左右両側の車窓から小さな町が次々に現れては消えていく。そんな小さな町には必ず教会がある。
サンサテュルナンの町とノートルダム聖堂
聖堂の大きさとかけ離れた高く天を突くような尖塔のあるゴシック様式の教会と町、
モントン Monton のマリア像だろうか。
近くにブドウ畑、向こうの小高い丘の上には・・・マリア像ではなく円塔のようなものが。
段々と高速道路沿いの地形が平たくなって、西方向に雪山が現れた。
そしてやってきたモンペルーの町。駐車場に咲いていたのは白いタンポポ
ではなかった。葉が違う。
これは黄色いタンポポ
Google レンズで検索すると、一番多いのがオランダフウロ、次いでヒメフウロ。
拡大してみると城跡があったが、Google Map や Google Earth で探し出せない。
アルコーズ砂岩の際に咲くピンクの五弁花
説明パネルは、何世紀にもわたって、「モンペトロスス」(石の多い山)であるモンペルーは、これらのアルコーズの採石場とブドウ畑が主産業だった。
Rue de la Quye キー通りへと名称が変わり、アーチの形から、古くはなさそうだか、
可愛い鉄格子の向こうが明るいので、
失礼ながら覗いてみると、右側には金属製の円柱が並んでいたが、奥にはアルコーズ砂岩を積んだ建物と水色のドア、その前にまだ葉の出ていない太い幹の木があった。
キー通りを歩いて行くと、いつの間にか右側には建物がなくなって、また雪山が見えてきたた。
北の方に目を移すと、ピュイドドーム山 Puy de Dôme とそれに続く山々も全て見晴らせるほど雲がない。
ここでキー通りは左方向に向かう。
その分岐点あるのはアルコーズ砂岩がその後石臼に使用されたこと、切り出しに使われた金具などが展示されていた。
別の角度から見ると
石切りに使われた道具類
キー通りを進むと14世紀の門の前に来た。
グランドシャレール通りの小さな広場。写真を写しながら歩くので、遅れがち😅
向かいの建物
この先の狭いカヴ(酒蔵)通り Rue des Caves は見過ごして、
左手のシュカス(コクマルガラス)通り Rue des Choucas も過ぎると、いよいよ円塔が見えてきた。柵や階段があるので、中に入れるのかも。
思ったよりも薄い石の壁
半円筒形のものはトイレ
これが矢狭間か銃眼かは建造された時代によるが、14世紀のヨーロッパはどちだろうか。
グランドシャレール通りはこの辺りで終わり、ピエールヴィクトールルジエ広場 Place de Pierre Victor Rougier となる。
この少し先に円塔への入口があった。
こんな風に歩きながら監視塔を見て回ることができた。
その後ドンジョン通りに変わったが、どの辺りだっただろうか、古い家を改装していた。
ここから振り返ると、監視塔にモンペルーの旗がたなびいていた。
天才 Genie という工務店かメーカーの作業車が可愛い。
ドンジョン通りは上り坂となり、改築の様子がよく見えた。
狭い道に沿った建物の窓枠に、浮彫のある古い石材を使ってあったりと、じっくりと味わいたかった。
そして中世の門までもどってきた。
そしてキー通りから去って行った。
1875年頃の害虫フィロキセラによりブドウ畑は壊滅し、同時にアルコーズ砂岩の採石場も1930年代の終わりで衰退し、基本的に石臼の切断のみに縮小された。
アルコース砂岩は、特にオーヴェルニュで最も美しいロマネスク様式の教会、クレルモンフェランのノートルダムデュポール、イソワールのサントストモワヌ、サンサトゥルナンの教会などを建設するために使用されたという。
Rue des Grange グランジュ(倉庫)通りから
こんな小さな町でも城壁に囲まれていたんだなあ、と小さな町を訪れるたびに思う。
この辺りはジョゼフ・ペロルという人の名のついた広場で、
門をくぐる前に右手を見ると、結構な下り坂の向こうに農地と丘陵地が広がっていた。
門をくぐると通りの名はグランドシャレール Rue de la Grande Charreyre と変わったが、この道は右へそれるドンジョン(見張り塔)通り Rue du Donjon。
左手のシュカス(コクマルガラス)通り Rue des Choucas も過ぎると、いよいよ円塔が見えてきた。柵や階段があるので、中に入れるのかも。
その後ドンジョン通りに変わったが、どの辺りだっただろうか、古い家を改装していた。
壁にパサージュデザルシュ Passage des Archers(射手の小道)と書いてあるが、Google Map にはない。
そして中世の門までもどってきた。
門を出て見えたのは Église de l'Assomption 被昇天教会という聖母マリアに捧げられたロマネスク様式の教会だった。