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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年6月30日金曜日

ルピュイ ノートルダムデュピュイ司教座聖堂の回廊 Le cloître de la cathédrale du Puy


再びカテドラルへ向かった。
地図(Google Map に建物・通りの名称、通った道を付け加えた)
ルピュイのカテドラル周辺地図 Google Map に建物・通りの名称、通った道を加筆


朝散歩して通ったマルトゥレ広場 Pl. du Martouret 近くの観光案内所脇の狭いメイマール通り Rue Meymard を上っていく。

途中から傾斜がきつくなり、階段状になってきた。

メイマール通りは曲がりくねっていて、階段の先でから通りに出てブイヨン通り Rue du Bouillon 左方向へ。


すると記憶のある広い階段が。

これは朝散歩で降りてきた
ロシュタイヤード通り Rue Rochtaillade の狭い坂道。それを上っていく。

ヴァノ通り Rue Vaneau に出て左を見ると尖り屋根の建物が。これも朝見た。

ヴァノ通りを右折し、次のセギュレ通り Rue Séguret へ左折する。やっぱり上り坂。どこから行ってもカテドラルは坂を上って行くしかない。 

セグレ通りを歩き続けると、2つの黒い箱が現れた。その間は階段が。


やっぱりカテドラルだった。
リーフレット『cloître de la cathédrale du Puy』(以下リーフレット)は、司教座聖堂は、斜面にルピュイの街が広がる巨大な玄武岩の頂上にある。この「アニス山」は、ガロ・ローマ時代から街があった。4世紀には聖母礼拝の場となり、7世紀には司教座が置かれた。10世紀末、この都市の名声は聖母像、つまりノートルダムデュピュイへの信仰によって完全に確立され。国境を接する国々からの巡礼者が集まり、サンティアゴデコンポステーラを目指したという。
アニス山という名称まであったとは。


大階段から南の通路、そして堂内へと向かった。
何故か堂内では写真を撮らなかったので、分かりにくいが、古い記憶がこの向こうが回廊に行く扉はこの辺りだと北側廊の扉を示したが、鍵がかかっていた。
売店のおばさんに尋ねると、回廊の反対側に入口があるので、グルッと回って行くのよと言われた。
それで⑭のアーチをくぐると出口があったので、出てみると、なんと鐘楼が間近に聳え、

左を見上げると、朝散歩で見つけた
フォルの玄関 Porche du For だった。


マネカントリ通りから鐘楼を回り込む。この辺りは石を積んだ壁面を眺めるのも楽しい。

その先には朝もくぐったサンジョルジュ通り Rue St-Georges のトンネルがあったが、

反対方向を目指す。
結局は鐘楼の3面を巡るように行くと、聖ヨハネのポーチがあるのだった。右手が回廊通り Rue de Cloître、これも朝通った道。
このポーチのタンパンや浅い屋根型の楣石についてはこちら

先のトンネルを抜けて、

トンネルを出てすぐ左手に回廊へと誘うパネルが並んでいた。

木製の扉は開かれていて、数段下りて右手の扉から受付へ。


平面図
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂回廊平面図 cloître de la cathédrale du Puy より


回廊に数十年ぶりにやって来られたというのに、その全体がわかる写真をとっていなかったので、『The Treasures of Romanesque Auvergne 』の図版から。
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂回廊 『The Treasures of Romanesque Auvergne 』より

カテドラルの十字交差部に立つ八角形の採光塔と北翼廊、北側廊
西ファサードの装飾もそうだが、赤っぽい火山岩ではなく、文様の箇所に明らかに赤レンガが使われている。

東回廊から南回廊
その下でも赤レンガの鮮やかさが目立つが、数十年前に来た時は、20日間ほどスペインを周遊した後だったので、コルドバのメスキータの赤と白のアーチ列が思い浮かび、イスラームの影響を受けていることに驚いたものだ。
このような様式をモサラベ様式というのを知ったのはもっと後のことだった。

南回廊
この回廊が聖堂の北側にあるので、教会の側廊や身廊が段状に積み重なって見える。
身廊の十字交差部から2つのアーチのある箇所は、アーチの上や扶壁の間に華奢な円柱が上部を支えている。そして、ここには小さなレンガ片を組み合わせて幾何学文様を構成している。これもイスラームの影響だろうか。

その下の階
アーチの開口部に金属の柵があったりする。

南から西回廊
南回廊の上階は、リーフレットによると、 mâchicoulis 石落としの建物と呼ばれ、盗賊や人民の反乱から聖職者を守るためのものだったという。

西から北回廊
切石積みの柱にモノリス(一本石)の付柱が四方にあり、それぞれにアーチの荷重を受ける大きめの柱頭がある。遠くにある付柱を見ても気づかなかったが、近くのものはずんぐりした印象を受ける。

北回廊から東回廊
私同様、ここに来る人たちは、何よりも柱頭彫刻を見たいのだ。

東回廊の北側
赤レンガや白い石で装飾された上にフリーズが続いている。

軒下には動物や人物、想像上の獣などの浮彫が並んでいる。このようなものは初めて見た。
詳しくは後日忘れへんうちににて

そして柱頭彫刻はアカンサス由来の葉文様が多いが、そこから人間が顔が出ているものや、植物はなくなって、人間や想像上の獣などを表しているものもある。


回廊の周囲にはこんな部屋もあり、柱頭彫刻だけでなく、

フレスコ画の残っている壁面もあった。

参事会室の入口の両側には司教の像が立っていた。
リーフレットは、教会参事会室は、尖頭アーチ天井になっている。「死者の礼拝堂」とも呼ばれるこの部屋は、1339年からフランス革命まで聖職者たちの埋葬場所として使用された。彼らの墓石は壁に沿って展示されている。紋章は、多くの参事会員が貴族出身であることを思わせるという。

その南壁には磔刑図のフレスコ画があった。
リーフレットは、南壁に1200年頃に描かれた磔刑図は、人物の扱いやその象徴に、ビザンティン様式に影響を受けているという。

1点だけ撮していた。線刻の素朴な棺蓋だが、坐った椅子が司教座を表している。
この部屋の入口に立つ像がいつ頃のものかわからないが、この図像によく似ている。


西回廊の入口の鉄製の柵
『The Treasures of Romanesque Auvergne』は、西回廊の入口にある。最も素晴らしいロマネスク時代の鉄の装飾で、表面を覆うパンチとノミの跡が格別であるという。


ノートルダムデュピュイ司教座聖堂回廊の鉄製の柵 『The Treasures of Romanesque Auvergne』より

柱頭彫刻についてはじっくり、忘れへんうちににて


回廊を出てクロワトル通り Ru du Cloître を進み、最初の分かれ道でサンマヨル通り Rue Saint-Mayol に入ると、前を行く人の後を追って、下り坂の狭いグラスマヌ通り Rue Grasmanent へ。決してしゃがんで通らなければならないほど低くはないが、建物の地上階がヴォールト天井の通路になっているところを通り抜けるって面白い。 

しかし通りはいつまでも下り坂ではなかった。


やがて関連施設らしき建物の入口があった。


その左手にも入口がある。このタンパンの箇所が金網状になっていて、下が木製の扉って前に見たような・・・
ここにも面白そうな柱頭彫刻が。

それはサンミシェルデギュィユ礼拝堂を見学後、カテドラルに向かったとき、ヴィジタシオン通り Rue de la Visitation からベクドリエヴル(野ウサギの口)通り Rue Bec de Lièvre へと曲がる間際に正面に見えた扉口だった。
今回も同じところから撮影。

この上にはオテルデュー(病院や救護院) Hôtel Dieu へと繋がる高架の通路になっていてるようで、そこから出たところの扉口の上には、HOTEL DIEU という文字と聖母子像があった。

ベクドリエヴル通りを再び通ったら、 

ノートルダムデュピュイ司教座聖堂の西ファサードの下に着いた。


ここからは正面のターブル通りからラファエル通り Rue Rafael からマルトゥル広場に出たが、アイスクリームを売っている店はもう閉まっていて、仕方なくホテルに戻った。

本日の夕食

前菜はルピュイ産ブルーチーズのキッシュ(カットした写真も入れて)

表面は硬いが美味しいパン一つ食べきるのが困難、杏のネクター


角切りマグロのエスカベシュ


アイスクリームではなくフロマージュブラン。フランボワーズソースをかけて甘酸っぱく頂きました。今回もデザートは完食!


と思っていたら、さっきのはサービスで、これがデザート。もちろん食事用の大きなスプーン
グリーンヴァーベナのアイスクリーム、レンズ豆のビスケット添え


              →ルピュイ 朝散歩2 巡礼者のためのミサを見に

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参考文献
「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」 Emmanuel Gobilliard et Luc Olivier 2010 Édition du Signe
リーフレット「cloître de la cathédrale du Puy」
「The Treasures of Romanesque Auvergne」 Text :Noël Graveline Photographs: Francis Debaisieux Design Mireille Debaisieux  2010年 Édition DEBAISIEUX