お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2019年10月10日木曜日

ブリンディシ(Brindisi) 旧市街


さて、ブリンディシの観光。 
④サンジョヴァンニ・アル・セポルクロ教会 ⑥アウグストゥスの銅像 ⑦税関 ⑧ヴィルジリオの記念碑 ⑨ローマの円柱 ⑩ドゥオーモ広場 ⑪古い修道院 ⑫美しいバルコニーのあるロッジア ⑬ヴェルディ劇場下考古学地区 ⑭スラブの聖ペトロ教会考古学地区 ⑮グラナフェイ・ネルヴェニャ宮殿

ホテルを出て、ローマ通り(Corso Roma)を下っていくと、噴水のあったウンベルト1世通り(Corso UmbertoⅠ)交差するところに、何故か初代ローマ皇帝アウグストゥスの銅像があった。
オクタビアヌスは養父カエサルの暗殺を聞いてローマへと戻る途中、この付近で自分がその後継者に選ばれたことを伝えられたというガイドのアンナさん(以下の説明はアンナさんより聞いたもの)
ここからはジュゼッペ・ガリバルディ通り(Corso Giuseppe Garibaldi)となり、海へと続く。
海に面した横長の建物は税関
小さな広場にはヴィルジリオの記念碑(Monumento a Virgilio 前1世紀の詩人ウェルギリウス)があるが、私の関心はこのオリーブの老木。
以前ギリシアを旅した時、オリーブは剪定すると次々と若い枝を出すので、二千年前の物もあると聞いた。また、雌雄の苗を絡めて育てるので、1本に見えて実際は2本なのだという。この木も中央にウロができて割れているように見えるが、それが2本の分かれ目なのだろう。
その奥に見えているのはナツメヤシの実はまだ小さい。

ブリンディシの街は瘤のように海に突き出ていて、さらに潟がそれを囲んでいる。その間から出るとアドリア海。
右側がレヴァンテ海(Seno di Levante)、
左側がポネンテ海(Seno di Pnente)で、向こう岸に見えるのは1933年に建立されたイタリア人水夫記念碑。
空港は笠松の向こうなので、ローマで乗り換えると便利な街である。

回り込んでいくと白い円柱が見えてきた。
その円柱は50段ある階段の上にあった。
コロンネ・ロマーネ(Colonne Romane ローマの柱)は高さ19mで、後2世紀に造られたものだが、アッピア街道の終点を示す記念碑か、灯台だったかは不明。1528年の地震で倒壊、上部の柱頭はコピーで、本物はこの後見に行った。
2つの大きな建物に挟まれたコロンネ通り(Via Colonne)を進んで行くと、司教座聖堂の鐘楼が迫ってくる。第二次世界大戦で爆撃を受け再建された。
尖頭アーチをくぐって⑩ドゥオーモ広場
広場の一角には、先ほどくぐった鐘楼とくっついている洗礼者ヨハネ司教座聖堂 11-12世紀(ロマネスク期)、16世紀(ルネサンス期)、18世紀
ロマネスク様式で創建されたが、18世紀の地震で倒壊し再建。
洗礼堂は中央にドーム、三方に小ドームを戴いた祭室がある。これはその南側の祭室
18世紀ならロココ様式だが、意外とすっきりしているのはルネサンス期のものが残っているのかな。
聖堂はラテン十字形でドームはない。身廊の内陣
祭壇近くに12世紀の舗床モザイクが残っている。
蔓草文様のよう。
祭壇前には動物も。
キツネのようだが、肢が枠からはみ出しているのが楽しい。
柱頭を重ねたような洗礼盤
別の場所にも舗床モザイクが残っていた。


グリフィンはキリストの象徴という。
枝に留まる紫首の長い鳥

鐘楼の左側には神殿騎士団の柱廊が残っている。
元は司教宮殿のバルコニーだったという。
広場の端にあるこの建物も教会だという。
広場の右端にバルサモのロッジア(Loggia Balsamo 14世紀)
ロッジアは、上階に開廊とも呼ばれる開口部のある建物で、このロッジアはすっきりした開廊と尖頭アーチが2つ並んだゴシック様式の地上階。
それなのに、バルコニーを支えている深い持送りはグロテスク彫刻と呼ばれるもの。
一つ一つを見ていくと、ロマネスク様式の軒下飾り(モディヨン、下参照)で動物や人物が思い思いに表されて面白いのだが、少し離れて見ると目にうるさい。
起拱点の柱頭は最後の晩餐のつもり?
ドゥオーモ広場を振り返る。

ジョヴァンニ・タランティーニ通り(Via Giovanni Tarantini)へ。
一階が尖頭アーチになっている建物は他にもあった。
門のところだけ出っ張っている。
半円アーチの通路だった。楕円形の浮彫のある石を積んでいて、アカンサスの葉文様の低い柱頭もある。
⑪旧修道院
中は回廊になっているみたい。自由行動の時なら入ってみただろう。
建物の時代はそれぞれのようだが、扉口は特に残している。
ピエルトンマッソ・サンタバルバラ通り(Via Piertommaso Santabarbara)から
マルコ・パクヴィオ通り(Via Marco Pacuvio)に入って2つ目の路地に入って現れたのは、滅多に開いていないという④サンジョヴァンニ・アル・セポルクロ教会で、この時も開いていたので、また見学することとなった。
この教会は、朝散歩と今回の見学は、別の記事でまとめています。

見学後マルコ・パクヴィオ通りに戻って突っ切ると、狭い路地の真ん中に⑫美しいバルコニーのあるロッジアが。
植物文様を透彫にしたバルコニーは2連の半円アーケード。下階は力強い石の半円アーチにアカンサスの葉文様の柱頭を支える太い円柱。
その建物の左側のマッダレーナ通り(Via della Maddalena)を通って、
サンティ通り(Via Santi)に出ると、遠くにドームが見えた。

⑬ヴェルディ劇場(Teatro Verdi)下の発掘現場へ。
古代ローマの街、プリンディシウム 前3世紀頃
中央を通る南北の通り「カルド」を挟んで東側に住居地区、西側に職人地区があったという。
1965-66年に発掘された住居
その遺構
東通路に回り込んで
その続き
浴場の構造
舗床モザイクのあった家屋(1965-66年発掘調査)
北東角の家屋(1965-66年発掘調査)
出土した舗床モザイクが壁面に再現されていた。

外に出て尖頭アーチが一つだけ残る遺構へ。
⑭スラブの聖ペトロ教会考古学地区とされている。
その北壁面
東側に⑮グラナフェイ・ネルヴェニャ宮殿(Palazzo Granafei-nervegna 15世紀)
現在は市庁舎となっているが、コンスタンティノープルが陥落した後、バルカン半島から商人を呼び戻し、住まわせたという。
ここにもローマ時代の遺構や、
浮彫装飾のほとんどない大理石の石棺
そして⑨コロンネ・ロマーネの本物(後2世紀)が展示されていた。
海の神ネプチューン
左ジュピター、右女神
女神

ブリンディシ(Brindisi) 朝散歩← →ターラント(Taranto)

関連項目
フィジャック、サンソヴール聖堂の柱頭・モディヨン
カオール、サンテティエンヌ司教座聖堂 モディヨン
コンク、サントフォワ聖堂 軒下飾り(モディヨン)

参考にしたもの
ブリンディシ観光案内のリーフレット