お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2019年4月15日月曜日
カルカソンヌ コンタル城の博物館と北の周壁
カルカソンヌは二重の壁の囲まれたシテと呼ばれる街区の中にコンタル城(Le Château Comtal)が、オード川側の内壁を背にして立っている。
コンタル城及び周辺の監視塔(『LA CITÉ DE CARCASSONNE』、以下『CARCASSONNE』より)
㊿東のバルバカヌ(堡塁、Barbacane de l’Est) 51-52:東門の塔(Tours de la porte de l’Est) 53:カセルヌ塔(Tour des Casernes) 54:マジョール塔(Tour du Major) 55:ドグレ塔(Tour du Degré) 56:礼拝堂の塔(Tour de la Chapelle) 57:火薬塔(Tour de la Poudre) 58:パント塔(Tour Pinte) 59:サンポール塔(Tour Saint-Paul) ㉛正義の塔(Tour de la Justice) ㉜オード門(Porte d’Aude)
コンタル城のトランカヴェル家の住居棟は現在は博物館となっている。
本物のカルカス夫人像(ナルボンヌ門にあったのはコピー、右写真は1900年撮影、説明パネルより)
説明パネルは、シャルル9世とカトリーヌ・ド・メディシス(CharlesⅨ et Catherine de Médicis)が王の扉口のために1565年に造らせた可能性がある。
伝説によると、カルカス夫人はシテを包囲するシャルルマーニュの軍の士気を失わせようと、様々な作戦を使った。軍隊が退散する時、カルカス夫人は集合を示す鐘を鳴らした。それで、シテの名がカルカスが鳴らす、カルカス-ソンヌ(Carcas-sonne)、カルカソンヌ(Carcassonne)となったという。
その伝説の真偽よりも、1900年にまだ表情がうかがえた像が、100年後にはほとんど分からなくなってしまったことの方が気になる。
聖母子像 13世紀末-14世紀初頭
説明パネルは、像は高さ1.55文様の一つの石灰岩で、裏側はざっくり彫られている。子供は失われているが、足は今でも認められる。
王家の命でこの聖母子像はS字形のシルエット、微笑んで、ゆったりした仏北部(パリやアミアンのノートルダム)の様式の衣褶である。サンナゼール司教座聖堂によって、カルカソンヌの工房の彫刻師たち14世紀初頭までラングドック派に影響を及ぼす独自の様式を作り上げた。この彫像の様式は13世紀末-14世紀初頭に、坐像で堅苦しいロマネスク様式に取って代わったという。
聖母子像 16世紀 サンナゼール聖堂由来
窓からの景色
城はガロ・ロマン時代の城壁を背にしてというよりも、それを一辺の壁として利用して建立したのだろう。この窓が何時開かれたかはわからないが。
アーチの間
リーフレットは、3つのアーケード状装飾は、グラッサリオの家という城下町に15世紀に存在した砂岩でできた家に由来しますが、今日では残っていませんという。
3つの二連アーチ窓のうち2つしか写っていなかった。アーケードにはほとんど装飾がない。
こちらが表側みたい。
尖頭アーチ、五弁花状の透彫のある円、三つ葉形尖頭アーチそれぞれに溝彫りがされていたり、複合柱の柱頭や、アーチの起拱点の人頭など装飾的。
聖水盤 15世紀 地方に所在した
三つ葉文様の円形装飾 時代不明
壁面には軒下飾り(モディヨン)が飾られていた。
ロマネスク期ではなさそう
こちらには上部の装飾も残っている
動物や怪物も出てこなければ人物の表情も一様
コンクのサントフォワ聖堂で南翼廊階上廊の下にもあった装飾だが、ロマネスク期の面白さはない。
三つ葉形尖頭アーチのアーケードに人物(聖人?)像が並ぶ ゴシック期
ゴシック様式の尖頭ヴォールトの要石
大砲の石弾は大きさはバラバラ
主塔(ドンジョン)の円形広間の壁画 12世紀末-13世紀初頭
リーフレットは、カール大帝(シャルルマーニュ)とサラセン人の騎士との闘いが描かれていますという。
馬は頭部が小さく体が大きい。シャルルマーニュの時代、そしてこの壁画が描かれた時代にはどんな種類の馬がいたのだろう。
右に向かっているのがシャルルマーニュ軍?
赤い馬の下には落馬した騎士が。
同じ半円ヴォールト天井の部屋には茨の冠を被らされて連行されるキリストの群像や、八角柱の上にキリストの磔刑の場面が表されている。
墓石
ロマネスク様式の部屋もあった。
沐浴の泉
見事なアカンサスの蔓草文様
背後の壁面には柱頭が並んでいるが、ピンボケ
上段は人物が登場する物語、下段は二段のアカンサス
ここにも柱頭が3つ
木材の断片の上部には浮彫漆喰?のジグザグ文様
どこの柱頭だったのだろう
こちらは別の聖堂の柱頭のよう
この窓からもサンルイ(カルカソンヌのバスティード)が見える。
古代様式の部屋は宮殿側の展示室
初期キリスト教時代のの石棺 5世紀 白大理石
見学後広い中庭へ。
有事の時に組み立てられた櫓が再現された53:カセルヌ塔(Tour des Casernes)
シテのある家屋から借用されたという柱頭が外から見えた。
両側にライオンを配する人物
56:礼拝堂の塔(Tour de la Chapelle)から北の城壁へ
現在地と終点のナルボンヌ門(B)
ガロ・ロマン時代の城壁
説明パネルは、要塞内側の北部分にはいくつかのローマ時代(4世紀)の塔が残っている。U字形なので緑割れることができる。外側が丸い形で内側が平たい。土台は中空ではなく、非常に堅牢である。塔へは螺旋階段を上る。十分に大きな3つの窓が防御のための射撃を可能にする。1209年の十字軍の包囲の時、この城壁だけが残った。
これらの塔は平瓦が葺かれている。
ヴィオレ・ル・デュクは、他の塔と同じように、この地方産のスレートを葺いたとんがり屋根にした。1960年代、人々はシテの景観を、歴史に残っている様々な型で多様化することを望んだ。それでこの場所は瓦葺きのような平たい形にしたという。
56:礼拝室の塔(Tour de la Chapelle) ㉚シャルパンティエール塔(Tour de la Charpentière)㉙秘密の扉アヴァール(Poterne d’Avar) ㉘アヴァールの風車の塔(Tour du Moulin d’Avar) ㉗サムソン塔(Tour de Samson) ㉖北門(Porte nord) ㉕マルキエール塔(Tour de la Marquière) ㉔ヴィユラス塔(Tour du Vieulas) ㉓コネターブルの水車塔(Tour du Moulin du Connétable) ㉒トレゾー塔(Tour Trésor) ㉑⑳ナルボンヌ門の塔(Tour de la Porte Narbonnaise)
外壁 ⑧西望楼(Échauguette de l’Ouest) ⑦ルージュ門の塔(Tour de la porte Rouge) ⑥グラシエール塔(Tour de la Glacière) ⑤ムレティス塔(Tour de Mourétis) ④ノートルダム堡塁(Barbacane Notre-Dame) ③ベナゼ塔(Tour Bénazet) ②ベラール塔(Tour de Bérard) ①サンルイ堡塁(Barbacane Saint-Louis)
コンタル城を後にして胸壁の並ぶ狭い通路を進む。
見えているのは㉚シャルパンティエール塔(Tour de la Charpentière)
川向こうにはサンルイの町。
リーフレットは、バスティード・サン・ルイと呼ばれ、1262年に、ルイ9世により取り壊された町の住民のために造られた居住区ですという。
バスティードといえば、今回の旅で訪れたルエルグ、ナジャックなども。
外側の周壁は低い場所にある。⑧西望楼(Échauguette de l’Ouest)は目立たない。
右にはコンタル城の54:マジョール塔(Tour du Major)と55:ドグレ塔(Tour du Degré)。
右向こうにナルボンヌ門の赤い屋根、そこまで歩いて行く。
㉚シャルパンティエール塔
外にU字形に出っ張り、石材のブロックの間に赤レンガの層がある。これがローマ建築の特徴。あんなに高い所にまでローマ時代の建造物が残っているとは。
赤いレンガは装飾のためではない。下のアーチは緩いカーブ、上の壁面に埋め込まれた補強アーチは半円。
カオールのヴァラントレ橋はゴシック様式で、尖頭アーチのうえの壁面にはやはり補強のための半円アーチが埋め込まれていた。
監視窓も半円アーチ
下を見下ろすと⑦ルージュ門の塔(Tour de la porte Rouge) 土台に薄い円形が彫り出され、石段も複雑に造られている。
外壁と内壁の間
シテ側はコンタル城と城壁、サンナゼール聖堂の他はあまり古い建物はなさそう。
くの字に曲がった城壁の向こうに見える切り妻屋根の建物にも赤レンガのラインが入っているような
壁龕や尖頭アーチの開口部のある塀は建物住宅よりも古そう。
段差の先には、さっき切り妻屋根の建物に見えたローマ時代のU字形監視塔が並んでいた。
おそらくその下に㉙アヴァールの秘密の扉(Poterne d’Avar)のある㉘アヴァールの風車の塔(Tour du Moulin d’Avar)で、その向こうが㉗サムソン塔(Tour de Samson)
この辺りには監視塔が密にある。
㉘アヴァールの風車の塔(Tour du Moulin d’Avar)に入る
同じ規格で造られた塔
天井の様子。
外の周壁の⑤ムレティス塔(Tour de Mourétis)
内側の城壁の続きは㉗サムソン塔(Tour de Samson)
扉口から向こうの㉖北門(Porte nord)が見えている
凸壁にもレンガの層。ということはここもローマ時代の通路だった。
天井は低い。
㉕マルキエール塔(Tour de la Marquière)、㉔ヴィュラス塔(Tour du Vieulas)は省略、次に見えるのは㉓コネターブルの水車塔(Tour du Moulin du Connétable)
シテ側は彫像の並ぶ民家の庭?それとも庭園?
㉓コネターブルの水車塔(Tour du Moulin du Connétable)
扉口のアーチは赤レンガだが、塔に赤レンガの層はない。
外に突き出たU字形には違いなかったが、ローマ時代のものではない。梁を差し込む穴が並ぶ。
天井は尖頭ヴォールト。この穴は上側に行くため?
㉒トレゾー塔(Tour Tréseau)の手前で急な上りになっている。
地図を見ると、監視塔が2つほどあったようだ。
小さな建物群の婿にコンタル城が少し見えている。
トレゾー塔についてリーフレットは、目地より突き出した石積み方法による13世紀末の典型的な建築で、国王の宝物が保管されていましたという。
中には入れない。
目地より突き出した石積みというのは、上の方がよく分かる。
もうすぐナルボンヌ門。この辺りは複雑な造りになっている。
赤レンガの層がないのでローマ時代のものではなさそうだが、半円アーチの壁龕などがあるらしい。
㉒トレゾー塔を振り返る。尖頭アーチの開口部がところどころ見られる。
ここで城壁歩きはおしまい。ナルボンヌ門の双塔に入って行った。
内部に入ったが、一階の観光案内所に降りていった。
要石はバラの花?
その起拱点の浮彫は楽しいが、なかなかピントが合わなかった。
ゴシック様式のリブが放射状に出ている。
動物に乗った人?
起拱部を支えている?
跪く人物?
そして土産物売場。
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参考文献
コンタル城のリーフレット(日本語版)
「LA CITÉ DE CARCASSONNE」 François de Lannoy 2008 Éditions du patrimoine Centre des monuments nationaux