お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2018年7月26日木曜日
トゥールーズ、サンセルナン聖堂 内部
内部は5廊式バシリカ。
かなり以前に読んだ本に、巡礼路教会では、ミサを邪魔することなく巡礼者たちが堂内を巡ることができるように側廊を整備したと書かれていた。サンセルナン聖堂では左右一つずつでは巡礼者を収容しきれず、片側2本にしたのだろうか。
ミエジュヴィル門から入って後陣を眺める。
ヴォールト天井には壁画が残っている。
横断アーチはレンガと石が交互に並べられたままだが、ヴォールト面には切石積みのように線が描かれているのだった。しかも、色を変えてX字形に交差させているものまである。幾つかの円の中には聖人などが描かれているのだろう。
切石に見せた線の中に赤い顔料で放射状の星形があり、中央には何かの紋章も描かれている。
西側。本来は西側が正面入口になっている。
『visiter Saint-Sernin』によると、1888年にCavaillé-Collによって再び造られたパイプオルガンがトリビューンに設置されたという。
北の内側廊の先は鉄格子が閉じられている。
身廊は横断アーチで補強されたヴォールト天井だが、側廊は交差ヴォールト。
リブ(肋)のある交差ヴォールトはゴシック様式の特徴だが、ロマネスク様式の聖堂ではリブのない交差天井はみられる。
交差ヴォールトについてはこちら
北の外側廊も交差ヴォールト。柵が開いているので中へ。
北外側廊を振り返る。窓があるので明るい。
北翼廊
欧羅巴の旅というホームページのサン・セルナンバジリカ聖堂(3)フレスコ画と柱頭彫刻では、北翼廊のフレスコ画が紹介されているが、見学の際は分からなかった。
『Visiter Saint-Sernin』に部分的に掲載されている。
キリストの復活の物語は、1180年頃描かれた。空の墓の前の聖なる女性たちと天使、上段に預言者エレミヤとイザヤという。
側面から見た十字交差部、石製の主祭壇がピンボケで残念。
石製祭壇にズームしたがやっぱりピンボケ。
同書は、ピレネー産大理石、教皇ウルバヌス2世により1096年に奉納された。彫刻師ベルナール・ジルドゥアンの銘があるという。
身廊から見る主祭室。同書は、内陣は18世紀のバロックの装飾であるという。
後陣の半ドームには玉座のキリストと四福音書記者の象徴。
同書は、サンセルナン聖堂の信心会の命により、1536-1542年に、アントワーヌ・オリヴィエとベルナール・ナロによって描かれたという。
鍵が掛かっていたために、後陣の周歩廊には入り込めなかったので、主祭壇の柱頭彫刻や下方の荘厳のキリストなどの浮彫群、そしてクリプト(地下祭室)などの見学は叶わなかった(写真は聖堂の外に飾られていたパネルより)。
『Visiter Saint-Sernin』に、10月-6月は10時~11時半、14時半から17時と記されている。閉じられていたのは10時より前に見学したからだということを、帰国後知った。
周歩廊の浮彫についてはこちら
交差部の八角ドームは明かり取りのためだが、この上に五層の塔があるとは想像できない。
身廊は大アーケードとトリビューン(階上廊)という二段の開口部。
トリビューンの柱頭彫刻はアカンサスなどの植物文様。
南外側廊
南外側廊から南内側廊と身廊、更に北内側廊。
ロマネスク様式の聖堂は複合柱が太いので堂内を見渡すのは困難。
ミエジュヴィル門から古い時代の修道院扉口を経てトール通りへ。
トゥールーズ サンセルナン聖堂 外観← →トゥールーズ キャピトル広場
関連項目
トゥールーズ、サンセルナン聖堂 周歩廊の浮彫
尖頭交差ヴォールト天井はゴシック様式
参考サイト
欧羅巴の旅のサン・セルナンバジリカ聖堂(3)フレスコ画と柱頭彫刻
参考文献
「中世美の様式下 ロマネスク・ゴシック美術編」 オフィス・ドリーブル編 大高保三郎・岡崎文夫・安發和彰訳 1991年 連合出版
「visiter Saint-Sernin」 Quitterie et Daniel Cazes ÉDITION SUDOUEST
「図説ロマネスクの教会堂」 辻本敬子・ダーリング益代 2003年 河出書房新社
「フランス ロマネスクを巡る旅」 中村好文・木俣元一 2004年 新潮社