左手は塀が続き、途中から石塀となるが、右手は小さな集合住宅が並んでいる。
道なりに左へ曲がり、モンテグテロン広場があり、大砲でつくった聖母子像の岩山(これも火山岩)と、手前の大きな建物は、オートロワール県の県庁関係 Hôtel du département のもの。
平面図(ただし聖堂内は天井の見上げ図 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より、以下『Notre-Dame du Puy』)
①フォルの玄関 ②聖具室・宝物殿 ③鐘楼 ④聖ヨハネの玄関 ⑤回廊 ⑥参事会室 ⑦聖マヨール塔の基部 ⑧回廊の入口と受付 ⑨石落としの建物 ⑩悔い改めの礼拝堂 ⑪聖ヨハネの洗礼室 ⑫聖十字架礼拝堂 ⑬聖母マリアの内陣 ⑭聖ヤコブ像
傾斜地に建造されたため、西ファサード側から3柱間が、階段の上に造られている。
一つ目の柱間
階段を上って最初の門まできたが、まだ階段は続く。
『Notre-Dame du Puy』は、聖母被昇天の祝日(8月15日)に司教たちは集まった信者を祝福するという。
右には巡礼者姿の十二使徒の一人聖ヤコブ、フランス語ではサンジャック Saint-Jacques、スペイン語ではサンティアーゴ San Tiago の像
同書は、ドミニクエプラン Dominique Eppelin の作品。使徒は朝のミサに出席した巡礼者たちを祝福し、彼らをコンポステーラへ見送るという。
二つ目の柱間
三つ目の柱間との境目のアーチにはフレスコ画が残っている。
左の三つ目の柱間北側はサンジル礼拝堂12世紀の木製の扉が残っている。
二つ目の柱間南側を向くと、下の説明パネルの図と同じく、外の建物が見える。
ロマネスク様式のポーチ(12世紀) 19世紀のイラスト(説明パネルより)
説明パネルは、ロマネスク様式のポーチが大聖堂の身廊と側廊の一部を支えているという。
この言葉は内部に入るとよく分かる。聖堂が傾斜地に建造されているために、身廊や側廊の西ファサード側をこのポーチが支えているのだ。
振り返るとこんな風にルピュイの街が見えた。
何故聖堂内でも階段が続くかというと、この聖堂は、サンミシェルデギュイユ礼拝堂や聖母子像のような尖峰に建てられているのではないが、やはり火山のアニ山の上に建てられているからだ。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂断面図 L'ART ROMAN LA GRAMMAIRE DES STYLES より |
本来、教会というものは、そのまま西ファサードに扉口があってそこから堂内に入るのだが、このカテドラルでは、右手の階段を上って身廊に入る。
床は石だが、椅子の間に一部金属の網(グリル)が嵌め込んである。この下には、朝の礼拝の後、巡礼者たちが降りていく階段が隠れている。
⑬内陣には小さな黒い聖母子像
2つのアーチの奥には彫像とフレスコ画があるが、どちらも聖ヤコブ像
⑫聖十字架の礼拝堂 La chapelle du Saint-Crucifix
熱病にかかった人がこの石板に横たわると治癒したという言い伝えがある。
これが、身廊の開いたグリルに姿を現した階段を降りて、サンティアゴデコンポステーラへと向かっていく時に開かれる扉である。
この扉の南側にある階段をおりてきたが、北側階段は立ち入り禁止になっている。
階段の先には交差天井が続いていて上の階は⑨石落としの建物、東側には回廊があるが、ここからは行くことはできないようだ。
再び西ファサードの大階段。ターブル通り Rue des Tables の下り坂は、もうこの位置より前から始まっているのだった。
朝散歩でもこの通りを避けた。サンミシェルデギュィユ礼拝堂からも通らなかったので、ノートルダムデュピュイ司教座聖堂の正面へと誘うこのターブル通りは、聖堂を見ながら登ることはしなかった。
ターブル広場にの泉。
坂をもう少し下り、ジャンヌ・ダルクという幼稚園の細長い建物を通って、グランジュヴィエイユ(古い穀物倉)通り Rue Grangevieilleへ。
初めは地味な色の建物が並んでいたが、段々色とりどりの建物となってきた。それにしても、細長い建物が続くこと。
このT字路の右角には聖母子像が壁に取り付けられていた。
右建物の二階には聖母子像があった。
アーチが2連
店内は低い交差ヴォールトにリブのある天井で、中世の礼拝堂のものを使っているとのこと。壁画には料理長の帽子を被った人も登場している。
手前のスプーンは料理を食べる大きなもの。これは大きさが日本のよりや大きめなので食べ切れた。
食後のコーヒー
どの道を歩いたかが分かるようにGPSを提げていた。1日持つはずの電池が半日でなくなるので、ホテルに帰って充電していた(これも長時間要する)ものと取り替えて、再び出掛けた。
どの道を歩いたかが分かるようにGPSを提げていた。1日持つはずの電池が半日でなくなるので、ホテルに帰って充電していた(これも長時間要する)ものと取り替えて、再び出掛けた。
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参考文献
「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」 Emmanuel Gobilliard et Luc Olivier 2010 Édition du Signe