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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2021年6月29日火曜日

炳霊寺 62窟から142窟


石窟を見学しているうちに大寺溝の奥が見えてきた。

対岸から写した窟群。小さな窟の上に如来立像が3体もあったとは。下ばかり見ていたので見逃した。

桟道の上に見える小さな窟群は49から61窟。
『永靖炳霊寺』によると、51から55窟は唐代永隆2年(681)年銘があるので切妻の庇を下にある小窟群は初唐期に開鑿されたのだろう。

この如来立像(48窟、唐代)は下から写していたが、上の桟道には行かなかった。

62窟 唐代(盛唐) 長方形浅龕 高さ0.62m、幅0.29m、奥行0.09m
62窟は左上の小さな小さな窟だった。
一菩薩立像。右手に浄瓶、左手に蓮茎で三曲する体にはやや肉の盛り上がりがある。盛唐期に造られたものかな。

64窟 唐代(初唐) 長方形浅龕 高さ0.62m、幅0.30m、奥行0.09m
一仏二菩薩像二力士像。体躯を三曲する菩薩立像は右手に浄瓶、左手に蓮茎を持つ。
詳しくはこちら

窟番号不明 唐代
一仏二菩薩像 如来は左手を持ち、右手は右膝に置き、善跏趺坐(倚坐)する。

65窟 唐代
一仏二菩薩像、如来は方座に善跏趺坐(倚坐)する。

67・68窟
67窟 唐代 方形浅龕 高さ0.57m、幅0.58m、奥行0.06m
『永靖炳霊寺』は、一仏二菩薩像で風化が激しい。如来は束腰方座に結跏趺坐する。二菩薩は受花の蓮台に立つという。
68窟 唐代 長方形浅龕 高さ0.62m、幅0.49m、奥行0.08m
半跏する菩薩は左手で樹木の枝を掴んでいるように見える。菩提樹らしいのだが。 

69窟 唐代 長方形浅龕 高さ0.35m、幅0.86m、奥行0.03m
『永靖炳霊寺』は、一仏四供養菩薩。如来は左手に鉢を持ち、右手は蓮華の上に結跏趺坐した膝に置く。四菩薩は如来の法を向いて胡跪して蓮華に坐すという。
如来の下の太い茎から分かれてすべての細い茎が繋がっているので、同茎蓮華座である。

70窟 唐代開鑿、塑像は明代 平面方形ヴォールト天井 高さ3.02m、幅3.60m、奥行3.60m
『永靖炳霊寺』は、十一面八臂の観音立像は明代。
四壁は、唐代の壁画のうえに明代の密教画が残る。如来、菩薩、弟子、千仏、宗喀巴、羅漢及び連続する故事が描かれるという。
宗喀巴(ツォンカパ)はチベット仏教の高僧のよう。

73から77窟

73窟 北魏 アーチ形浅龕 高さ0.30m、幅0.23m、奥行0.06m
『永靖炳霊寺』は、一仏二菩薩像、如来は結跏趺坐するというが、右側の膨らみは菩薩には見えない。

74窟 隋代(581-618) 
『永靖炳霊寺』は、82窟の窟門の外に彫られた力士像、高さ約2m、風化が激しいという。

75 唐代 尖頭アーチ龕 高さ0.47m、幅0.27m、奥行0.06m
高い肉髻、丸顔で、腕も体も細身に造られるが、お腹がぽっこり出ている。左手で浄瓶、右手で蓮茎を持つ。

76窟 唐代 尖頭アーチ龕が二つ並ぶ。 南龕の高さ0.35m、幅0.18m、奥行0.06m
両方とも菩薩立像が表されるので供養者は別々かも。
左の菩薩は右手を挙げ、そのまま天衣らしきものが右足元まで伸びている。左手は片方の端を握っているゆうで、右の菩薩は右手を胸前に、左手は垂下している。
裙の衣文線は盛り上がり、左足をやや浮かせている。

78窟 唐代 方形浅龕 高さ1.67m、幅0.69m、奥行0.20m
一仏二菩薩像、如来は方座に善跏趺坐(倚坐)し、左手は腹部に、右手は右膝に置く。
両脇侍菩薩は多くの場合、それぞれ異なった腕の動きを見せるが、本窟では内側の手で何かを持ち、外側は下ろしている。

79・80窟 唐代 共に方形浅龕で
一仏二菩薩像。如来は鉢を両手で捧げ持ち、両脇侍菩薩は如来に蓮茎を捧げる。

81・83・84窟

81窟 唐代 尖頭アーチ龕 高さ0.44m、幅0.18m、奥行0.08m
『永靖炳霊寺』は、如来は方台の上に立ち、両手で鉢を捧げ持つという。

82窟 北周(581-618)、明代重修 平面馬蹄形伏斗式天井 高さ1.67m、幅1.90m、奥行1.00m 門道は高さ1.80m、幅1.55m、奥行0.78m
『永靖炳霊寺』は、一仏二菩薩、如来は半円座に結跏趺坐する。
北周の壁画の上に明代の絵が残る。窟頂と門道には北周期の飛天や飛雲が露出するという。
詳しくはこちら

83・84窟 ともに唐代 尖頭アーチ龕 
高さはほぼ同じだが、83窟の方が細工は細かい。

85窟 北周 明代重修 平面馬蹄形 高さ0.97m、幅1.00m、奥行0.60m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩立像が彫り出される。
窟頂には明代の絵が残るという。

86窟 唐代、明重絵 平面馬蹄形
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像。如来は方座に善跏趺坐(倚坐)する。天蓋や頭光身光などは明代の重修という。

87窟 唐代、明代重修 平面馬蹄形 高さ1.17m、幅1.00m、奥行0.57m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像、如来は方座に善跏趺坐(倚坐)する。
明代に窟頂に蔓草や牡丹などが描かれ、壁面には千仏や蔓の茎などが残るという。

96窟 北魏 長方形浅龕   高さ0.42m、幅1.20m、奥行0.06m
『永靖炳霊寺』は、窟内に六如来立像が彫り出されるが風化がひどいという。
その下にはかすかに飛天のような浮彫の痕跡がある。  

3段にわたって小龕が桟道の下に開鑿されている。左上から右下へと窟番号がつけてある。
97-120窟 北魏
121-123窟 唐代

98窟 アーチ形浅龕 高さ0.34m、幅0.34m、奥行0.06m 
『永靖炳霊寺』は、一仏二菩薩像で、南外壁に供養者が浮彫されているという。 
 
103窟 長方形浅龕 高さ0.28m、幅0.19m、奥行0.06m  
文殊菩薩坐像が彫り出されていて、104窟の維摩坐像と一組になっているという。

113-135窟 一仏二弟子像 

116窟  方形浅龕 高さ0.36m、幅0.57m、奥行1.10m
菩薩思惟像と一弟子像で、弟子は香炉を掲げて供養しているという。

97窟 北魏 長方形浅龕 高さ0.38m、幅0.97m、奥行0.05m
『永靖炳霊寺』は、六如来立像を彫り出しているが風化が激しいという。

102窟 長方形浅龕 高さ0.43m、幅2.07m、奥行0.07m
十四菩薩立像が彫り出される。96窟内に彫り出された七菩薩と同じ窟にあったという。 
こんな感じだったのかな

112窟 北魏 アーチ形浅龕 高さ0.60m、幅0.50m、奥行0.10m
『永靖炳霊寺』は、正壁に交脚菩薩、両側に脇侍菩薩が彫り出されているが、風化が激しいという。
それでも北魏時代らしいさは残っている。

北魏時代の窟群
炳霊寺石窟北魏時代窟群 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

124窟 北魏 アーチ形浅龕 高さ0.63m、幅0.49m、奥行0.17m
『永靖炳霊寺』は、一仏二菩薩像で如来は結跏趺坐する。壁画は頭光身光が残るという。
時代を経るに従って脇侍菩薩が大きくなるが、本窟では小さく控えめに彫り出されている。
そして、如来の長い衣端は二段に襞を折りながら、龕外に線刻される。

125窟
 北魏 アーチ形浅龕 高さ1.60m、幅1.46m、奥行0.30m
『永靖炳霊寺』は、二仏二菩薩像。如来は半結跏趺坐する。龕下の長方形の区画に二天が彫り出されるという。
いわゆる二仏並坐像である。詳しくはこちら

123・129窟の下に128窟の窟門

128窟 北魏、明代重絵 平面方形ヴォールト天井 高さ3.5m、幅3.90m、奥行3.5m 
『永靖炳霊寺』は、窟頂は省略した四面披、中央は格天井 アーチ形窟門、龕楣の下端に龍の頭部、柱頭は蓮華。
正壁に二仏二菩薩像如来は半結跏趺坐、南北両壁に龕が開かれ、一仏二菩薩像、如来は結跏趺坐するという。
内部は見学できなかったが、金剛力士像は窟門の外に見えていた。

129窟 北魏 長方形浅龕 高さ1.50m、幅2.00m、奥行0.18m
『永靖炳霊寺』は四仏二菩薩立像という。
厚い着衣の北魏後期らしい立像群だが、風化してしまっているのが惜しい。

134窟 北周、唐代重修 平面馬蹄形 高さ2.80m、幅3.64m、奥行1.80m
『永靖炳霊寺』は、正壁に壁塑の一仏二菩薩、如来は方座に結跏趺坐する。二菩薩外側には塑造の如来坐像、南北両壁に一如来立像という。
詳しくはこちら

139から142窟
高さは揃っていないが同じような窟が並んでいる。ただし142窟は一弟子が残るのみ。

139窟 唐代、明代重修 平面馬蹄形 高さ0.97m、幅0.92m、奥行0.36m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像。如来は右手に鉢を持って立つ。二弟子は失われた。壁画は明代の重修で描かれた花卉などの痕跡があるという。

141窟 唐代、明代重絵 平面馬蹄形平天井 高さ0.98m、幅0.99m、奥行0.45m
『永靖炳霊寺』は、もとは一仏二弟子二菩薩であったが、弟子は失われた。壁画は明代に描き直されたものという。




関連項目

参考文献
「中国石窟 永靖炳霊寺」 甘粛省文物工作所・炳霊寺文物保管所 1989年 文物出版社