ポール通り Rue du Port を西へ。上り坂だった。
この通りの先は下り坂。
これはコウノトリが何かを運んでいる図かな。
まだブレズ・パスカル通りを南下する。
パスカルの顔だろうか、人と自転車しか通れないトマ通り Rue Thomas にはもっと細かいテッセラで人の顔が表されている。
やっとブレズ・パスカル通りが終わり、泉または大きな井戸のあるテライユ広場 Place du Terrail に出た。
ここからテライユ通りの先を見ると、ノートルダムドラソンプシオン(Notre-Dame de l'Assomption 聖母被昇天)司教座聖堂の尖塔があった。
テライユ通りのプレートの上にもネコの顔のようなモザイクが。
ノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂のゴシック様式の後陣
尖頭アーチの長細い窓にはステンドグラス。ロマネスク様式の教会ではこんなに大きな窓は開けなかった。
しかし、窓の間は鰭のような扶壁があるだけで、飛び梁(フライングバットレス、アルクブタン arc boutant)
平面図
身廊・側廊ともに四分ヴォールト。十字交差部から西ファサードまでが短く、十字交差部と内陣の間の三つの柱間はロマネスク様式の教会にはなかったものだ。
中に入って西ファサード側
内陣
ロマネスク様式の堂内と違って、柱頭彫刻はもはや重きを置かれない。そして細長く開かれた窓にはステンドグラス。
周歩廊側の祭室を巡る。
その上部
『The treasures of Romanesque Auvergne』は、朝、元司教の霊安室である聖アンヌ礼拝堂を照らすステンドグラスの窓には、フランスで保存されている12世紀のステンドグラスの中で最も優れたグループの一つが含まれてる。ロマネスク様式の司教座聖堂から転用されたこれらのステンドグラスの窓は、1160-1200年に作られ、聖ルイ (ルイ9世) が息子の結婚式のために寄贈したものと考えられている。1262年、後の勇敢王フィリップ3世がアラゴンのイザベラと結婚したのは、クレルモン司教座聖堂のクリプトだったという。
内陣から右側廊
修復中のため、あちこちに白い布が垂れ下がっていた。
南翼廊のバラ窓
丸い形のバラ窓が多いが、北翼廊のバラ窓とともに四角い中に丸いバラ窓がある。その四隅には小さな丸いステンドグラスがある。
ステンドグラスを見るのに夢中で、司教座聖堂なのに、司教の坐る椅子を確認するのを忘れていた。
全体を写すためにはヴィクトワール広場 Place de la Victoire からでないと無理だが、銅像より近くからでは全体が入らない。
ミシュランのビバンダム Bibendum の面白いのがあれば買いたいと思い、
ミシュランのビバンダム Bibendum の面白いのがあれば買いたいと思い、
その後聖堂の西ファサードを見ようと
西ファサードに回ったが、両側に建物があるので、全体を写すのはこれが精一杯。それでも朝散歩で見た時は日が差していなかったので赤黒い聖堂だったが、午後の時間ともなれば、明るいグレーで、細部までよく見えた。
西ファサードに回ったが、両側に建物があるので、全体を写すのはこれが精一杯。それでも朝散歩で見た時は日が差していなかったので赤黒い聖堂だったが、午後の時間ともなれば、明るいグレーで、細部までよく見えた。
その後テラス通りからスニ広場へ。
このコルドリエ礼拝堂 Chapelle des Cordeliers に入ってみたかったから。
コルドリエ礼拝堂は鍵が閉まっていたので入れなかった。
夕方にホテルを出てジョード広場よりも南へ。ここには大きく真っ直ぐに育った木が紫の花を咲かせていた。桐だろうか。
野菜炒め、ポテトとチーズのオーブン焼きを添えて
干しモリーユ茸をノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂に近いサンピエール市場で買ったが、帰国してつくったものの、いまいちだった。もう生クリームを欲する歳ではないので、代替品が良くなかったと思っている。
デザートは軽いが大きいワッフル
そしてやっぱり締めはエクスプレスコーヒー
クレルモンフェラン ノートルダムデュポール聖堂←
デザートは軽いが大きいワッフル
クレルモンフェラン ノートルダムデュポール聖堂←
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参考文献
「The treasures of Romanesque Auvergne」2010 Édition DEBAISIEUX