お知らせ

中央アジア各国そしてイラン旅行記が完成し、フランス南西部のオクシタニー地方の旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2018年11月26日月曜日

コンク 朝散歩1


朝東の窓を開けると、ウシュ川の向こうに雲海が出ていた。
南の窓から見た朝のサントフォワ聖堂は青空にそびえる。こんな青空はフランスに来て初めて。
でも西側はやはり霧で包まれている。これからどんな天気になるのやら。
ホテルの出入口に鍵が掛かっていたので出られない。やっと自室の鍵で開閉できることがわかって早速サントフォワ聖堂へ。
タンパンの上部の半円アーチの窓が2つあるところには、青色の切石で円形の文様が象嵌されているように見える。
最後の審判のタンパンについてはこちら+
聖堂の南翼廊

アンリ・パライル通り(Rue Henri Parayre)に出て後陣側へ回る。
コンク村のシルエットと飛び交う小鳥たち。
上から水路を敷設して村の中心に引いた小さな泉。蛇口は人の顔。
ここからは皆さんと散策開始、シャノワーヌ・ベナゼシュ通りへ(R.Chanoine Bénazech)。

観光案内所には時計と鐘がある。
『CONQUES』というリーフレットは、観光案内所は17世紀の中産階級の古い屋敷にある。上の階は保存されている。それぞれの窓の下は調和の取れた木組みとなっている。時計はこの建物が町役場だったことを示している。1843年、鐘楼と小さな鐘を支える金属の枠組みが造られたという。
その奥には村唯一の食料品店。
少し高い位置からはサントフォワ聖堂の違った姿と北翼廊のステンドグラスがよく見えた。

名もなき小径、というよりも階段。後で通ってみたい。
頁岩の屋根瓦と煙突
大きな翼廊と短い身廊
少し高くなると手前の建物の大きな屋根。教会も民家も同じ色。
大きな屋根の続きはこんな舌のような形。苔むした様子が味わい深い。

道脇の水槽。昔はここで湧き水を汲んでいた。

大きな建物は坂に沿って三曲している。
それはダドンの邸宅という集合住宅。
同リーフレットは、町の主要な収容所で、木製の扉口といかめしい外観でわかる。建物は何度も手直しされ、18世紀半ば以来、サントフォワ病院となったという。
隠修士ダドンはコンクにやってきて宗教活動を行い、やがてそれが修道院の創設へと繋がった。また、コンクの名称の起源は貝という(『Conques』より)。
左のクヴァン通り(R.du Couvent、修道院通り)と右の坂道への分岐
クヴァン通りは木組み(コロンバージュ)の建物が比較できる。右は木組みの隙間に積み上げた土や石という素材が剥き出しになっていて、左は壁面を土または漆喰で被服しているのだ。

この交差点から東へ出ているエミール・ルディエ通り(R.Emile Roudié)は、シャノワーヌ・ベナゼシュ通りの上側を通る。

我々は名の不明の小径を上っていく。
鄙びた建物にしては扉口の石が立派。
両側が小さな石を積んだだけの石垣、小径の舗装も同じ石のよう。
左に曲がると大きな建物が立っていて、
枠が木製の窓に立派な鉄格子が嵌まっていた。
その先は駐車場かな?

そこはプラス・ドュ・バレ(Place du Palais、宮殿広場)だったが、この建物はもちろん宮殿ではない。
リーフレットは、パレ区(Quartier du Palais)この区域は急坂の最も高い位置にあり、16世紀に教育機関があったという。
トゥールドヴィル通り(Tour de Ville、外周通り)に出て低い円塔のある方へ向かう。
ふと見下ろすと、バンカレル(Bancarel)の見晴台が南方の森の先にあるのが確認できた。明朝の朝散歩はそこにしよう。

道端の物置のような建物も味わい深い。不揃いの石を積み、開口部は石材でアーチ形とせず、木材を横にして楣とする。

監視塔が民家に取り込まれている。この道路はかつての市壁跡であった。
リーフレットは、市壁の北にある防御のためのもの、15世紀。真円の平面で、現在では下部を埋めたため、あまり高くないように見える。高さを違えた矢狭間があるという。
ドルドゥー川(Le Dordou)の谷。緑は深いが、山が深いわけではない。
ここもサントフォワ聖堂のビューポイントだった。

円塔を向きを変えて見ると、こちらにはほぼ同じ向きに2つの矢狭間があった。日本では城壁という言葉通りお城を守る壁くらいしかないが、町全体を壁で囲むのが当たり前だった時代の名残がここにも。

その先で大きなウロコ屋根の建物。この間の道を下ると、

そこには低い市壁と高い門、そして正面には高い城館が迫ってきた。
⑪ヴァンゼル門(Porte de la Vinzelle)
リーフレットは、正方形平面の塔は防御軍の宿営を兼ねる。ロット川の流れに張り出した隣の村の名から採っている。村の側に木製で彩色された聖母子像(14-15世紀)が掲げられているという。
ヴァンゼル村へ向かう道の門だった。 
ユミエール城(Château d’Humières)
リーフレットは、同名の一族によって建立されたユミエール城は、15-16世紀の世俗の大建築であるという。
ヴァンゼル門からユミエール城通りへ。お城も見えている。
左に木組みの大きな建物
その先から門を振り返る。微かに聖母子像があるのが見える。
右手の木製の楣の上に出ている梁の切り口に屋根瓦と同じ頁岩の薄板が張ってある。
コンクでもマンテマが咲いていた。
日本ではなかなか見ることができないが、イランでもフランスでも普通に咲いている。
お城の石垣に沿って右折。大きな家屋が続く。
この先の曲がり角から
城館を振り返ると、ルネサンス様式の十字窓がたくさんあった。
ファサードのある本館は3段の十字窓がアクセントになっている。その一つ、北西のものは壁の角にある。聖堂の採光塔を思わせる頂部が八角形平面になって、その下は階になっているという。

シャトー通りの曲がり角には階段の手すりのような装飾のある家。
その下の玄関も凝っているが、元は小さな中庭の内側に階段があったのかも。

通りを曲がりきると、朝日に照らされたサントフォワ聖堂の鐘楼が見えた。
変則的な四つ角。
アンティークショップの看板がある。窓の鉄格子は実用的なデザイン。
アンティークショップの店脇の路地はエコール通り(R.des Écoles、学校通り)という。
シャトー通りの先の左側には角のない建物が。サントフォワ聖堂に近づくと店舗が多くなる。
通りを下っていくとサントフォワ聖堂の鐘楼が近づいてきた。
しかし、土産物屋がその前にあるので、タンパンは見えない。
シャトー通りがアンリ・パライル通り(R.Henri Parayre)と合流するところに小さな泉水跡がある。
その蛇口も人頭で、小さな両手も浮彫されていた。


ホテルに戻って朝食。今回の旅でコンクは一番の僻地にあるため、あまり品数は豊富ではないということだったが、
そうとは思えないくらい種類は豊富だった。
野菜サラダがないがスイカやメロンがある。今日も朝から腹十二分目。


食後部屋に戻ると、北の鐘楼側も明るくなってやっと見えた。
ここの細部の装飾も面白い。後日モディヨンなどとまとめて。
部屋の東側の菩提樹にも日が当たっている。
花盛りの菩提樹
その花は球状で
カラマツソウの花のよう。
南側の窓からの眺め。ドルドゥー川から霧が上がっているのが心配。どうぞ晴れの一日でありますように。

現地ガイドさんとの散策開始まで時間があったので、サントフォワ聖堂の周囲を散策しようとホテルから近道の階段を降りると、リャマがいた。

部屋から見える聖堂北面。
扶壁(英語でバットレスbuttress、フランス語でコントルフォールcontrefort)が並ぶ。黄色い石は石灰岩、赤い石は砂岩という。
最初の柱間には苔むした石棺
3つ目の柱間には修道士または修道院長の墓、4つ目の柱間にも石棺が。
ここでフィジャックへと向かう巡礼者とすれ違った。奥に階段、右上に部屋から見えた菩提樹とホテル。
北翼廊扉口にも柱頭やモディヨンの装飾が。

見上げると後陣の立ち上がりが圧巻。ステンドグラスも素晴らしいし、モディヨンや小さな柱頭など、建築装飾も豊か。

後陣の東側にはプレモントレ会のサントフォワ修道院、現在は巡礼者たちの宿泊所。
古いテレビ番組でこの中の様子を見たことがある。ドミトリーになっていて、白壁の清潔な部屋に木製の二段ベッドが幾つかあった。暖かい食事も出る。

後陣の南側へ回ると南翼廊が現れた。北翼廊にはない円錐形の細い塔は階段。
窓ごとに違うデザインのステンドグラス。
後陣の小礼拝室の間にも墓があり、その足元には石棺が並んでいる。
その先には一人の修道士が。

もう一人の修道士となにやら話し合っている様子。



夜はサントフォワ聖堂のトリビューンへ←      →朝散歩2

関連項目
サントフォワ聖堂 タンパン
サントフォワ聖堂 軒下飾り(モディヨン)


参考文献
「CONQUES PAS À PAS・・・ DANS L’HISTOIRE DE CONQUES」アヴェイロン県のコンク案内リーフレット