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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2018年7月23日月曜日

トゥールーズ サンセルナン聖堂 外観


ホテルを出発し、カメラを構える間もなくガロンヌ川を渡る。
Google Earthより 
細い水路が運河であると気付いたが、水路を渡っても写す余裕がなく、やっと信号待ちで橋の上で止まった。が、ミディ運河かその支流ブリエンヌ運河かは不明。
ミディ運河は17世紀に建造され、大西洋と地中海を結ぶ交易ルートとなった。
旧市街中心部(トゥールーズの観光局発行の地図より)

バスが停車したのは、ストラスブール大通り(Bd Strasbourg)の小さなマルシェが開かれている一角。
スイカやサクランボなど果物が並んでいる。
バスを降りるとサンベルナール通り(Rue St-Bernard)の奥にサンセルナン教会の塔と後陣が見えていた。20数年前に勉強を始めたフランスのロマネスク美術がやっと鑑賞できることになったこの旅だが、バスでの移動はあまりにもあっけなかった。
それぞれに文様の違うバルコン(balcon)の鉄格子の並ぶこの通りをサンセルナン教会に向かって足早に歩いて行く。
塔は五層だが、近づくと全体が見えなくなるので、写すなら遠方から。しかし、道路の真ん中は車が通るので、正面からは撮影できない。
『visiter Saint-Sernin』は、交差部に建造された八角形の鐘楼は、建築の4段階を表している。一番下は内部のドームに接し、各面一対の開口部のないアーチがあり、わずかに開いた矢狭間から光が入り込むという。

両側の建物がなくなったころには、後陣に隠れて上の三層しか見えなくなっていた。
後陣の主祭壇を巡る周歩廊には5つの祭室が付属するが、ここでは3つの祭室が見えている。
石材に乏しいトゥールーズでは、地元で産出される赤い土を使ったレンガで建物を造ったため、バラ色の街と呼ばれているとはいうが、サンセルナン聖堂は意外と石材が使われている。
正面のステンドグラス。中で見ると光が差し込んで鮮やかだが、外からは黒っぽいだけ。
上から放射状の光が降り注いでいる。下側は2本の円柱と植物文様が左右対称に表されている。
上部の玉座(荘厳)のキリストも左右対称で古風。オリジナルだろうか?

祭室の一つ
柱頭にはアカンサス風の植物文様、モディヨン(modillon、軒持送り)には獣頭や人頭の装飾がある。
後陣から南面へ。側廊にまで小祭室が出っ張っている。
ここでも各軒下には動物や人の頭部で装飾されたモディヨンが並ぶ。

サンセルナン聖堂(La Basilique Saint-Sernin)
平面図では、後陣の放射状祭室は5つ、翼廊には南北各2つずつある。
『フランス ロマネスクを巡る旅』は、赤レンガと白い石のツートーンカラーが美しいサ=セルナン聖堂は東西の長さ115m、現存するロマネスクの聖堂では最大の規模をほこる。3世紀の殉教者・聖セルナンの遺物を安置するために建てられた小堂に端を発する修道院の教会が、幾度かの建て替えをへてここまで巨大になったのは、なんといってもサンティアゴ・デ・コンポステラのおかげ。現在の建物が計画された11世紀後半には、トゥールーズの町はすへ聖地をめざす巡礼客がひきもきらなかったのだから。その後度重なる破壊で修道院は失われ、教会の外装も修復で大幅に変更されたが、内部の壁画や彫刻群はロマネスクの旧状を保つという。
聖堂を建造する時の順番として、まず最初に祈りを捧げる後陣から建て始めるのだという。
先ほどの五層の塔は交差部に造られている。

南扉口(Porte de Comtes、伯爵たちの門)。

『visiter Saint-Sernin』は、有名な”伯爵たちの門”は、当初の姿をとどめている。軒先がモディヨンで縁取られている。スパンドレルのアーチ形の枠にある3つの浮彫は、現在は削られているという。
その上部
ロマネスク様式なので、上方の高窓も中段も、地上階もすべて半円アーチ。
同書は、中央のアーチ形枠は2頭のライオンに挟まれており、sanctus Saturninusという銘がある。それは教会の守護聖人である。残りの2つのアーチ形には、PapoulとHonestあるいは、その後継者のSilveとExupèreだろうという。
現在セルナンと呼ばれているこの聖堂の名に冠されている聖人は、建立当時は聖サトゥルニウスと呼ばれていた。削り残されたギザギザの衣文から、かなりの浅浮彫だったことが伺える。
軒の出っ張りを持送りの部材(モディヨン)で支えているが、それにこんな装飾も付け足す、ロマネスク美術の遊び心。
右より牡牛、ネコ科の動物、人物
耳が長いのでウサギ?、犬?、女性?
2つ目のアーチ
髭のある人物、男性、犬?
一つダブってしまった。
人物と牡牛
同書は、それぞれの扉口は2つの出っ張りがある。それは柱頭彫刻のある大理石の円柱と繋がっている。8つの柱頭彫刻は、聖書や聖人伝などの人物で飾られていて、地獄の罰と魂の救済に関するものである。悪徳(贅沢な男と女、吝嗇)と悪の力(男の頭を叩く怪物)は金持ちと哀れなラザロの例え話が右の扉口に表されている。金持ちは食卓に着き、その右に召使いがいる。ラザロはすでにその聖性によって頭光があり、彼の傷をなめる犬が哀れさだけを招く。次の柱頭では、天使たちが、祈るラザロの魂を象徴する小さな裸の人物のいるマンドルラ(アーモンド形の身光)を掲げているという。
中央の柱では、二度謎の場面が現れる。二人の人物が別の人物の腕を引っ張りあげているという。
これらの彫刻は1082-1083年より以前に造られたという。
内容はわからないが、羽根のあるのは天使ではなく悪魔のよう。

南側廊に沿って歩いていくと、破壊された修道院の扉口だけが残っている。
何故身廊部も長く入れて横長に写さなかったのか、塔にしか注目していなかった。
『visiter Saint-Sernin』は、十字交差部の上に建てられた八角形の鐘楼は、建設の4つの段階を見せている。最も低いものは半球天井に繋がっている。
下の三層は半円アーチのロマネスク様式、各面は開口部のない2つの窓(細い矢狭間だけから内部に光が入る)は正半円アーチ。南仏風の外観にガーグイユがいるのは、この層の最初は、テラスか屋根が架かっていたとしか考えられない。その上の2層は、少しずつ引っ込んでいる。各面に2つの窓があるが、それは開いていて、石の飾りアーチによってアクセントが付けられているという。
上の二層は一見尖頭アーチのゴシック様式、と思っていたが、ゴシックの尖頭アーチは曲線なのに、この塔は直線で仕上げてある。ゴシック様式ではないのかな?
同書は、更に上の2つの層は、13世紀後半、1283年以前に建造され、三角形が上にのっている。以来、柱間には僧帽形アーチが架かり、サンセルナンのロマネスク建築の新たな姿となった。この原型は、トゥールーズ地方(1298年に完成したジャコバン教会の鐘楼はもっと完璧な例)の偉大な成功例として知られている。1478年、やっとその尖塔が石工によって再建され、65mの高さに黄金の宝珠に十字架を頂いているという。

古い時代の修道院扉口から入る。
楣石の下だけ見ると、左右に紋のようなものがあって、イスラームの門構え(ピーシュターク)のよう。
同書は、修道院の囲いで唯一現存する、1530年頃のプラテレスコ様式で装飾された門という。
タンパンと下の楣石にはアカンサス唐草が表されている。
アーチ左右上部の円の中には人物の浮彫があったような痕跡が。
タンパン中央には三段の柱のようなものがあり、それを渦巻くアカンサス唐草が取り巻いているが、アカンサス唐草は一つ一つ独立している。茎は細いが力強い。
このような繊細な浮彫装飾が、プラテレスコ(銀細工様式)と呼ばれるスペインの初期ルネサンスのものらしい。
左の則柱の上部柱頭には三日月を3つ配した紋章のようなものがある。

そして、これがこの聖堂の見所の一つ、ミエジュヴィル門(Porte Miègeville)。細部は後日。
タンパン(tympan、扉口上部の半円形壁面、英語ではテュンパヌム)とそれを支える楣石(linteau、ラントー、英語ではリンテル)
手を挙げて踊っているようにも見えるが、1110年に造られたこのタンパンのテーマは「キリストの昇天」である。
『図説ロマネスクの教会堂』は、モニュメンタルな彫刻で扉口を飾った早い例の一つにラングドック地方の大都市トゥールーズのサン・セルナン教会堂がある。その南外壁に位置する「ミエジュヴィル扉口」のテュンパヌムという枠組とそれを構成する5つの石の形、横長部材のリンテル、そして上昇運動を示す図像であるという。
詳細については後日。

   トゥールーズで朝散歩←   →サンセルナン聖堂 内部

関連項目
サンセルナン聖堂 ミエジュヴィル門の浮彫装飾
 
参考文献
「中世美の様式下 ロマネスク・ゴシック美術編」 オフィス・ドリーブル編 大高保三郎・岡崎文夫・安發和彰訳 1991年 連合出版
「visiter Saint-Sernin」 Quitterie et Daniel Cazes ÉDITION SUDOUEST
「図説ロマネスクの教会堂」 辻本敬子・ダーリング益代 2003年 河出書房新社
「フランス ロマネスクを巡る旅」 中村好文・木俣元一 2004年 新潮社