じつはエユップに行こうと思ったきっかけは、エユップスルタンジャーミイではなく、この辺りにもミマールスィナンが設計した墓廟やメドレセ、そしてモスクがあることを知ったからだった。
(『THE ARCHITECT AND HIS WORKS』は古いので、以前は車が通っていた道も今では歩道になっている)
通路の先には土産物屋などが並んでいて、ふと振り返ると、
この建物がソコルルメフメトパシャ廟ではないかと思い引き返した。
この墓廟とメドレセは1569年建造なので、カドゥルガのモスクよりも早かった。設計はもちろんミマールスィナン。
その平面図は『THE ARCHITECT AND HIS WORKS』より
①メドレセ ②講堂 ③コーラン学校 ④墓廟 ⑥トイレ
メドレセというのは集団で勉強するところではなかったのかな。それにしては教室が小さすぎるのでは。
八角形だが、平面図ほど凹凸は感じられない。
石材とレンガの層を積み重ねたアルマシュクで、正方形平面から八角形、円という移行が外側に見える形で設計されている。周囲にはソコルルメフメトパシャを慕う人たちの墓標が並ぶ。
『イスタンブール歴史散歩』は、ガラタメヴレヴィハネシ Galata Mevlevihanesi というイスラム神秘主義教団館の説明に、庭の一隅にあるデルヴィッシュ(修行僧)たちの墓の写真を掲載しているが、その墓標とよく似ている。カドゥルガのソコルルメフメトパシャジャーミイの境内に、修道院とセマハネ(儀式の踊りに使用されるホール)がある(『トルコ・イスラム建築紀行』より)というので、ソコルルメフメトパシャが神秘主義者のデルヴィッシュたちとも親交があったのだろう。
左のちょっとだけ見えている建物
丈の低いナツメヤシが小さな実をたくさん付けているが、トルコは産地ではないので鑑賞用で食べても美味しくないだろう。
その上扉が閉まっていたので、先ほどの婦人に声を掛けると快く開けてもらえた。
講堂は礼拝室ではないので、柵がなく、ドームの真下にも立つことができた。モスクランプを見上げると卵が浮かんでいるみたい。部屋が小さいのでランプの数も少なく、全体を捉えることができる。細い金具が多弁の花のように造られている。
外側は正方形から八角形のドラムが立ち上がっていた。内部はというと、円形のドームは八つのペンデンティブで導かれているように思うが、
そして四隅にはスキンチの代わりに五段のムカルナスがある。ムカルナス最下段の中央は正方形の角の一つに置かれているが、上部のペンデンティブとは繋がっていない。
ここが外から見た正方形の上部部分どちらもドームを架構するために必要な部品ではなくなり、どちらかというと装飾として扱われているような。
別の壁面にもよく似たステンドグラスと、一風変わったアーチの扉口があり、扉の片側が開いていた。
白い部分には小さな点々が無数にあいている。この細かさは同時代のどのステンドグラスよりも小さいのでは。
また別の入口。両脇の棚には、壺なのか装飾なのか、左右対称に並べられている。
この扉口から出て③コーラン学校を見上げ、
この扉口から出て③コーラン学校を見上げ、
すると美しいステンドグラスがあるではないか。外のガラスに反射する木々が邪魔だけれど。
白または無色のガラスが円形だったり、組紐文のように六角形を囲んでいたりして、その中や周囲に小さな丸い色ガラスが集まって文様を構成している。
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参考文献