お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2024年6月18日火曜日

カレンデルハネジャーミイ Kalenderhane Camii とベヤズィットハマム博物館 II. Bayezid Türk Hamam Kültürü Müzesi


シェフザーデジャーミィを見学後、ラレリ・ユニヴェルシテ Laleli - Üniversite 駅からトラムT1でスルタンアフメト Sultan Ahmet 駅まで戻って、アヤソフィアの側にあるマトバ Matbah というレストランに行った。

それは『新・トルコで私も考えた2023』の「宮廷料理とショッピング」に紹介されていたカヴンドルマス Kavın Dolması という料理が食べてみたいと探したら、マトバで食べられることを知ったからだった。
現地ガイドのアイシャさんにその話をすると、「私は別のレストランで食べたことがあります。不思議な味でした。コースだと食べきれないので、前菜はとばしてメインだけにして注文して下さい」と言われていたので、それに従った。
とても雰囲気の良いレストランだった。


まずミネラルウォーターとアイランを注文すると、赤ワインのようなものがサービスで出された。ジュースなのでほっとした。イスラームの国である。こんなサービスにお酒は出てこないので安心。

さて、カヴンドルマスはメロンの中身を刳り抜いて、料理を詰めてあるのだが、運ばれてきたお皿の手前のごろごろしたのは何だろうか。

牛肉、ナッツ、米などを調理してメロンに詰めてオーブンで焼いたもの。
マトバのメニューを今確かめたら、私が食べた時よりも1.5倍の値段になっている!
16世紀のスルタンの門外不出のレシピ、という知識は同書で得ていた。16世紀と言えばスレイマン一世しか思い浮かばなかったので、勝手に「スレイマンが他の者には食べさせなかった料理」と決めつけていたが、メニューには15世紀とある。イスタンブールを陥落したメフメト二世の時代?。
果肉も削って一緒に食べた。アイシャさんが表現した「不思議な味」が当たっているかも。

そしてこのごろごろはというと、何の不思議もない、果肉でした。


デザートはヘラティエ helatiye  15世紀
乳香とバラ水のプディング、アーモンドとピスタチオ、季節の果物添え
白いのが杏仁豆腐みたいなもの。アーモンドは沢山採れるし。
大変結構でございました。


食後はまたトラムT1線でベヤズィット Beyazıt 駅下車、その後は歩き。

イスタンブール大学周辺 Google Earth より
イスタンブール大学周辺 Google Earth より

右上にベヤズィットジャーミイを見ながら、左の方に進んだが、

その上は広~いベヤズィット広場で、イスタンブール大学の門や学部が広がっており、

振り返るとベヤズィットジャーミイ。あ、ミナレットの先が入っていない。

広場の西の端にあるのはカリグラフィー博物館。以前はメドレセだったみたい。
『望遠郷』も、広場の西には神学校がある。ほかの伝統的な神学校と同様に、中庭を囲む四角形の建物で、学生室が中庭の4面に並び、講堂が正面玄関に向き合っている。この建物は修復され、市立図書館とアラビア文字の歴史を扱うカリグラフィー博物館となっている。個室のひとつにアトリエが復元され、そこには先生が門弟たちにこの極めてイスラム的な芸術を教える光景が人形によって再現されているという。

その後はバス乗り場が続いていて、気がつくと、朝に近くまで来た Vezneciler というメトロの駅のある広場に来ていた。 正面奥に見えているのがカレンデルハネジャーミイ(テオトコスキリオティッサ教会 Theotokos Kyriotissa)。


ビザンティン時代のキリスト教聖堂はモスクに改築されて残っているものが多数ある。
今回は後期ビザンティン様式のカーリエジャーミイ(コーラ修道院)やフェティエ Fethiye Camii ジャーミイ(テオトコス・パンマカリストス教会)が修復中で見学できないのは残念だったが、Google map で見学したいモスクの近くにビザンティン様式の聖堂がないか調べていると、こんな風にモスクとして残っている小さな聖堂を発見できた。
見えているのは聖堂の南面。

西正面面の入口に回り込んだら囲壁で建物が見えない。



階段を降りて西側の入口へ。
The Byzantine LegacyTheotokos Kyriotissa(以下Theotokos Kyriotissa)は、テオトコスキリオティッサ教会(現カレンデルハネジャーミイモスク)は、ヴァレンス水道橋の東端近くにある。教会はドームで覆われた正方形の平面で中期ビザンチン様式の大きな教会であるという。


モスクなので内部は坐って礼拝する人のためにカーペットが敷き詰めてあるので、靴を脱いでナルテクス(玄関廊)に入ると、堂内入口上のリュネットにビザンティン聖堂の残骸が。


おそらくキリストと弟子か天使が描かれていただろうことが頭光から想像できる。


編み物のような華奢なアカンサスの葉は透彫だったのでそれが剥がれ落ちてしまっている。

左手の柱頭の方がよく残っている。



Theotokos Kyriotissaは、本教会は1200年頃に建てられ、古い建物を内部に組み込んだ大きな教会。ドームで覆われた十字型のプランで、礼拝室は約19㎡、ドームは直径8mで、4本の柱が四つの独立した空間を形成している。建物には玄関廊がある。現存するのは 12世紀の1/3未満で、残りの壁の表面は二次塗装か大理石を模した漆喰で覆われていたという。

ギリシア十字式教会の平面図(『世界美術大全集6 ビザンティン美術』より)で本聖堂の構造を類推すると、ナオス(身廊)の先のベーマ(内陣)を入れるとギリシア十字になる。ベーマの奥にイコノスタシス(イコンを掛ける壁)と呼ばれる障壁を造ってアプシス(後陣)には聖職者以外入れない。
ギリシア十字式聖堂のプラン 世界美術大全集6 ビザンティン美術より


本聖堂がイコノスタシスで後陣を見えないようにしていたのかどうか分からないが、平らな壁面になっていて、ミフラーブ(メッカの方角を示す装置)が教会の軸線よりも南寄りに斜めに造られ、ミンバル(説教壇)が壁面に沿って据えられている。


四つのペンデンティブに支えられた主ドーム
上塗りがなくなっているので、薄いレンガ積みの様子がよくわかる。


北翼廊
三段に開かれた窓

一番下の窓には三つのアーチを支える二つの柱頭彫刻

左の柱頭彫刻


右の柱頭彫刻



今でも残る大理石の内装。ここでもページの見開きのように大理石を薄く剥がして並べるという技法が見られる。
上に開いたアーチ、下にレンガで閉じられたアーチがあるが、先ほどの平面図のように、北翼廊からもベーマからも入れるようになっていて、プロテシス(聖体準備室)があったが、おそらくモスクに改築された時に閉じられたのだろう。

大理石板の装飾。右下のものは中央の白い線が蛇行するように幅を小さく切って、表裏反転させてつくりだしたのだろう。

下にはアカンサスの葉文様の楣石
中央と左右に聖人らしき頭光のある人物の浮彫


これは別の壁面装飾



南翼廊
三段に窓が開かれている。一番下の窓には三つのアーチを支える二つの立派なアカンサスの柱頭。北翼廊のものに比べると縦長で、アカンサスの葉が華奢に感じる。

左の柱頭彫刻

右の柱頭彫刻



Theotokos Kyriotissaには平面図が記載されていて、西側北のドームを支える柱と壁の間には小ドームがある。

その小さな空間に僅かながらフレスコ画が残っている。


聖人伝ではなく、アーチの石一つ一つの大理石の色と模様を描いている。


窓際のフレスコ画は全くわからない。


ここもアーチを構成する石の色と模様を模したもの。


壁面にも大理石に似せたフレスコ画。


南側は交差ヴォールトになっていた。


西の出入口側上部

出入口のアーチ上部左右に貼り付けられている門のようなもの。


天国の門だろうか。円柱の柱頭はよく分からないが、その上に大きなアカンサスの葉が出ていて、そこから丸い花が一輪。リュネットにも細い蔓草文様がある。


調査で出土したフレスコ画はイスタンブール考古学博物館に展示されているというが、後日同館に行ったら建物が修復中で見学できなかった。


ベヤズット広場へ向かう途中で Kimyager Derviş Paşa Cd.通りに入り、 ベヤズィットハマム文化博物館 II. Bayezid Türk Hamam Kültürü Müzesi に向かう。

その手前にあったバロック様式の玄関のあるメドレセ  Seyyid Hasan Paşa Medresesi  


これがベヤズィット二世が建てたハマム。大きなドームが二つで女性用と男性用に分かれているので、小さなドームは3X2が二つある。


正方形から八角形、円形のドームと立ち上げている。


ハマムはトラムT1線の通るオルドゥ大通り Ordu Cd.に面している。通りの向かいには同じハサンパシャが建てた対象宿 Hasanpaşa Konağı があって、人で賑わっていた。
『望遠郷』は、隊商宿はマフムト一世の宰相セイット・ハサン・パシャの寄付によるもので、1740年頃に建てられたという。

ベヤズィットハマム文化博物館に入る。入場は無料
平面図(右側が北 同館説明パネルより)
上側が女性用で、女性用の入口から入った。女性用の熱浴室の台は四角形、下の男性用の方がやや大きく、熱浴室の台は八角形。
説明パネルは、ローマ浴場には、脱衣室(アポディテリウム)、大きな冷水槽がある冷浴室(フリギダリウム)、微温浴室(テピダリウム)、高温浴室(カルダリウム)の4つの独立した部屋がある。オスマン帝国の浴場は、同じ公衆浴場の伝統を継承しているが、ローマ浴場の部屋は3つしか残っておらず、フリギダリウムは廃止されているという。

入ったところが大きなドームの女性用の脱衣室(アポディテリウム)

ここでトイレに行きたくなり、複雑な部屋部屋を案内されるままに入っていったので、見学を開始したのがどこか分からなくなってしまった。写した順に、

男性用温浴室
説明パネルは、更衣室と熱浴室の間にあり、温熱室に入る前に体を準備するために使用されるという。
広い部屋の腰壁は大理石張り。小さな水槽に蛇口が二つ。お湯と水がでるのだろう
中央には浴室で使用するものの展示ケース。高下駄で歩くのだが、私はこれで転びそう。

一角には一段高い床。六角形と三角形で構成したオプス・セクティレ。
三方にそれぞれ水とお湯の出る蛇口がある水槽がある。お湯を沸かすには大量の燃料が必要なので、この水槽は体を入れるためではなく、お湯と水を適温に混ぜて体に掛けるためのもの。


男性用熱浴室
説明パネルは、低く狭い出入り口で熱浴室とつながっている。熱浴室の壁と床も大理石で覆われており、中央には長方形または八角形の発汗石、または文字通り「腹石」(göbek taşı) があり、床から約 50 ㎝ の高さという。
熱浴室(カルダリウム)なのでドームの下には八角形の大理石盤があってここで寝そべって体を暖める。
台の上の展示品は飲み物のポットなどが並んでいる。チャイなどを飲みながら、のんびりと寝そべっていたのだろう。

この部屋はペンデンティブに曲線的なムカルナスのある不思議なドームが架かっていた。

また別のオプス・セクティレ
皇帝のモスク複合施設にはハマムもあるが、それは民衆向け。それでもこんな風に凝った床になっている。


別のドームには、

一箇所だけ妙な装飾が残っている。
ベヤズィット二世(メフメト二世の子 在位1481-1512)の時代にこのような装飾があったとは思えない。ムカルナス状の装飾も後世のものだろう。

ところどころに当時のハマムの様子が描かれたコピーが掛かっているが、このハマムには円柱などなかったので、もっと大きなハマムでの光景だろう。
客一人につき一人の洗ったり、垢擦りをする人がいるので、芋の子を洗うような混雑はなかったみたい。

その後はゆっくりと休む。ハマムではゆったりとした時間が流れていた。


大理石張りの腰壁の上は漆喰の装飾があった(カバーがかかっている方がオリジナル)。


女性用熱浴室へ
説明パネルは、浴場の暖房の問題があるので、各熱浴室は浴場のボイラー室の隣に配置されているという
高下駄はもっと高い、私なら絶対転ぶ!
西洋式のお風呂には洗面器というものがないが、ハマムには小さな浅いボール(右下)がある。

-そしてベヤズット広場周辺の発掘調査で出土したものが並んでいた。


それはビザンチン時代の円柱や柱頭など。


温浴室にも出土品が展示されていた。


ビザンチン時代の柱頭も


ベヤズィット教会群
説明パネルは、イスタンブール大学文学部および理学部の建設中に、四つのビザンチン教会の遺跡が発見されました。最初に、ベヤズィットA、B、Cの 三つの教会からなる建物群が 1947 年に発掘された。4番目の建物である教会Dは、他の三つの教会のすぐ北に位置し、1971 年に発見された。
バシリカ様式の教会Aは、建築彫刻から6世紀に建てられたものとされている。教会BとCは規模が小さいため、後世に建てられたものとされているが、正確な建設時期は不明。教会群の遺跡は、十分な考古学的文書や調査が行われないまま撤去されたという。
ビザンティン聖堂のテンプロン(内陣障柵)に使用された浮彫石板

その出土品
ラテン十字に正方形を二つ重ねて90度ずらせた組紐文

浮彫石板の中央部分
何重もの菱形の中にギリシア十字

イスタンブールはローマを模した七つの丘でできている街。その上三方が海に囲まれているので坂が多い。その第3の丘にバヤズィットキュリエッシ(バヤズィト二世モスクの複合施設)がある。高くて平らな場所にはビザンティン時代から複数のキリスト教会が建てられたのも立地条件が良かったからだろう。
ベヤズィット二世がキリスト教会を壊してモスクと複合施設を造ったのも場所の良さからだろう。



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参考文献
「新・トルコで私も考えた2023」 高橋由佳利 2023年 集英社
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」 1997年 小学館
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同朋舎出版 1994年 同朋舎出版