お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2019年11月14日木曜日

パエストゥム(Paestum) 遺跡


ターラントからパエストゥムへ

港町のターラントを出発。
しばらく平地を走っていると、神殿の遺跡を見かけた。両側の列柱が数本ずつ残っている。
もっとよく撮影しようとカメラを構えていたが、写せたのはこんな写真。
メタポント(Metaponto)近くのタヴォレ・パラティーノ神殿(前6世紀 Tavole Palatine)。高くはないが、ドーリア式の柱頭と力強い列柱がその創建時代を表している

段々と丘陵地帯に入ってきて、線路が近づいたり離れたり。あ、丘の上に町が。洞窟住居の町マテーラではないと思うが・・・
風景はいろいろと変化して面白い。長靴のかかとから甲へと移動中。向こうの崖との間にはバセント(Basento)川が流れている。

丘の上には教会と幾つかの建物が。

やがて高速道が高くなり、町を見下ろし出した。
工事区間があったので高速道を下りて
バスは戻り気味に走って行く。
こんな田舎道を通ったりして楽しかった。
高速道に戻る。あんな岩山の上にも集落が。

半日かかってパエストゥムの町へ。
パエストゥムはモッツァレラチーズで有名な町。水牛の牧場が広がっている。
レストランの前の風景。
昼食のレストランも、チーズ工場直営店だった。
本来モッツァレラチーズは水牛(bufala)のミルクから作るもの。しかし、発酵していないので、日持ちせず、持ち帰れないのが残念。
そこで、できたてのモッツァレラチーズ(モッツァレッラ・ディ・ブ-ファラ mozzarella di Bufala)をがっついた。
写真では大きさがわからないが、トマトが大きいのではなく、巨大なモッツァレラチーズ切り身+鶏卵のような小さなモッツァレラチーズが大皿に盛ってある。これで一人前、完食したのは我々夫婦だけ😅
続いてペンネ
水牛ミルクのソフトクリーム

食後は腹ごなしに遺跡見学。大半は石灰岩

パエストゥムの遺跡は居住区などを含めると広大で、周壁に囲まれ、3つの門があった。
建物の遺構が発掘されたり、復元されたりして、見学できるのはその中心部のみ。
現地の説明パネルより
①第1ヘラ神殿 ②第2ヘラ神殿 ③ギリシア時代の祭壇 ④ローマ時代の祭壇 ⑤沐浴場 ⑥バシリカ ⑦公衆浴場 ⑧アゴラ(ローマ時代にはフォロ) ⑨野外公開会議場(コミティウム) ⑩円形闘技場 ⑪一石柱の建造物 ⑫市民会議場 ⑬英雄廟(ヘローン) ⑭アテナ神殿

東北上空から見た遺跡鳥瞰図(現地の説明パネル)

南の入口から入ると、早速2つの神殿。遠方からでしか捉えられないくらい大きい。南の神殿は長辺の円柱が18本で短辺のちょうど2倍。
左手には舗装されていない道。
南北を貫く石が敷かれた道路は聖なる道と呼ばれ、
その西側は居住区。
聖なる道、今立っている角石を並べた道?そして現在の人々が通る道。
ただの雑草に花が咲いているだけだが、私は派手な花よりこんな花が好み
ゴマノハグサ科の花


こんな風に花を写しているとすぐに神殿に着いた。

この付近の地図(現地の説明パネル)
⑧第1ヘラ神殿 ⑦第2ヘラ神殿 ⑦Bローマ時代の祭壇 ⑦Aギリシア時代の祭壇


① 第1ヘラ神殿(通称バシリカ) 前540年頃(パエストゥムで最古) 床面24.5X54.27m 貝殻石灰岩
『世界美術大全集3』は、ギリシア人が南イタリアに建設した植民都市ポセイドニア(現パエストゥム)には、前6世紀半ばから前5世紀中頃にかけて建設されたドーリス式神殿が3棟残っている。そのうちアゴラの前に最初に建設されたのが第1ヘラ神殿であるという。
円柱はずんぐりしたエンタシス。
ドーリス式神殿としては異例の平面形式をもっている。正面9本、側面18本という周柱の数は、ドーリス式としては例外的に多いが、個々の円柱は全体の規模からすると比較的小さくつくられている。つまり、建築家は大規模な神殿をつくるに当たって、柱や梁の各部材寸法を大型化する代わりにその数を増やし、柱間を狭くして梁にかかる重量を軽減するとともに施工の合理化をはかったものと考えられる。このことはナオスの中央に列柱を置き、壁体と列柱で全幅を4等分したことにも表れている。
周柱と壁体との間隔が広く、柱間にしておよそ2間分が取られている点は、コルフのアルテミス神殿(前580年頃)からの影響が感じられるという。
周柱と壁面の間を柱廊(ペリスタシス)が巡る。東側が入口で、壁の内側は、前室(プロナオス)、主室(ケラ、ナオス)、後室(オピストドモス)。

第1ヘラ神殿と第2ヘラ神殿の間を通ったので、第1ヘラ神殿は日陰の北側をしか見えなかった。18本のうち5本半
そして11本半て何とか18本が入っていた。
内部にも円柱が立ち並んでいるのが柱間から窺えた。中に入れるものと思っていたのに。

② 第2ヘラ神殿(通称ネプチューン神殿) 前450年頃 床面24.3X59.9m
『PAESTUM』は、パエストゥムの神殿の中では最も新しい。西方では最も完全なドーリア式の神殿であるという。
平面図と立面図(説明パネルより)
説明パネルは、三段の基壇の上に、6X14本の円柱が立つ。3つの部屋があり、その中央には神像が安置されていた。ナオス(ケラ)は二つの二階建ての列柱によって3つに分かれている。祭壇は東の端に置かれ、その基礎だけが残っているという。
側面の柱は14本。
東面へ

東ファサード(出入口)とその東側の祭壇
東正面の円柱は6本
祭壇は、奥が③ギリシア時代(前5世紀)で、神殿に近い方が④ローマ時代(前1世紀)
神殿内へ。北側廊は列柱と壁面に囲まれていた(一部残存)
同西のペディメント(三角破風)の欠けた部分
前室(プロナオス)から主室(ナオス)へ
2列の列柱の間、後室(オピストドモス)が残っていないので、ナオスから西破風が見渡せる。
この二階建ての列柱は、アイギナ島のアファイア神殿(前500年頃)に先行する。外側の列柱に上部構造(エンタブラチュア)を載せた高さにそろえるため、ナオスの低い列柱の上に小円柱を立てている。それに横梁を渡して、中央に棟木を載せ、小屋組の屋根を架けたのだ。
上の小円柱は、下の円柱と同じ位置に立てられたため、柱間が広く感じる。
ナオスからプロナオスの円柱と東のペディメント(三角破風)
こんな風に見ると、ナオスの列柱と外側の列柱の高さの違いが分からない。

第2ヘラ神殿東側の通路より北方向へ

⑤ 神官たちが身を浄めた沐浴場
階段を降りて行く構造

その先左手に壁で囲まれた平らな土地があり、北側の遺構は⑥集会場 
その奥には⑦公衆浴場があった。
⑧ アゴラ(ローマ時代にはフォロ)
左右に広がる広大なアゴラの中を突っ切る。
フォロ(アゴラ)近辺の想像復元図
同平面図
⑨(上図では7)野外公開会議場(コミティウム ローマ時代)の右の通路を通って(背伸びしても見えない)、

⑩ 円形闘技場 前1世紀(スッラ-ユリウス・カエサル期)
焼成レンガの平たいアーチ状に積れたものは、中央部を補強した観客席への階段だった(後日ポンペイ遺跡でも見学した)。
中から出入口付近
通路と観客席。何故か内側の写真はこれだけ。
想像復元図(説明パネルより)

北側へと進んでいく。
ここにも⑪不明の大きな建造物があった。しかも、円柱はドラムを積み上げたものではなく、一石柱(モノリトス)のドーリア式。
何かわからない遺構は続いている。遠方に見えるのはアテナ神殿。
右向こうの樹木に覆われている辺りには、⑫円形の市民会議場(ekklesiasterion ギリシア時代)近くを通ったのに何故ちゃんと写さなかったのだろう。
エックレシアステリオンとは、前480年頃に建造された市民が坐って会議をする場だった(20年前の発掘当時、同書より)。
現在はこんな風に復元されているという(『PAESTUM THE CITY OF THREE TEMPLES』より)。

そして通路の西側、黄色く色づき始めた3本の木の左(南)側にあるのが⑬英雄廟(ヘローン Heroon)。
切妻屋根だけが出ているのは知っていたが、現地で見たかった😥
できるだけアップしたが、ここからは切妻屋根は見えない。
『The Paestum National Archaeological Museum』によると、⑫の市民会議場(ekklesiasterion)の向こうに前4世紀のゼウス・アゴライオス(アゴラのゼウス)と思われる神殿、少し離れてポセイドニアの街を造った人物の⑬英雄廟(Heroon)と思われる祭室を覆った塚が一直線に並んでいたらしい。
図の上の方にある土饅頭形のものが英雄廟で、その内部に切妻屋根の建造物があった(パエストゥム国立考古学博物館にあったパネル)。
そして、その中の切妻屋根を見ることができるのだ(PAESTUM THE CITY OF THREE TEMPLESより)。
その出土品については次回

そして3番目の神殿は、
⑭アテナ(ケレス)神殿 前510年頃 石灰岩(一部砂岩) 床面14.54X32.88m 
『世界美術大全集3』は、前6世紀末にアゴラの北側に建てられたドーリス式神殿は、規模はさほど大きくないが、ドーリス式とイオニア式の二つのオーダーを併用した最も初期の例として興味深い。
正面6本側面13本の周柱式であるが、隅部での柱間の縮小はなく、逆に最外部のメトープの幅が広くなっている。したがって、トリグリフの間隔を均等にして柱の中心を内面へずらして隅部のおさまりを調整する古典的なドーリス式の規範からは外れているという。
東面
立面図(説明パネルより)
アテナ神殿の祭壇

ターラント(Taranto)← →パエストゥム(Paestum) 博物館

関連項目
パエストゥム アルカイック期の3つの神殿
ギリシア神殿2 石の柱へ

参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「PAESTUM THE CITY OF THREE TEMPLES」 2016年 VISION S.r.l.