お知らせ

中央アジア各国そしてイラン旅行記が完成し、フランス南西部のオクシタニー地方の旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2019年5月20日月曜日

ソレーズ(Sorèze)


再び農地と森を通ってソレーズの小さな町へ。
ソレーズの地図(ミディ・ピレネ観光局発行のリーフレットより)
ソレーズもまたバスティード(城塞都市)だった。

駐車場でバスを降りオリヴァル小川(ruisseau l’Orival)を渡ってサンマルタン通り(Rue Saint-Martin)を直進。右端が観光案内所。
左の石壁の残骸とうの建物から出ているものは、バスティードのマルマグラード門(Porte Malmagrade)
観光局発行のリーフレットは右の長い建物について、754年設立のベネディクト会修道院だったが、幾度も破壊され、17世紀に生まれ変わり、18世紀には王立の士官学校に昇格して有名になった(革命まで)。その後私立学校はとなったが、1991年に閉校した。現在は修道院学校となっているという。
左の蔦が絡まりすぎた長い建物は、現在はレストランのようだった。
その向かいの木組みの家は一階が岩を刳り貫いて造ったみたいにごつごつしている。

その先のT字路にそびえていたのは、遠方から角錐の塔が見えていたサンマルタン鐘楼(16世紀)
植え込みには4弁のクレマチス


そのままサンマルタン通りを進んでT字路を右折。
ラコルデール通り(R.Lacordaire)へ。住民のものと思われる車は道端に駐まっているが、人には出会わない。
マキ通り(R.du Maquis)との交差点で左を覗くと、珍しく人がいて、車止めに坐っていた。
右の方にはサンマルタン鐘楼
直進するとまたT字路。バスティードは中世に計画的に造られた町なので、直線の道路が縦横に通っているのではないの?

今度は曲がらずに直進して柵の中へ。この建物は先ほどの修道院学校の玄関。
説明パネルは、古い教会跡に今日では修道院学校の玄関の中庭がある。白い大理石の彫像はリヨンの彫刻家ジラルデ(Girardet)の作品。アンリ・ドミニク・ラコルデール(Henri-Dominique Lacordaire)修道院長を彫ったという。
右側へ入って行く。現在はホテルでもあるらしい。
この正面の前庭(cour d’honneur)は星形の舗床モザイク(18世紀)があるというのだが、分かりにくい。
建物内に入ると正面に立派な階段が。
しかし、上階には行かず、長い廊下をどんどんと歩いて行く。

ようやく着いたのは広い食堂の間
天井は簡素な梁と板
待っている間に窓の外を眺めると、そこは赤の中庭(cour des Rouges)と西面の回廊だった(懲りずにパノラマ合成)。
角柱は生徒たちの落書きだらけ
 回廊には絵画が掛かっている。
サンマルタン鐘楼は中庭からも見えるのだった。

珍しくアプリコット・ジュースではない、ネクター類が揃っていた。
桃とブドウのネクターにした。濃厚な
乾燥生ハム(Jambon sec 130日以上熟成させた生ハム)はパンとバターで
牛ステーキ赤ワインソース
クルミのケーキとソース
食後のカフェはエクスプレス

食後は修道院学校を探検。

入ってきた正面の前庭の前を通り過ぎ、中庭(cloître)沿いの廊下を東へ。壁に掛かっているのは歴代の生徒の名前。
その一つ

中庭の植え込み、または古い井戸
日陰には上下不ぞろいの石でつくられた棺。
ちょっと部屋を拝見。白い部屋の右の扉は青いので、
誘われて覗いてみると、水色一色だった。「青い部屋 神父たちの食堂(Salon Bleu Réfectoire des Pères)」だそう。
廊下に戻り、外に出て左側。プラタナス?の並木天を支えているような剪定をしている。
前方には広々とした庭。彫像もある。
右側は2列の並木。修道院の回廊のように、迷走しながらこの間を散策したのだろうか。
建物の右から眺めると、サンマルタン鐘楼が顔を出し、建物の前ではパラソルを開いたり、椅子を出したりしていた。ここの木の方が大きい。

庭側から外に出ることになった。広々とした運動場?とあちこちに残る並木。前方の山はモンターニュ・ノワールの始まり。
修道院学校の塀はつづき、
その間からサンマルタン鐘楼が見えたが、手前の建物は屋根が落ちていて、どうも火災の跡のよう。

塀の向こうには教会。
教会は小さいが窓が開かれていて、尖頭ではなく半円のアーチ窓は細長い。
しかも、修復の時に現代風のステンドグラスが嵌め込まれたもよう。
正面に回り込む。

小教区教会(égleise paroissiale)
説明パネルは、小教区教会(1862年)学校の庭の狭い一角にラコルデール神父(Lacordaire)が奉献したという。
柱頭は二段のアカンサスでロマネスク風。
尖頭ヴォールトの身廊の奥が直接後陣になっている。
そして外から見ただけでは想像できないこのステンドグラス。キリスト伝など、人物を表したものよりもいいかも。

教会の外に出て左手にバスティードの門カストル門(Porte de Castres)
説明パネルは、ノートルダム通り(Allée Notre-Dame)のすぐ近くにあるカストル門は、町を囲む要塞の名残である。半月堡塁の濠が埋め立てられたという。
マキ通り(R.du Maquis)に入るとサンマルタン鐘楼がまた見えた。
説明パネルは、カストル(Castres)の古い通り。町の主な住宅区で、16-17世紀の木組みや張り出しのある家屋が保存されている。19、22、26番地は木製の持送りが梁を支えているという。
左手に修道院学校の塀に行き当たる古い町通り(R.Ville Vielle)
右手のラストゥル通り(R.Rastoul)の奥には生活感が感じられた。楕円の看板は、「詩と芸術 言葉と色彩」とある。
両側の二階以上が出っ張っているのはどの町も同じ。その軒下飾りは木製の場合も多い。
右の緑の雨戸の家が24と26番地。
21番地の店の軒先に箒を持った魔女が。
24と26番地。
木組み(コロンバージュ)と軒下飾りの朽ちた木材と、つみかさなった平レンガの目地とのバランスが絶妙。そのうち修復されて緑色になってしまうのだろうが。
正面から写していないので分かりにくいが、この2軒は木製のモディヨンに合わせて、梁に浮彫が施されている。
この緑の木枠の店は画廊だった。
左にはパスカル・オリヴィエ通り(R.Pascal Olivier、姓はオリーヴの木)
説明パネルは、村で一番古い界隈にある通りで、ソレーズに生まれた女流詩人パスカル・オリヴィエ(1896-1979)に因むという。
その先は尖頭アーチだ通路の上は梁を並べた平天井になっている。その上はどこかの家の一部だろう。その奥の壁は修道院学校の塀。
マキ通りの終わりの30番地はもっと武骨な家。
その先の開けた場所はラコルデール通りの一部で、食事前に通った通り。
その時は気付かなかったが、交差点にはこんな像が飾られていた。帆立貝(サンジャック)を首からさげ右手で杖を持つ巡礼者の姿だった。

マキ通りの先にはサンマルタン鐘楼が見えていた。上の方には凸壁が巡っており、このような小さな町の教会ですら防御を考えねばならなかった時代だったことを示している。
そしてその甲斐あってか、鐘楼だけは破壊を免れたということか。
鐘楼は八角形のようだが、ゴシック様式にしては窓の飾りが妙。

ラコルデール通りを通っていく。
⑱市役所
説明パネルは、1702年に建てられた。役場は後にラヴラン通りに移った。時計はルヴェルで製作されたものという。
ソレーズに最初に歩いたサンマルタン通りを左に見て、
段々狭くなるラコルデール通りを行く。結構二階が出っ張った家も。
軒下飾りのない家も。木材に漆喰でも塗っていたのだろうか、それが剥がれてきている。
左手の三階建ての建物は凹んでいて
一階はアンパス・ドン・ドヴィク(ドンジョン袋小路)というので覗き込むと、奥に木で見え隠れしているドアが見えた。

その先は⑳ドン・ドヴィク広場(Pl.dom Devic)
説明パネルは、ベネディクト会修道士でソレーズの昔の生徒でもあったクロード・ドヴィク司祭(1670-1734)は、22世紀にわたるラングドックの歴史を記したという。
突然開けて、住民が数人広場にいるのを見た。どれくらいの人口があるのだろう。売り家や貸屋の札は見かけないので、人が住んでいるのだろうが。
奥に噴水があり、広場はここで終わる。
正面の建物は一階がアーケードのようになっている。
回り込んで見ると、フェルリュ通り(R.Ferlus)まで抜けていた。ドン・ドヴィク広場では市が立ち、ここも店が並ぶのだろう。あるいはそれは過去の話かも。

レピュブリク通りへ。
説明パネルは、昔のパライル通り(R.des Parayres)で、織物と帽子用の羊毛の仕上げ師たちの通りだったという。
雨戸というのか鎧戸というのか、
途中でピュイヴェール通り(R.de Puyvert)へ。
突き当たりは修道院学校のファサードだった。

サンマルタン通りへ入って、やっとサンマルタン鐘楼をゆっくり見ることができた。
説明パネルは、サンマルタン聖堂は15世紀末-16世紀初頭に建立されたが、宗教戦争で1573年に破壊された。鐘楼は唯一の遺構である。20世紀になって改装されたという。
どうやらこの鐘楼は、こちら側の身廊の奥の後陣の上に建てられたもののよう。
身廊の屋根の木材を差し込んだ穴が残り、その下が飾り尖頭アーチの装飾があって、内陣へと続いている。内陣は放射状にリブが見え、細長い尖頭アーチの窓のあるゴシック様式のようだが建立された時代とは合わない。
中に入って天井を撮影。リブは8本あるが、ゴシック様式のように身廊側にはなく、東側の後陣に密にリブが張り出している。
正面には窓はなく、その両側に
2つずつ開かれている。

フリーズにはブドウの蔓や天使の浮彫。
各リブにも同じ高さで浮彫がある。
左は有翼の動物、右はブタのような怪物で、六角形のメダイヨンを掲げている。その中には幼子キリスト?
これは・・・たてがみがあるので2頭ともライオンなのだろう。
ふくよかな人魚
有翼の天使あるいは子供たち
こちらの方がライオンぽい。
有翼の天使?
右側の飾りアーチのフリーズにも、ケンタウロスや人魚など。左の飾りアーチではブドウの蔓だったのが、ここではロープとなっている。

リーフレットには空から見たソレーズの町の写真があった(南が上になっている)。
町の1/3くらいを修道院学校が占めている。傍に立つサンマルタン鐘楼、いや聖堂は、かつては町の中心だったのだ。

ソレーズ(Sorèze)を出発すると、高速道のインターのあるカステルノダリ(Castelnaudary)には向かわず、狭い山道をくねくねとバスは行った。同じ景色ではなく、モンターニュ・ノワール(Montagne・Noire)の裾野を通って行った。
ミディ運河を造ったピエール・ポール・ピケ(Pierre Paul Piquet)の記念碑がロータリーに。直進2㎞でミディ運河公園博物館という札があった。
木々の中か農地の間を縫っていく。
下り坂になって、セサック(Sessac)という町に入るところで、向こうに市壁らしきものが。
そして右手にはセサック城。思わぬところにもこんな城跡があるのだった。ここもまたアルビジョワ十字軍や宗教戦争、大革命と、各時代に被害を被ったという。

その後625号線から103号線へ。しばらくすると教会の側壁に石の板が貼り付けられているのが目に入ってきたが、写せず町中へ。サンドニ(Saint-Denis)という町だった。平たい石が並んだ壁は新しく、
教会や古い建物の壁は、鱗状の鎧張りとでも表現すれば良いのだろうか、劈開する粘板岩や頁岩を長方形タイル状に整えて下から壁に打ち付けていくとこうなるのだろう。

やがて雲に隠れゆくピレネー山脈が現れた。高速道とはひと味違った旅ができた。

       ルヴェル(Revel)←     →カルカソンヌ サンルイ地区

参考にしたもの
ミディ・ピレネ観光局発行のリーフレット、町のあちこちに設置された説明パネル