お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年6月23日金曜日

ルピュイ ノートルダムデュピュイ司教座聖堂 Cathédrale Notre-Dame du Puy


岩山の上のサンミシェルデギュイユ礼拝堂または地上のサンクレール礼拝堂から

モンテグテロン(グテロン坂 Montée Gouteyron)を文字通り上っていく。
ルピュイ、サンミシェルデギュイユ礼拝堂からノートルダムデュピュイ司教座聖堂への地図 Google Map より


左手は塀が続き、途中から石塀となるが、右手は小さな集合住宅が並んでいる。

道なりに左へ曲がり、
モンテグテロン広場があり、大砲でつくった聖母子像の岩山(これも火山岩)と、手前の大きな建物は、オートロワール県の県庁関係 Hôtel du département のもの。


ここからはグテロン通りと名称が変わって狭くなった。道はT字路になっていて、左折する。

この通りで見つけたマンホールの蓋


ヴィジタシオン通り Rue de la Visitation 右手の建物の2階の一部が出っ張っていた。
古い建物ほど面白い。今はホテルになっている。

前方には建物の間に作られた部屋があるが、そこには行かず、


右手のベックドリエーヴル通り Rue Bec de Lièvre へ右折。

同じ通りの続き。開かれたところではないが、両側の高い建物の壁から解放された。



数歩先で左手を見上げると、そこにはノートルダムデュピュイ司教座聖堂が!
このファサードについて後日忘れへんうちににて。

平面図(ただし聖堂内は天井の見上げ図 『La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay』より、以下『Notre-Dame du Puy』)
①フォルの玄関 ②聖具室・宝物殿 ③鐘楼 ④聖ヨハネの玄関 ⑤回廊 ⑥参事会室 ⑦聖マヨール塔の基部 ⑧回廊の入口と受付 ⑨石落としの建物 ⑩悔い改めの礼拝堂 ⑪聖ヨハネの洗礼室 ⑫聖十字架礼拝堂 ⑬聖母マリアの内陣 ⑭聖ヤコブ像
傾斜地に建造されたため、西ファサード側から3柱間が、階段の上に造られている。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂平面図 『Notre-Dame du Puy』より


一つ目の柱間
階段を上って最初の門まできたが、まだ階段は続く。
Notre-Dame du Puy』は、聖母被昇天の祝日(8月15日)に司教たちは集まった信者を祝福するという。

右には巡礼者姿の十二使徒の一人聖ヤコブ、フランス語ではサンジャック Saint-Jacques、スペイン語ではサンティアーゴ San Tiago の像
同書は、ドミニクエプラン Dominique Eppelin の作品。使徒は朝のミサに出席した巡礼者たちを祝福し、彼らをコンポステーラへ見送るという。


二つ目の柱間
三つ目の柱間との境目のアーチにはフレスコ画が残っている。
左の三つ目の柱間北側はサンジル礼拝堂12世紀の木製の扉が残っている。

二つ目の柱間南側を向くと、下の説明パネルの図と同じく、外の建物が見える。

ロマネスク様式のポーチ(12世紀) 19世紀のイラスト(説明パネルより)
説明パネルは、ロマネスク様式のポーチが大聖堂の身廊と側廊の一部を支えているという。
この言葉は内部に入るとよく分かる。聖堂が傾斜地に建造されているために、身廊や側廊の西ファサード側をこのポーチが支えているのだ。


三つ目の柱間
くぐったアーチには頂部に大天使、両側の面に司教らしき人物が描かれる。


振り返るとこんな風にルピュイの街が見えた。

何故聖堂内でも階段が続くかというと、この聖堂は、サンミシェルデギュイユ礼拝堂や聖母子像のような尖峰に建てられているのではないが、やはり火山のアニ山の上に建てられているからだ。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂断面図 L'ART ROMAN  LA GRAMMAIRE DES STYLES より


本来、教会というものは、そのまま西ファサードに扉口があってそこから堂内に入るのだが、このカテドラルでは、右手の階段を上って身廊に入る。

入口から入ると、十字交差部の2つ手前の南側廊である。側廊はリブのある交差天井。


南翼廊の反対側
2連アーチのところが南翼廊


身廊から西ファサード側
床は石だが、椅子の間に一部金属の網(グリル)が嵌め込んである。この下には、朝の礼拝の後、巡礼者たちが降りていく階段が隠れている。


身廊の天井は八角形だが、真円ではなく横長。
ビザンチン様式でもイスラームのドームでもない。詳しくは後日忘れへんうちににて

身廊のほかの天井もやっぱり横長。



⑬内陣には小さな黒い聖母子像
黒い聖母像については後日忘れへんうちににて

⑭南翼廊
2つのアーチの奥には彫像とフレスコ画があるが、どちらも聖ヤコブ像

北翼廊には古いフレスコ画が残っている。



⑫聖十字架の礼拝堂 La chapelle du Saint-Crucifix 
熱病にかかった人がこの石板に横たわると治癒したという言い伝えがある。


見学後は同じ通路から大階段へと向かった。脇の階段から中央に来て振り返ると、木製の扉があった。
これが、身廊の開いたグリルに姿を現した階段を降りて、サンティアゴデコンポステーラへと向かっていく時に開かれる扉である。

この扉の南側にある階段をおりてきたが、北側階段は立ち入り禁止になっている。


階段の先には交差天井が続いていて上の階は⑨石落としの建物、
東側には回廊があるが、ここからは行くことはできないようだ。


再び西ファサードの大階段。ターブル通り Rue des Tables の下り坂は、もうこの位置より前から始まっているのだった。

朝散歩でもこの通りを避けた。サンミシェルデギュィユ礼拝堂からも通らなかったので、ノートルダムデュピュイ司教座聖堂の正面へと誘うこのターブル通りは、聖堂を見ながら登ることはしなかった。


右建物の二階には聖母子像があった。


ターブル広場にの泉。


坂をもう少し下り、ジャンヌ・ダルクという幼稚園の細長い建物を通って、グランジュヴィエイユ(古い穀物倉)通り Rue Grangevieilleへ。

初めは地味な色の建物が並んでいたが、段々色とりどりの建物となってきた。それにしても、細長い建物が続くこと。


このT字路の右角には聖母子像が壁に取り付けられていた。

どっしりと坐る聖母の左膝に幼子キリストは立っている。

しばらく歩いてレストラン、
レキュドール l'Ecu d'Or (金貨)へ。
アーチが2連

店内は低い交差ヴォールトにリブのある天井で、中世の礼拝堂のものを使っているとのこと。壁画には料理長の帽子を被った人も登場している。

アミューズ

ルピュイの名物レンズ豆を使った前菜

他の野菜とともにマリネしたものが柔らかいがボリュームのある皮で巻いてある。
これだけで八分目。

ヴォザック産 マスのポワレここでもライスが付いてきた。
先ほどの皿といい、この皿といい、面白い陶器を使っている。

デザートはフォンダンショコラ
手前のスプーンは料理を食べる大きなもの。これは大きさが日本のよりや大きめなので食べ切れた。

食後のコーヒー


どの道を歩いたかが分かるようにGPSを提げていた。1日持つはずの電池が半日でなくなるので、ホテルに帰って充電していた(これも長時間要する)ものと取り替えて、再び出掛けた。



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参考文献
La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」 Emmanuel Gobilliard et Luc Olivier 2010 Édition du Signe
「L'ART ROMAN  LA GRAMMAIRE DES STYLES」 HENRY MARTIN 1946年 FLAMMARION