お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2019年1月21日月曜日

天空のコルド(コルドシュルシエル)1


『中世の街角で』は、コルドは1222年、トゥールーズ伯レーモン7世によって建設された、防塞都市である。煉瓦造りの巨大なカテドラルで有名な南のアルビから25㎞西北に位置する。
待ちに待ったコルドが、前方の大空に姿を現すと、あっと心に叫んだ。山の中腹から頂上にかけて、石の家がびっしりと建ち並んでいる。人口1000人(1984年)ほどの小さな町であるが、都市全体が13-14世紀の、中世の石の塊なのだという。
現在では住む人はもっと少ないという。
東の丘から霧から顔を出したコルドの丘(『Cordes-sur-Ciel』より)
木村尚三郎氏は天空のコルドを南側から目にされただろうが、私は北東側から近づいた。
コルドは地図(『Cordes-sur-Ciel』より)のように東西にのびた丘の上の町である。
ブテイユリー広場 ②時計門の見える階段 ③イヴ・ブライエ広場 ④フォントゥルニエ広場 ⑤ジャヌ門 ⑥オルモー門 ⑦グランゼキュイエ(ホテル) ⑧サンミシェル教会 ⑨グラン・ヴヌール館 ⑩ラドゥヴェズ館 ⑪ゴジラン館 ⑫フォンペイルズ館 ⑬屋根付き市場 ⑭グラン・フォコニエ館 ⑮フリュネとカリエ・ヴォワイエ館 ⑯ブリド広場 ⑰絶景ポイント ⑱パン門 ⑲ゴルス館 ⑳ヴァンクール門 ㉑バルバカヌ塔 ㉒時計門 ㉓サンジャックのカプレット 
  
ブテイユリー広場(Place de la Bouteillerie)
製瓶業または瓶屋という意味の広場に到着すると、すでにプチ・トラン(petit Train)は我々を待っていた。

時計門の見える階段
同書は、キリスト教の異端とされたアルビジョワ派(カタリ派)が南フランスに広まり、その異端鎮圧を口実として北フランスの諸侯がアルビジョワ十字軍(1209-29)を組織し、南の攻略を図ったとき、これに対抗してレーモン7世が建設した軍事都市こそ、コルドであった。その石の都市がそのまま今日にいたるまで生きつづけている。
細く暗い道を山登りし始めると、道の両側に内部のくずれた、人住まぬ家が並び、à vendreの札がかけられているという。
売り家の札は今回旅した各地で見た。
しかし我々はそのような町への入り方はせず、プチ・トランで楽々と高みに上っていった(終点まではビデオで撮影)。
だから時計門の見える石段も一瞬で通り過ぎてしまった。右側に坐っていてラッキー😊
右側は市壁だったが、現在は失われて住宅になっているところもあった。
民家が途絶えると、更に市壁が2、3段、そして監視塔も見えてきた。
石垣はずっと続いて、赤レンガの半円アーチが並んでいるところもあった。補強のためのアーチかな。
市壁の外側を巡りながらだんだんと高度を増していった。
左側にも監視塔があったが、右側にいたので写せなかった。この通りの外側にも市壁があったのだ。四重の市壁があったという。
イヴ・ブライエ広場(Pl.Yves Brayer)にさしかかると、更に内側の市壁の⑥オルモー門が見えた。
ここが一番高く、
やや下って
西側に回り込んで、天空のコルドという美しい名に反した要塞都市を目の当たりにしたのだった。
『Cordes-sur-Ciel』は、1222年の文書は、アルビジョワ十字軍の時代に、レイモン7世は免税と特権を住民に与えて、コルドの古名モルダーニュ(Mordagne)の「ピュシュ(puech)」に町を造った。住民たちはその町をバスティード(要塞都市)と呼んだ。1229年、町は王に引き渡された。その町は現在でも見ることができる。
レイモン7世が狭い二重の壁で囲んだ建物群は最初の核である。黄色い石灰岩で建造された二重の壁は現在も残っていて、最初のものは壁を土台にした家とと化しているという。
フォントゥルニエ広場(Pl.Fontourniès)で下車。
付近の市壁。細い円塔は教会の鐘楼。

ジャヌ門(Porte de la Jane、13世紀)
同書は、北西にあり、二つ目の壁に開かれてる。1568年ユグノーに焼かれた。半円アーチは13世紀だが、2つの半円の塔はおそらく14世紀のもの。
ここから中世に入り込んでいく。
門をくぐると高い壁。壁は二重構造になっていて防御は堅い。
左手の壁に沿って
胸壁が残っているところも。
内側の壁はカーブしていて、
その先にあるのがオルモー門(Porte des Ormeaux、13世紀)。
2つのずぐりした塔に挟まれてる。
『中世の街角で』は、しかしながら町一番の高級ホテルに着いてみれば、またまた驚きであった。馬の首が建物正面に突き出ているところから、Grands Ecuillé(大厩番)と名付けられたこのホテルは、かつてレーモン7世の居館であったと、部屋に案内するボーイが誇らしげに語る。
中世12-13世紀の城は、ふつう崩れるに委ねられ、あるいはパリ郊外のウーダンのように都市の貯水場に変化したりして、いずれにせよなかに入れない。その中世が、コルドでは肌に実感できる。
メインストリートは、坂道の大通り(Grand rue)1本だけであり、それに、この道を城壁沿いに両側から包み込む、楕円状の副道がある。しかし、防塞都市だけに、折れ曲がった、そして波打ち暴れる石の小道が町中を無数に通っている。城壁沿いの副道は、山の上だけに眺望絶佳であるという。
右手の建物は。藤の蔓に覆われているせいか、取り外されてしまったのか、馬の首は門からは見えなかったが、グランゼキュイエの看板は確認できた。
しかし我々はレモン7世大通り(Grand Rue Raimond Ⅶ)には行かず、左のサンミシェル通り(R.Saint Michel)へ。
三階建ての家々も、尖頭アーチの並んだゴシック期に建てられた一階の上に後の時代に増築されている。
右手の住宅も一階はゴシック期。
その先には、トゥールーズの広場にもあったオクシタニー地域圏のマーク、オクシタニー十字の旗が。
カオールの旧市街で見つけたツリフネソウがこの建物に沿って咲いていた。
古い町なので伝統的な看板も楽しみにしていたが、現在コルドに工房や店舗を開いている新しいものが多い。
進んで行くと小さなシャルル・ポルタル広場(Pl.Charles Portal)。

その東側にそびえているのがサンミシェル教会(Église Saint-Michel、13世紀創建、14、15世紀改築)の鐘楼。
『Cordes-sur-Ciel』は、現在の小教区教会は仏南西部のゴシック様式のように見えるという。 
ゴシック様式のバラ窓は、何故か鐘楼に遮られている。

南側が正面扉口になっているが閉まっている。
ほとんど装飾は残っていない。
ゴシック様式とはいってもまだ扶壁は残り、ステンドグラスの窓も小さめ。鐘楼にそった矩形のものは監視塔だったようだ。
入れなかった内部(『Cordes-sur-Ciel』より)
同書は、単廊式、4柱間、東側に平たい後陣がある。身廊には扶壁の間に礼拝室が付属している。尖頭ヴォールトは14世紀という。
ステンドグラス上部の透彫装飾

教会の南側にサンミシェル広場。その向こうがレイモン7世大通りで、正面の建物はグラン・ヴヌール館(Maison du Grand Veneur、14世紀)。
『Cordes-sur-Ciel』は、コルドの大きな魅力は、南西部では唯一の彫刻や絵画装飾のあるゴシック期の館や、たくさんの中世の館があることだ。経年劣化でこのような館は損なわれていたが、メリメ(Mérimée)やヴィオレルデュク(Viollet-le-Duc)が見出したのは、地上階には大きなアーケードはしばしば壁になり、ゴシック期の柱間の部分は17世紀に大きな矩形の開口部になった建物だった。グラン・ヴヌール館、グランゼキュイエ館、グラン・フォコニエ館は19世紀にネオ・ゴシックの修復を受けているというが、その壁面に残る動物や人物の浮彫が楽しい。詳しくは後日

大通りの西側
その2軒ほど西の白い服の人がいる建物がラドゥヴェズ館(Maison Ladevèze、13世紀)
その向かいの観光案内所がゴジラン館(Maison Gaugiran、13世紀)
二、三階も尖頭の二連窓が2つずつ。柱頭には人頭が見えている。
建物は西に続き、
隣の建物はコロンバージュ(木組み)なのでルネサンス期のものかな。
尖頭アーチのホテル・グランゼキュイエは左側、右側の建物はルネサンス以降のものが並んでいる。
下り坂になっているので、丘周辺の景色が望めた。

サンミシェル広場に戻ってフォンペイルズ館(Maison Fonpeyrouse、13世紀)
西壁の窓はルネサンス以降のようだが、
レイモン7世大通り側に回ると尖頭アーチのゴシック様式。二階の壁面が浮いているのでは・・・現在は町役場なので国旗があがっている。

大通りを東方面に進む。右の緑色のレストランには何故か甲冑が。

屋根付き市場(Halle、14世紀) 
その西側の通路にはオブジェが並んでいる。
北西角より。梁を支える八角柱と屋根裏の木材が素朴。

大通りに戻ると市場の東隣の建物の一階がレストランになっていた。
梁を支える三つ叉の柱が面白い。



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関連項目
天空のコルド ゴシック期の世俗建築

参考文献
「中世の街角で」 木村尚三郎 1989年 グラフィック社
「Patrimoineculturel Cordes-sur-Ciel」 Michèle Pradalier-Schlumberger 2005年 Édition Jean-Paul Gisserot