紅葉の始まった木々のトンネルを抜けて行く(ピンボケ😅)。
淡路島や大鳴門大橋・明石大橋も見えたらしいが、樹木が成長して・・・😮
大阪の高層建物群と六甲山
その続き
遠くからでも見える鐘の鳴る展望台へ
展望台最上部より
大阪の高層建物群と六甲山
その続き
遠くからでも見える鐘の鳴る展望台へ
昨日大阪の太子町で古墳巡りをしていた時はうっかりと見逃した二上山(だと思う)
反対側には電波塔がたくさん並んでいる生駒山
ここからなら明石大橋が見えるかも。あべのハルカスと、白い蒸気を出す煙突の間くらいに。
うっすらと2本のポール、(いや主塔というらしいです、明石海峡大橋 ブリッジワールドより)
道路に戻り、紅葉と山岳道路のカーブを楽しみながら、
反対側には電波塔がたくさん並んでいる生駒山
ここからなら明石大橋が見えるかも。あべのハルカスと、白い蒸気を出す煙突の間くらいに。
うっすらと2本のポール、(いや主塔というらしいです、明石海峡大橋 ブリッジワールドより)
夫のカメラでは斜張橋らしきことが分かる程度には写っていた。
傍らに咲いていたのはアキノタムラソウではなくノハラアザミ。
クサギという低木らしい。漢字で書くと「臭木」とは気の毒、匂いはなかったのに😕
民家のある狭い狭い道を少し行ったところで四つ角に出た。向かい側には「大阪府」「東大阪市」とあり、
いつ頃の物か不明だが、石の道しるべに「暗峠」と彫られていた。
この道を行くとパノラマ展望台に行けるらしい。
右手の峠の茶屋は土日だけ営業。平日だったので閉まっていた。
暗峠は以前から来てみたいと思っていた。やっと重い腰をあげた夫は、事前に調べて、物凄く狭いし傾斜がきついからとても運転できないと、信貴生駒スカイラインの駐車場に車を置いて、歩いて暗峠に来ることにしたのだった。
人はちらほら。車は滅多に通らないと力説する夫の背後に、奈良県側から車がやってきた。運転してきた人に聞くと、狭いけれど通れますとのこと。
確かに道標のところが峠になっていて、向こう側が大阪側、こちら側が奈良への下り坂。
民家の玄関には今年やって来たツバメたちの巣が。
信貴生駒スカイラインの下はかなり狭くなっていて、その前後の道とは角度が違うので通りにくそう🤔
奈良県側の方が勾配が緩やかだとか。右が国道308号。
信貴生駒スカイラインの下はかなり狭くなっていて、その前後の道とは角度が違うので通りにくそう🤔
反対側には「通行不可 暗峠 せまいため 幅1.8m ロングボディーの車」とあった。
傾斜地を耕している人や走って来る人など、地元の人を見かけた。
中央の突起には「水準」と彫られていて、4個の石で保護されている。一等水準点という。道路はいつの間にか滑り止めのOリング状に。建物は新しそうなので写さなかった地蔵堂の脇に道標と石灯籠があった。
説明パネルは、峠付近は石畳と石仏・道しるべ・石燈籠などがのこり、説明板の横にも「和州矢田山出迎地蔵尊」と刻む万延元年(1860)の道しるべ、摩滅した文政十年代の「おかげ燈籠」がありますという。
河内平野を横切り、生駒山地を越えて大阪と奈良側をむすぶ街道としては、北から中垣内越(なかがいとこえ 古堤街道)、暗腰(奈良街道)、十三峠越(十三街道)、亀ノ瀬越(北八尾街道)などがあり、これらとは別に枝道としていく本もの山越えの道が古くからありました。
このなかで、生駒山頂の南側の鞍部である暗峠(標高455m)を越える暗越奈良街道は、大阪と奈良間を最短距離でつなぐ八里八町(約34㎞)の道ですという。
日下の直越(ただごえ)の道とともに奈良時代以前から利用されてきた古道の一つですが、江戸時代に入って本街道ではなく脇街道としてさかんに利用され、旅客・貨物の重要な交通路となりました。この街道の難所である「暗峠」には石畳が敷かれ、『河内名所図会』(1801年刊)に描かれているように、「河内屋」「油屋」など20軒ちかくの茶店や旅籠があり、伊勢参りの人々でにぎわいをみせましたという。
この辺りまでは比較的広い国道308号だが、
山歩きをしていた頃は山岳道路が得意だった夫は、ひょっとすると自分も運転できるかなと思うようになったようで、通りかかった人や車をとめては尋ねていた。
この先は狭く、S字カーブなどもあるので、対向車が来るとバックするのも大変です。通り慣れている人はどこまで戻ると離合できるかが分かっているからこそ通れるんです、ということだった。参考サイト