お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2020年4月6日月曜日

ローマ ネロの黄金宮殿・ドムス・アウレア1 見学前のスライドショー


地下鉄コロッセオ駅からドムス・アウレア遺跡見学入口へ向かったが、見学の集合場所を確認してこなかったことに気付いた。2本の角柱から始まる道がドムス・アウレア通り(Via Domus Aurea)だったので、坂道を大急ぎでのぼった。
しばらくして左手に広い分かれ道があった、その奥が入口のよう。
バウチャーも持ってきていたが、名前をいうだけでOKだった。
ヘルメットを被って入って行く。子供たちも何人かいた。
黒い部分がドムス・アウレア、赤いところは、トラヤヌス浴場の補強部分
トラヤヌス浴場の遺構18廊へ。この天井の高さ!この通路が斜めに造られているため、続くドムス・アウレアとの境目が斜めになっている。
18廊の構造
ここで壁面を利用したスライドと英語での説明。
ドムス・アウレアは64年のローマ大火の後に建てられた(黒い部分)が、その上にトラヤヌスが浴場を建てた(赤い部分)
中央より右にいたため、左側が小さくなってしまった。
ドムス・アウレアの南側をさっと外観するスライドが続く。
五角形の中庭を過ぎて、金色の屋根のドームが
次の瞬間八角ドームはあっという間に過ぎてしまった。
その東側にも宮殿の建物は続き、
屋上には屋根付きの柱廊が入り組んで巡っている。

104年に宮殿は火災に遭った。

細長い中庭には変わった形の池があるのは中庭(20)で、北側 は、ポンペイでも見たように、庭園画のイリュージョン。
光と影の効果をねらった、44の大ホール、そして45のオデッセウスとポリュペーモスのニンファエムまで続いている。
同書は、発掘されたのは、柱廊で囲まれた大きな中庭で、中央に噴水と東側に洞窟式ニンフェウムがある。南側にある数室は、現在暗くてじめじめしているが、かつては皇帝のアルコーブ(夫婦の寝室)で、その他の部屋は下の池(現在コロッセオがある辺り)に面していたという。
あの大きなコロッセオが入るくらいの広大な池だった。
巨大な黄金の人像
それはネロのブロンズ像(コロッスス)
『ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!』は、玄関の入口には、ゼノドロス作の史上最大のブロンズ像である、高さ35mの巨大なネロ帝の像があった。8世紀以降はこのヘリオス神に似せたネロ帝の像を円形競技場の近くに移した。そのため円形競技場はコロッセオ(巨大なという言葉から派生)と呼ばれるようになったという。
その東側に続く五角形の中庭
そして八角形のドームのある食堂
いくつかの部屋には、傷みが激しいが、生き生きした色で滑らかな筆遣いのすばらしい絵が残っている。おそらく有名なファブルスの手によるものだろという。
ヴォールト天井に描かれたフレスコ画。鮮やかな赤
その下も幻想様式による壁画で、瀟洒な柱廊と柱間の樹木が描かれていて、水面にもそれが映っている。
80室(黄金の間)の南側は五角形の中庭

ドーム状の天井、あるいはヴォールト天井に描かれている円形の枠とその中の絵画。それに続く壁面には壁龕が描かれている(横向き)。
黒い地に描かれた装飾的な飾りの数々

八角形の食堂
舗床モザイクは中央にテッセラ、その周囲は大理石を切り整えたオプス・セクティレによる幾何学文様。
そして壁面にもオプス・セクティレ。

天井を飾るストゥッコ(浮彫漆喰)
フレスコによる細かい文様壁面装飾

ドムス・アウレアを飾った柱礎と柱頭?力強くアカンサスを彫り出している。

スキロス島のアキレス。ヴォールトの中央にあるフレスコ画

植物の根が地下の遺跡を蝕む
遺構の上の土が薄いため、樹木の成長に従って根が伸びて、遺構に達してしまう。
現在は、大壺に果樹を植えたり、芝生を張るなどの実験をしている。

オクルスから入る光で明るい八角形広間。ここで見たいものがある。

制作はガイドブックなどもつくっているElecta社だった。残念ながらここではドムス・アウレアに関するガイドブックも書物も、そして絵はがきですら販売していなかった。

ローマ トラヤヌスの浴場←    →ネロの黄金宮殿・ドムス・アウレア2 見学はXⅧから

関連項目
ローマ ドムス・アウレア4 出口は西の端
ローマ ドムス・アウレア3 八角形の広間まで

参考文献
「ローマの昔の姿と今の姿を徹底的に比較する!」 2001年 Mondadori Electa