旧市街値地図
レピュブリック広場は噴水になっていた。
右と奥の建物は朝散歩で反対側を見た公立図書館。両隅に斜めに門がある。
突き当たりにフニクレールとメトロのヴィユー・リヨン(Vieux-Lyon 古いリヨン)駅がある。
遺跡に行くにはサンジュスト St-Just 行きの線、カテドラルに行くには フルヴィエール Fourvière 行きの線と分かれている。
我々は別の路線でフルヴィエールの丘へ。
晴れたら雪のアルプスが見えるはずだが、あいにくの曇り。
光を反射するソーヌ川、少し向こうにはローヌ川も少しだけ見える。
カテドラル・サンジャンも見えている。
新緑はまだ
フルヴィエールのノートルダム・バジリク聖堂
晴れたら雪のアルプスが見えるはずだが、あいにくの曇り。
19世紀に建てられたので、
ロマネスク様式の教会が好きな者が中に入ると驚く。昔来た時の記憶はないが、ロマネスク様式の教会などという知識もなかった当時でも、好きにはなれなかった。
モザイクの壁画が両側壁の柱間にあり、
外に出ると、あちらにもこちらにも子供たち。木曜日は課外学習の日で、教室の外に出て見学している。
ロマネスク様式の教会が好きな者が中に入ると驚く。昔来た時の記憶はないが、ロマネスク様式の教会などという知識もなかった当時でも、好きにはなれなかった。
またフニクレールで旧市街に下りて、リヨンの伝統工芸である織物の様子を見に行った。
まずフニクレールの駅を出て右方向へ。最初の交差点の角には聖人の彫像が。
ここで狭いムールゲ通り Rue Mourguet に右折で入る。日本人のシェフのいるミシュランに認定されたレストラン La Sommelière (女性のソムリエという意味)は全てが臙脂色の木製の扉で覆われていた。近すぎて全部が撮せない。
まずフニクレールの駅を出て右方向へ。最初の交差点の角には聖人の彫像が。
1930年代の機械でビロードを織るところを少し見せてもらった(静止画なし)。
金糸・銀糸を使ったりするらしい。8000本の経糸をパンチカードに従って上下させながら織っていく。このような織物はお城などのの内装に使われる特殊なものという。
あまりにも短時間のため、どんな文様かは分からなかった。
お店を出て、トラマサック通り Rue Tramassac で運良くサンジュスト線のフニクレールが通っていた。その下には中学生か高校生たちの群れ。小学生だけでなく、もっと大きくなっても課外学習の日はあるらしい。
その後フニクレールの駅を通り過ぎて、広場の朝市に目もくれず、
この建物については後日忘れへんうちににて。
裏には古い遺構が残っていても、西ファサードはすっかりゴシック。
聖人などの像が嵌まっていた出っ張り。シャルトルの建立開始はロマネスク様式、完成時にはゴシック様式になっていたカテドラルにはあったけれど、ロマネスク様式の教会にはないもの。
次の Rue de la Bombarde ボンバルド(砲撃)通りを左へ折れると北側にバゾシュ広場 Place de la Basoche
説明パネルは、この広場は、1968年に、不衛生な状況によるボンバルド通り6番地の建物の取り壊しに続いて誕生した。 このブロックは、中庭と天窓で換気されていた。 この複合施設の建築上の特徴の1つは、窓のあるらせん階段です。
正方形の現在の枠 (黒い線で区切られている) は、取り壊された建物によって残された空間です。これは、ナポレオン時代の地籍の古い区画区分 (赤い線で区切られている) を含めたものという。
らせん階段は写っていない。
サンジャン通りに戻って右側に裁判所の建物、左に居住区となった。その一つには赤レンガ色のミニアチュールとシネマの博物館があったが、改装中だった。
その建物は現在でも居住者たちがいるので、公開されているところをガイドさんに案内してもらった。
サンジャン通りのドアから入ったのに、出てきたのは牛肉通り Rue de Boeuf だった。
ちょっと広い通りに思えるヌーヴ・サンジャン(新しい聖ヨハネ)広場 Place Neuve St-Jean とのT字路にある牛の浮彫
サンジャン通りに戻ると、古本屋、
店の前に並んだ中から早々と2冊購入。
何故こういうお店でしかないチョコレートを買わないのか、自分でも不思議。
ここでプラリーヌ praline というアーモンドに赤い色の砂糖を厚くかけたお菓子の説明を聞いた。
後日クレルモンフェランのカルフールで買ったもの。ものすごく硬い。
もう少し北にあるグヴェルヌマン広場 Pl. du Gouvernement を過ぎた左手にギニョールの人形劇の博物館があった。
別のトラブールでトロワ・マリー(3人のマリア)通り Rue des Trois-Marie に出て、
というところで本日の見学は終了。サンジャン通りを南下、サンジャン司教座聖堂を過ぎてエドワール・コメット広場のマルシェの中を通る。
セレスタン河岸 Quai Célestins に面したレストラン、ラ・メール・レア(レア母さん) La Mère Léa で昼食。
これだけでメインといってもいいくらいボリュームがある。白アスパラがリエットを巻いている
これも大きい。日本のデザートの3倍くらいある。
全てを間食して、最後は濃いカフェで締める。
レストランのトイレで待っていたとき、高齢のマダムが声をかけてきた。
それはいい習慣ね。この国にはその習慣がないから、コロナに感染して大変だった
花粉症なのでマスクを付けているんですよ
まだ花粉症という名称も一般的ではなかった頃から花粉症だったので、旅行していてマスクをとがめられたときのために覚えてきた文をこんなところで言う機会があろうとは。
今回の旅行では、マスクをしていたからといって非難されることもなかったし、昔日本で防塵マスクを付けていたら好奇の目で見られたことがあるが、そんなこともなかった。さすが個人主義のお国柄。
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参考にしたもの
「LYON TOURISME ET CONGTRÉS」の地図