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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2020年6月30日火曜日

ティヴォリ ヴィッラ・アドリアーナ ハドリアヌス帝の別荘2



ハドリアヌス帝の別荘平面図(説明パネルより)

Ⅷ:セラペオ(Serapeo)から展望ポイントに上り、そのまま土手に通っている道を行くと、右(東)方向に扶壁のある城壁が現れ、 
それが段々高くなってきて、というよりも、土手が低くなってきて、
壁に突き当たった。プレトリオの側面だ。
そして正面には大浴場の南端の壁
大きなヴォールト天井の部屋らしきものはの部屋(下の平面図参照)
浅い切妻屋根の下にヴォールト天井?

Ⅸ:プレトリオ Pretorio またしてもとんでもないパノラマ合成😜
『HADRIAN’S VILLA THEN AND NOW』は、おそらくヴィッラ・アドリアーナで一番大きな建物で、貯蔵庫として建てられたという。 
暗い内部はがらんとした感じ。その手前に腰壁くらいの高さで小さな部屋が並んでいるのは、おそらくプレトリオとは別の遺構だと思われるが、これがなにか分からない。
その壁面にはフレスコ画がわずかに残っている。しかも、直線や大きな菱形は、
上塗りされて別の絵が描かれていたのが、剥がれた箇所に、ということは、それ以前に描かれたものである。
別の壁面にも何本かの線を引いただけのフレスコ画が露出していた。

Ⅵ:大浴場
カノポスへ向かう道中に西側に並んだ部屋群が見え、そして先ほど
のヴォールト天井の部屋らしきものも見た。

 遠方からは大浴場の大きなヴォールトかドームのように見えたが、崩れた壁面の幅が一部屋だったらしく、思ったよりも小さかった。ヴォールト天井と思っていたのに、上部の四隅の起拱点(別材)から各面にアーチを架け、中央は交差ヴォールト天井のようにも見えるが、平天井に近いように見える。アーチにはフレスコ画が描かれていたようだ。
その下部。奥壁、左右の壁にはそれそれ開口部がある。
横向きのヴォールト天井にしては、わざわざ起拱点の石材を嵌め込むような手間のかかることはする必要はないと思うのだが。
 天井のなくなった広い部屋は発掘品置き場と化していた。
奥の低い壁まで、大浴場の運動場だった。
の広大な運動場はただの空き地のようになっていて、が大勢が踏みしめている白っぽい床の広間のようなところ。そこでみんなが見上げているのは、
の広間に架かる屋根の残骸。
もう少し見えるところから(背が低いので、周りの人たちの頭が入ってしまう😑)
正面玄関ホールの床には白いテッセラが整然と敷き詰められている。
外壁が低く残っているところから内部を撮影。モノリス(ドラムを積み上げず、丸彫りにした)円柱が2本。右にはイオニア式の柱頭が残る。そしてその間に顔を出したのは、反対側から見たドームの部屋。
モザイク床の玄関と大広間の間には4本の円柱と壁で囲まれた空間があり、
その両脇に通路があるので、現代人も当時の人たちと同じようにどちらかの通路から入ることになる。これは右(北側)の通路。
の床も同じ舗床モザイクで、縁に太い線が2本
中央の排水口
天井の頂部にはオクルスのような明かり取りはない。この天井の断片を見ていて気がついた。それについてはこちら
オクルスの代わりに目玉のようなものがある。そして、曲面部分は、ローマのハドリアヌス帝の墓廟(現在はサンタンジェロ城と呼ばれている)の下の方の廟内を一巡する通路ヴォールト天井にも部分的に用いられている、漆喰壁に間隔を置いて挿し込まれた平レンガと同じ仕上げだ。
⑤大広間の北側を見ると天井の下に大きなアーチがある。ロマネスク建築の横断アーチ
そしてその下にも2本のモノリスの円柱、何故か2本並ぶと片方にした柱頭が残っていない。ここは平面図には番号はないが、エクセドラ(半円平面の突き出し部)で、
アーチの向こうにはオクルスがあった。
しかし、半円の平面ではドームは架構できない。オクルスのある半ドームだったのだろう。
左端の通路から大広間を通過して
当時の開口部から見えたのは、の部屋の現在の様子。その部屋にはヴォールト天井が部分的に残っていた。
そして大広間の中央西の開口部から見ると、ドームの部屋が円形平面であることを確認できた。当時の建築技術は目を見張るものがあるが、まだ正方形平面にドームを架構することはできなかったのだ。円形平面に完璧な半球形のドームができたのさえ、同じハドリアヌス帝が再建したパンテオンが最初なのだ。
⑤の南壁にも中央に開口部があって、
そこから見ると、少し低くなって切石を敷き詰めた床だった。これはの部屋で、外から見えた部屋。

その後外に出て、北に進路を向けると、
大浴場の北の端

Ⅴ:小浴場の南側が見えていた。
大浴場と小浴場の間の通路を通っていく。半ドームのエクセドラをはじめ、名称不明の部屋が並ぶ。
大浴場の外には、地下に浴場を機能するためのさまざまな装置が地下に設けられていたことがわかる。
小浴場の方はヴォールトの修復が進んでいるようす。
⑤の部屋のヴォールト天井と、そのエクセドラの半ドームらしきものが見えた。
大浴場の北側を正面から。エクセドラが半円状に突き出ていて、大きな窓が開いている様子が、外から見た方がわかる。
そしてエクセドラの半ドームも。

小浴場の東側の通路が閉まっていたので、カノポスへと向かう通路に出て、Ⅲ:百の小部屋の上の通路へ

どんどんⅠ:ポイキレの方へ戻っていく。奥に見えているのはⅩ:ヘリオカミヌスの浴場(Heliocaminus)

半分になってしまった大きなドーム😑おっ、遠くの丘に立派な建物が🧐

しかし近づくことはなく、Ⅰ:ポイキレの残った壁のそば>を通って、

遠くから平たい壁と、半円形の出っ張り(アプシスまたはエクセドラ)が見えていた建物の方へ。
Ⅺ:哲学者の間(Sala dei Filosofi)
HADRIAN’S VILLA THEN AND NOW』は、印象的な後陣のある部屋で、その主入口は北側のイン・アンティス式の2本の円柱の間にあった。名前の由来は、7人の哲学者たちの彫像が安置されていたと学者たちが信じた後壁の7つの壁龕である。室内はに大理石で表面を覆っていたという。
イン・アンティス式(側壁内柱)とはギリシア神殿側壁の間に2本の円柱があるタイプ。
内側から見ると半ドームが架かっている。このような建物がキリスト教時代にはバシリカ式教会堂へ、そして彫像のある壁龕が聖職者たちが座る石段状の座席のあるシュントロノンへと変遷していったのかも。
哲学者の部屋の左壁後方の開口部は次の建物の出入口でもある。そこから入ると、目の前には不思議な水面と建物があった。

Ⅻ:海の劇場(Teatro Marittimo)
同書は、ハドリアヌス帝の別荘で、カノポスと共に最も有名な建物である。ここもまた、水遊びが主目的で、堀が囲んだ小さな島には、多種多様にデザインされた部屋のある小さな別荘が、柱列のある小さな中庭に向けてそれぞれに玄関があり、突きだした側には泉水堂があるという。

40本のイオニア式円柱が弧を描いて並び、ヴォールト天井を支えていた。
また、島に架かる石橋は、当初は木造の吊り橋だった。現在は見学者は島には渡れません😓

それがわかるのはこのような天井が残っているから。意外と薄い。
島の外縁にも円柱が立っていた。
反時計回りに島の周りを歩いていくと、
細かく部屋が分かれていたり、
大きな窓があったりする建物が見えてくる。
ここからは列柱とその上のアーキトレーヴたくさん見える。その向こうには遠くの樹木が見える。あれが正式な出入口とされる北の門かも。
周壁の向こうにそそり立つ遺構はギリシア語の図書館で、他にラテン語の図書館や中庭の図書館などもあったそう。
どんな外観だったのだろう。
赤い柵のところで行き止まり。
3/4周くらいはできました。
興味深いことに、建物全体の直径は、ハドリアヌス帝が再建したローマのパンテオン(44m)と同じであるという。
この海の劇場とパンテオン、どちらが早く建立されたのだろう? 

      ハドリアヌス帝の別荘1← →
オスティア・アンティカ1

関連項目
ヴィッラ・アドリアーナ ドームの形
ヴィッラ・アドリアーナ 大浴場に交差切妻屋根
ローマ サンタンジェロ城1
ローマ サンタンジェロ城2
パンテオン(Pantheon)でドームを見上げる

参考文献
「HADRIAN’S VILLA THEN AND NOW」 2009年
「hadrian’s villa guide」 2017年