お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2018年10月11日木曜日

カオールからロカマドゥール


本日はロカマドゥール、フィジャックを経由していよいよコンクへ。
カオールはロット川がU字形に蛇行したところにできた町で、その周辺も多少の起伏はあるが、概ね平らな地形である。
ヴァラントレ橋に近いホテルを出発したバスは、ロット川の内側の道路を進み、ルイ・フィリップ橋のロータリーでやや上り坂のレオン・ガンベッタ大通りを北上。
バルバカヌ(Barbacane)の先のロータリーでD620号線にあたる7E歩兵隊通り(7E Régiment d’Infanterie)に入ったかと思うと、急な上り坂に。

やがて丘の上までくると、緑深い柔らかな起伏の丘とそれを分断する浅い谷がどこまでも広がっていた。
ところどころ草地になっていて、家畜がいるかと写してみる。
このような景色に魅入っていて思い出したの『中世の森の中で』の木村尚三郎氏の文章である。
氏は「自然と時間の観念」で、英語でオーク、フランス語でシェーヌ、ドイツ語でアイヘと呼ばれるナラの木は、落葉樹であり、ヨーロッパでは「森林の王」と呼ばれている。日本ではこれまでカシと訳されていたが、カシは常緑樹で、誤りである。ナラはもっとも広範囲に数多く生えており、実に2000年以上の樹齢を保つという。ヨーロッパの樹木のうち、最長命である。今日のヨーロッパ世界の歴史をその誕生いらいすべて知っているヨーロッパ史の全行程は、本当のところ千年足らずしかないからである。
今日の都市、今日の農村、今日のカトリック教会組織、今日の大学と学問の基礎が形づくられ、そして今日の偉大な文化遺産であるロマネスクとゴシックの芸術が一斉に開花した11世紀後半から13世紀前半のヨーロッパに、社会的、精神的エネルギーが爆発的なほとばしりを見せたのは事実であった。未だはっきり形は定まらなかったとしても、ヨーロッパがこのとき一つの個性的な歴史的世界として誕生したのは確かなことであったという。
そしてこれが渓谷。中世のヨーロッパそのままの姿がオクシタニー地方には残っている。
しかし、ヨーロッパは今日よりも暗くひんやりとし、ひっそりと静まり返っていた。気候のせいではない。巨大な原生林の樹海が、果てしなくヨーロッパを覆いつくしていたからである。
森はしたがって、見える国境というより、緑の海であった。ひとつづきの村や畑、未耕地、そして町は、森の海に囲まれた島であり、島国であったという。
これが私のヨーロッパ感を変えた。そして、ローマの属州時代以降、ずっと石造りの建物だと思っていたヨーロッパだが、ロマネスク建築を囓っていて、西ローマ帝国の崩壊と共に石造建築の技術は失われ、ロマネスク期になって再び半円アーチやヴォールトを造るようになり、その最初期には建造中に倒壊したりして難行だったことを知ったのだった。
僅かな牛が草原に寝そべっている。
ある村の脇を通り過ぎる。
何という緩やかな斜面。木々が連なっているのは丘の頂部。その向こうも同じような丘があるのだろう。
高速N20号線を出て一般道に入ると、道路の造成によって削られた崖の地層が面白い。
ロット川の断崖は石灰岩だったが、この辺りは別みたい。マッシフ・サントラル(中央山塊)ということだが。
ところどころに教会の尖塔とそれを囲む村の家屋群が見えるのだが、写すのは難しい。やっとピントが合った1枚。
納屋?
牧草ロールがたくさん転がった土地があると思えば、青い草地もある。

いよいよロカマドゥールへ。
お~い羊さんたち、もっと近くで草を食べて~!

家畜のための石垣もよく見かけるが、走行中にピントを合わせるのは不可能に近い。

ピントを合わせきれなかったが、ブジエで見たがここでは一面に咲いている。

今でも使われている線路を通過して、

やがて小さな村の前でバスは停まった。オスピタレ村(Hôspialet)に着くとすぐに展望台へ。
ロカマドゥールはドルドーニュ川の支流アルズー川が浸食した断崖にある町。
オスピタレ村らか歩いてロカマドゥールの町へと至ることもできる。
空が青ければ映えるのだが・・・
ロカマドゥールも断崖にある町だが、サンシル・ラポピーとはかなり異なった構造になっている。ここからはアルズー川の流れが見えないのだった。
ロカマドゥールは、一番下に市街地、その上に聖堂群、頂上に司祭館と三段の建物がある。巡礼地でもあり、町に到着した人たちは、大階段から聖所へと膝で登っていったという。
ここがたくさんの聖堂のある聖所。
司祭館
司祭館に続く崖には階段が続く。ゴルゴダの丘を十字架を担がされて登っていくキリストの痛みを、今の流行語でいうと共有するために、信者たちが登るために造られた。

オスピタレ村を少しだけ。オスピタレ教会(Église de l’Hospialet)の鐘楼が見えたので近づこうとすると、
かなり離れているのだった。手前には木組み(コロンバージュ)の建物。
古い民家か倉庫だろうか。三角屋根がなくなったおかげで、壁の造りや部屋の広さの割に壁が厚いことなどがよくわかる遺構だ。

カオールで朝散歩3 カオール駅へ← →ロカマドゥール1 十字架の道を下る



参考にしたもの
『laissez-vous conter Cahors』という小冊子 Emmanuel Carrère 発行年不明 service communication ville de Cahors

「生活の世界歴史6 中世の森の中で」 堀米庸三編・木村尚三郎他 1991年 河出書房新社