地図(Google Map に建物・通りの名称、通った道を付け加えた)
ルピュイのカテドラル周辺地図 Google Map に建物・通りの名称、通った道を加筆 |
朝散歩して通ったマルトゥレ広場 Pl. du Martouret 近くの観光案内所脇の狭いメイマール通り Rue Meymard を上っていく。
ヴァノ通り Rue Vaneau に出て左を見ると尖り屋根の建物が。これも朝見た。
ヴァノ通りを右折し、次のセギュレ通り Rue Séguret へ左折する。やっぱり上り坂。どこから行ってもカテドラルは坂を上って行くしかない。
リーフレット『cloître de la cathédrale du Puy』(以下リーフレット)は、司教座聖堂は、斜面にルピュイの街が広がる巨大な玄武岩の頂上にある。この「アニス山」は、ガロ・ローマ時代から街があった。4世紀には聖母礼拝の場となり、7世紀には司教座が置かれた。10世紀末、この都市の名声は聖母像、つまりノートルダムデュピュイへの信仰によって完全に確立され。国境を接する国々からの巡礼者が集まり、サンティアゴデコンポステーラを目指したという。
アニス山という名称まであったとは。
売店のおばさんに尋ねると、回廊の反対側に入口があるので、グルッと回って行くのよと言われた。
それで⑭のアーチをくぐると出口があったので、出てみると、なんと鐘楼が間近に聳え、
マネカントリ通りから鐘楼を回り込む。この辺りは石を積んだ壁面を眺めるのも楽しい。
先のトンネルを抜けて、
木製の扉は開かれていて、数段下りて右手の扉から受付へ。
平面図
南回廊
西から北回廊
そして柱頭彫刻はアカンサス由来の葉文様が多いが、そこから人間が顔が出ているものや、植物はなくなって、人間や想像上の獣などを表しているものもある。
それはサンミシェルデギュィユ礼拝堂を見学後、カテドラルに向かったとき、ヴィジタシオン通り Rue de la Visitation からベクドリエヴル(野ウサギの口)通り Rue Bec de Lièvre へと曲がる間際に正面に見えた扉口だった。
ベクドリエヴル通りを再び通ったら、
ノートルダムデュピュイ司教座聖堂の西ファサードの下に着いた。
ここからは正面のターブル通りからラファエル通り Rue Rafael からマルトゥル広場に出たが、アイスクリームを売っている店はもう閉まっていて、仕方なくホテルに戻った。
表面は硬いが美味しいパン一つ食べきるのが困難、杏のネクター
角切りマグロのエスカベシュ
アイスクリームではなくフロマージュブラン。フランボワーズソースをかけて甘酸っぱく頂きました。今回もデザートは完食!
と思っていたら、さっきのはサービスで、これがデザート。もちろん食事用の大きなスプーン
反対方向を目指す。
結局は鐘楼の3面を巡るように行くと、聖ヨハネのポーチがあるのだった。右手が回廊通り Rue de Cloître、これも朝通った道。
このポーチのタンパンや浅い屋根型の楣石についてはこちら
先のトンネルを抜けて、
トンネルを出てすぐ左手に回廊へと誘うパネルが並んでいた。
平面図
回廊に数十年ぶりにやって来られたというのに、その全体がわかる写真をとっていなかったので、『The Treasures of Romanesque Auvergne 』の図版から。
カテドラルの十字交差部に立つ八角形の採光塔と北翼廊、北側廊
西ファサードの装飾もそうだが、赤っぽい火山岩ではなく、文様の箇所に明らかに赤レンガが使われている。
東回廊から南回廊
その下でも赤レンガの鮮やかさが目立つが、数十年前に来た時は、20日間ほどスペインを周遊した後だったので、コルドバのメスキータの赤と白のアーチ列が思い浮かび、イスラームの影響を受けていることに驚いたものだ。
この回廊が聖堂の北側にあるので、教会の側廊や身廊が段状に積み重なって見える。
身廊の十字交差部から2つのアーチのある箇所は、アーチの上や扶壁の間に華奢な円柱が上部を支えている。そして、ここには小さなレンガ片を組み合わせて幾何学文様を構成している。これもイスラームの影響だろうか。
その下の階
南から西回廊
西から北回廊
私同様、ここに来る人たちは、何よりも柱頭彫刻を見たいのだ。
赤レンガや白い石で装飾された上にフリーズが続いている。
詳しくは後日忘れへんうちににて
そして柱頭彫刻はアカンサス由来の葉文様が多いが、そこから人間が顔が出ているものや、植物はなくなって、人間や想像上の獣などを表しているものもある。
フレスコ画の残っている壁面もあった。
リーフレットは、教会参事会室は、尖頭アーチ天井になっている。「死者の礼拝堂」とも呼ばれるこの部屋は、1339年からフランス革命まで聖職者たちの埋葬場所として使用された。彼らの墓石は壁に沿って展示されている。紋章は、多くの参事会員が貴族出身であることを思わせるという。
リーフレットは、南壁に1200年頃に描かれた磔刑図は、人物の扱いやその象徴に、ビザンティン様式に影響を受けているという。
この部屋の入口に立つ像がいつ頃のものかわからないが、この図像によく似ている。
西回廊の入口の鉄製の柵
『The Treasures of Romanesque Auvergne』は、西回廊の入口にある。最も素晴らしいロマネスク時代の鉄の装飾で、表面を覆うパンチとノミの跡が格別であるという。
柱頭彫刻についてはじっくり、忘れへんうちににて
回廊を出てクロワトル通り Ru du Cloître を進み、最初の分かれ道でサンマヨル通り Rue Saint-Mayol に入ると、前を行く人の後を追って、下り坂の狭いグラスマヌ通り Rue Grasmanent へ。決してしゃがんで通らなければならないほど低くはないが、建物の地上階がヴォールト天井の通路になっているところを通り抜けるって面白い。
ここにも面白そうな柱頭彫刻が。
それはサンミシェルデギュィユ礼拝堂を見学後、カテドラルに向かったとき、ヴィジタシオン通り Rue de la Visitation からベクドリエヴル(野ウサギの口)通り Rue Bec de Lièvre へと曲がる間際に正面に見えた扉口だった。
今回も同じところから撮影。
この上にはオテルデュー(病院や救護院) Hôtel Dieu へと繋がる高架の通路になっていてるようで、そこから出たところの扉口の上には、HOTEL DIEU という文字と聖母子像があった。
ベクドリエヴル通りを再び通ったら、
ここからは正面のターブル通りからラファエル通り Rue Rafael からマルトゥル広場に出たが、アイスクリームを売っている店はもう閉まっていて、仕方なくホテルに戻った。
本日の夕食
前菜はルピュイ産ブルーチーズのキッシュ(カットした写真も入れて)
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参考文献
「La Cathédrale Notre-Dame du Puy-en-Velay」 Emmanuel Gobilliard et Luc Olivier 2010 Édition du Signe
リーフレット「cloître de la cathédrale du Puy」
「The Treasures of Romanesque Auvergne」 Text :Noël Graveline Photographs: Francis Debaisieux Design Mireille Debaisieux 2010年 Édition DEBAISIEUX