという。一時は工場排水で汚染されたが、近年はまた、ひと頃よりだいぶ水質がよくなり、岸辺には美しい緑地帯もつくられている。
湾の奥のエユップ Eyüp もぜひ一度行ってみたいところである。イスラム世界ではメッカとエルサレムに次ぐ第三の巡礼地とされているエユップスルタンモスクあり、眺望絶佳の丘の上にはピエールロティの茶店もあるという。
エユップという地名について『望遠郷』は、エユップとはムハンマドの弟子で、イスラム勢力の最初のコンスタンティノープル包囲 (674-78)の際に死んだエユップ・エンサルのことである。
1453年コンスタンティノープルを包囲したとき、メフメット二世は、エユップのものと推定される墓を奇跡的に発見した。彼はその後5年もたたないうちに、ここにモスクと霊廟を含む大きな総合施設を建て、エユップの亡骸を納めた。近くに立つ壮麗な霊廟には、オスマン帝国時代、大勢の重要人物が埋葬された。広大な総合施設が周りを取り囲んでいる霊廟もある。エユップ地区はオスマン建築、特に霊廟を集めた屋外博物館なのである。
オスマン帝国の地位の低い人々は、エユップスルタンジャミイの上にある丘の中腹に葬られた。こうしてこの一帯はユスキュダルの上にあるカラジャアメット墓地に次ぐ、トルコ第二の墓地となったという。
現在の人々の墓地にもなっていて、どんどんと丘の上の方にまで墓が築かれるようになったのだろう。
どれくらい歩くのかと思っていたら、駅のすぐ向こうだった。
運良く景色が見える席が空いていた。
チャイとピスタチオのドンドゥルマを注文したら三つも入っていた。朝食を腹十二分目食べてしまい、その後ほとんど乗り物に乗っていたが、これから沢山歩くし、まあええか。
右岸の直線的に曲がっている一番岸沿いにトラムT5線が通っていて、文字通り「く」の字の向こうが金角湾橋 Haliç Köprüsü。
遠くにはイスタンブールの七つの丘の上にモスクが並んでいるが、ここからはその名前は分からない。
右下の他より大きいドームが、先ほど出てきたエユップのモスク、エユップスルタンジャーミイと呼ばれている。その周りには有力者たちが自ら建てた墓廟のドームがあちこちに見える。
テレフェリクからは展望デッキから見たよりも青い空にくっきりと景色が見えた。
まるで道路の上をゴンドラが動いていくようだ。
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参考文献
トンボの本『イスタンブール歴史散歩』 澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社