お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年10月6日金曜日

クレルモンフェラン ノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂 Cathédrale Notre-Dame-de-l'Assomption Clermont-Ferrand 


ノートルダムデユポール聖堂 Notre-Dame-du-Port を見学後に向かったのはノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂。

クレルモンフェラン中心の地図
中央より右下に「サンジェニデカルム聖堂」は「サンジュネデカルム教会」の間違いです(訂正するのが大変なので😅)
クレルモンフェラン中心の地図 Google Map より


ポール通り Rue du Port を西へ。上り坂だった。

一見黒い建物の混じる地味な通りだが、こんな赤いキャンディショップがあったりする。

途中で北側のバルニエ通り Rue Barnier を見ると、女性が立っているように見えたが、マネキンだった。その左隅には水場がある。他にも水場をちょくょく見かけた。
この通りの先は下り坂。


まもなく黒い建物の手前でブレズ・パスカル通り Rue Blaise Pascal へ左折。通りの名称はあの『パンセ』の著者の名から。クレルモンフェランはパスカルの生まれた街だったのだそう。


やや下り坂の狭い通りをどんどんと南下。


少し先にあるT字路の分かれ、ボエーム小路 Rue des Bohèmes の壁には牛の絵があった。
ここも上り坂。

この辺りのアパルトマンは明るい色の壁に黒っぽい玄武岩の窓枠というのが一般的。


この先のT字路の分かれ道はブローニュ市場通り Rue Halle de Boulogne  

フランスでは通りの名称が紺色の琺瑯板に記されている。クレルモンフェランの街では、その下に色のブロックで何かを描いていることがある。
これはコウノトリが何かを運んでいる図かな。


まだブレズ・パスカル通りを南下する。


パスカルの顔だろうか、人と自転車しか通れないトマ通り Rue Thomas にはもっと細かいテッセラで人の顔が表されている。



やっとブレズ・パスカル通りが終わり、泉または大きな井戸のあるテライユ広場 Place du  Terrail に出た。



ここからテライユ通りの先を見ると、ノートルダムドラソンプシオン(Notre-Dame de l'Assomption 聖母被昇天)司教座聖堂の尖塔があった。
テライユ通りのプレートの上にもネコの顔のようなモザイクが。

ノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂のゴシック様式の後陣


尖頭アーチの長細い窓にはステンドグラス。ロマネスク様式の教会ではこんなに大きな窓は開けなかった。
しかし、窓の間は鰭のような扶壁があるだけで、飛び梁(フライングバットレス、アルクブタン arc boutant)

フライングバットレスは後陣で見られる。

南翼廊に大きなバラ窓


フライングバットレス(arc-boutant 飛び梁)よりも奥行きのある扶壁(contrefort)の方が多い。


平面図
身廊・側廊ともに四分ヴォールト。十字交差部から西ファサードまでが短く、十字交差部と内陣の間の三つの柱間はロマネスク様式の教会にはなかったものだ。
クレルモンフェラン ノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂平面図 中世美の様式下 ロマネスク・ゴシック様式より




中に入って西ファサード側

そして後陣側



内陣
ロマネスク様式の堂内と違って、柱頭彫刻はもはや重きを置かれない。そして細長く開かれた窓にはステンドグラス。

その上部


左側廊から周歩廊へ。内陣の脇にクリプトへ降りる階段があったが、時間がなかった。


周歩廊側の祭室を巡る。
The treasures of Romanesque Auvergne』は、朝、元司教の霊安室である聖アンヌ礼拝堂を照らすステンドグラスの窓には、フランスで保存されている12世紀のステンドグラスの中で最も優れたグループの一つが含まれてる。ロマネスク様式の司教座聖堂から転用されたこれらのステンドグラスの窓は、1160-1200年に作られ、聖ルイ (ルイ9世) が息子の結婚式のために寄贈したものと考えられている。1262年、後の勇敢王フィリップ3世がアラゴンのイザベラと結婚したのは、クレルモン司教座聖堂のクリプトだったという。

3枚のステンドグラスの角度が異なっている祭室

こちらも

修復中で下の方に網がかかり、写すのが困難



平たい祭室


内陣から右側廊
修復中のため、あちこちに白い布が垂れ下がっていた。

右側廊の続き



南翼廊のバラ窓
丸い形のバラ窓が多いが、北翼廊のバラ窓とともに四角い中に丸いバラ窓がある。その四隅には小さな丸いステンドグラスがある。

北翼廊のバラ窓


西ファサードのバラ窓は円形、でも下側の両端には丸い形があるのが、外側から分かった。


ステンドグラスを見るのに夢中で、司教座聖堂なのに、司教の坐る椅子を確認するのを忘れていた。


全体を写すためにはヴィクトワール広場 Place de la Victoire からでないと無理だが、銅像より近くからでは全体が入らない。

ミシュランのビバンダム Bibendum の面白いのがあれば買いたいと思い、

広場の南にある
観光案内所に入ったが、

残念ながら思うような物はなかった。だからといってこんな車を買うわけにもいかないし・・・



その後聖堂の西ファサードを見ようと

西ファサードに回ったが、両側に建物があるので、全体を写すのはこれが精一杯。それでも朝散歩で見た時は日が差していなかったので赤黒い聖堂だったが、午後の時間ともなれば、明るいグレーで、細部までよく見えた。


その後テラス通りからスニ広場へ。


このコルドリエ礼拝堂 Chapelle des Cordeliers に入ってみたかったから。

朝散歩でグラ通りからピュイドドーム山を眺めたときは雪を被っていたが、午後になるともう溶けていた。かなりの下り坂になっていた。

コルドリエ礼拝堂は鍵が閉まっていたので入れなかった。
広場というよりも駐車場と化しているスニ広場。

ノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂と比べるとかなり小さいし低いが、同じ頃に建造されたのかも。


直進してデゼ大通りを直進すればまもなくホテルが面しているジョード広場。


夕方にホテルを出てジョード広場よりも南へ。ここには大きく真っ直ぐに育った木が紫の花を咲かせていた。桐だろうか。

夕食はホテルから南へ歩いて5分ほどのロドヴィ l'ODEVIE (ロドヴィ l'eau de vie 命の水-蒸留酒-をもじっている) にて。


今日は自由に決めていいですと言われたが、皆さん食傷気味で、メイン1品、デザート1品ということになった。
アミューズも控えめ?

牛肉のソテモリーユ茸(アミガサダケ)のクリームソース
野菜炒め、ポテトとチーズのオーブン焼きを添えて

ソテといっても厚みは十分
干しモリーユ茸をノートルダムドラソンプシオン司教座聖堂に近いサンピエール市場で買ったが、帰国してつくったものの、いまいちだった。もう生クリームを欲する歳ではないので、代替品が良くなかったと思っている。

デザートは軽いが大きいワッフル

そしてやっぱり締めはエクスプレスコーヒー



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参考文献
「The treasures of Romanesque Auvergne」2010 Édition DEBAISIEUX 
「中世美の様式下 ロマネスク・ゴシック様式」 オフィス・ド・リーブル編 大高保二郎・岡崎文夫・安發和彰訳 1991年 連合出版