お知らせ

イラン・フランス南西部のオクシタニー地方の旅行記に続いて、南イタリアの旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2020年3月30日月曜日

ローマ トラヤヌスの浴場


別の日、地下鉄のカヴール(Cavour)駅を出た。この辺りはモンティ(Monti)といっておしゃれなお店が多い地区だが、それはこちら側のことで、
私の行こうとしているのは反対側。しかも、表通り(Via Giovanni Lannnza)ではなく、狭い通りを歩くのが好み。
とはいえ、迷い込むと面白そうだけれど、時間がかかってしまうと困るので、先がどうなっているか分からない階段の通りではなく、
セルチ通り(Via in Selci)を通ることにした。
両側に車が並んでいる静かな通りで、蔦が左右に分かれて長々と伸びていたり。
壁の向こうからこちらに垂れたレモンの枝にも秋の実りを見たりしながら、
右手の建物はどこまで続いているのだろう。
サンタ・ルチア・イン・セルチ教会の裏手のよう。バロックかな
その割に地味な扉口。
壁にはトラヤヌス市場でみた補強アーチや大理石の壁がこんなところにも残っていた。
先ほど分かれたジョヴァンニ・ランザ通りと再び合流。
この通りは続いている。

右手は凹んでいて聖母子像が扉口の上にある。

その続きにカポッチ塔(Torre dei Capocci)がそびえていた。
ヴェネツィアのサンマルコ広場にある塔も、サンマルコ聖堂とは離れた位置にあるので、この塔も近くの教会の鐘楼だろうと思っていたが、 Segreta.itというサイトのカポッチ・タワーでは、トッレデイカポッチは、反対側のトッレデイグラツィアーニとともに、エスクイリーノの丘の頂上にある記念碑的な入り口のようなものです。S.マルティーノアイモンティ広場の真ん中に位置する、保存状態の良い、この塔はアルチョーニ家によって建てられ、後にヴィテルボ起源の高貴な家であるカポッチに渡されました。これらは塔の周りに一連の家を建て、建物は要塞のようになりました。3階の高さではっきりと見える色の違いは、19世紀の終わりに建物が塔に寄りかかって壊れた位置を示しています。この結果、壁の修復が必要でした。一方、上部は、近くのテルメディトライアーノから取られたレンガ。高さ36mの塔は、正方形の平面で、トラバーチンで囲まれた小さな窓があり、1階とテラスに加えて、7階で構成され、両側に5つの胸壁があり、内部階段の出入口があるという。
そう言えば、教会の鐘楼と違って頂上の各辺に5つの凸凹があって、攻撃への備えの為の塔であることが納得できる。

レンガ造りの半円筒形の建物は古い教会の後陣だろうか。
ファサード側にあったパネルの平面図より。
近づいて見上げると、軒飾り(モディヨン)がありそう。ロマネスク様式の教会だろうか、補強アーチなどもあるし。
ロマネスク期の軒飾りにしては装飾的過ぎるような。それにアカンサスの葉がグリーンマンになっているし・・・
教会の剥がれた壁沿いの狭い歩道を期待しながら歩いていくと、
モンテ・オッピオ通り(Viale del Monte Oppio、オッピオの丘)に出て、正面に回ったら、先ほどの簡素な後陣にはとても似合わないファサードだった。モンティのサン・マルティーノ教会(Chieza di San Martino ai Monti)ということなので、確かに先ほどの簡素な後陣の表側。
説明パネルによると、ローマ教皇シンマクスの命で創建(498-514)、セルギオス2世が再建(9世紀半ば)、その後も改築を繰り返し、17世紀にバロック様式になったようだ。ちょっとがっかり。

この先で、道は二手に分かれるが、オッピオの丘方面に直進。
すぐにトラヤヌス浴場というプレートがあった。
オッピオの丘にはトラヤヌス浴場が築造された。

『世界美術大全集5 古代地中海とローマ』は、煉瓦仕上げのコンクリート壁とヴォールトやドームの構法による建築はトラヤヌス浴場においてもみられる。この浴場は後109年、オッピウス丘に建設され、380X315mの巨大な建築複合体を成している。図書室や講義室などを備えた周壁で囲まれ、その中に三方を庭園で囲まれた浴場本体が置かれている。浴場本体では、中心軸に沿って熱浴室、温浴室、冷浴室などが整然と並び、建物全体が中心軸に対して完全な左右対称を成しているという。
①熱浴室(カリダリウム) ②温浴室(テピダリウム) ③冷浴室(フリギダリウム) ④沐浴用水槽(ナタティオ、冷水プール) ⑤泉水堂(ニンファエム) ⑥図書室 ⑦運動場(パラエストラ、エクセドラ付き)
黒塗りの線が残っている部分らしい。


同書は、この浴場を支配している意匠は軸線による構成と、ヴォールトやドームによる大小さまざまな内部空間の組み合わせであり、従来の建築オーダーによる建築意匠の統一感ではない。この浴場の平面計画は「皇帝の浴場型」の典型例であり、その後の浴場の規範となって、後の著名なカラカラ浴場やディオクレティアヌス浴場にも受け継がれていったという。
その遺構は早速見えてきた。
近づくと金網が設置されていて、この中には入れない。
外側に扶壁(バットレス)があるので、この向こうが建物の内部。ということは、平面図の辺りかな?
その続きにも低い扶壁が密に並んだ遺構があった。半円形のエクセドラで、東の泉水堂(ニンファエム)だろうか?
東の運動場(パラエストラ)のエクセドラ。
半ドームを目指したのか、上の方の壁面に正方形の刳形が並んでいて、ハドリアヌス帝が再建したパンテオン(118-125)のよう。
三段の浅い刳形だが、表面に塗ったもの(漆喰?)が残っている。2000年の風雨にさらされて痛々しい。
説明パネルは、公園の中央に主要建物の部分をなす幅約30mの半円形のエクセドラが、半ドームで四角形の刳形天井で立っている。床には白黒で花模様のモザイク床が発見された。グラディエーターと動物が闘う図が表されていた。
床は地下部分の小さな柱で支えられ、熱風が通るようになっていた。壁の中の土管が熱を伝えたという。
地図もあった。
角形とアーチ形の壁龕が交互に並んでいるが、説明パネルによると装飾のためらしい。神像でも置かれていたのかも。
続く遺構はの部屋だろう。

振り返ると、別の色の柵があった。

向こうの柵の中はオリーヴの苗が並んでいたり、掘った土の小山が2つ。屋根をかけているのはどこだろう。
前方にはコロッセオ。
ドムス・アウレア(Doms Aurea、ネロの黄金宮殿)の上にトラヤヌス浴場の一部が建てられた。浴場が崩壊した後に生えた樹木の根が、この下に眠っていた宮殿の遺構を傷めているので、オッピオの丘に、根が下に伸びない植物で緑化の実験をしている現場だった。
実は、何故この柵の中に執着しているのかというと、この後見学するドムス・アウレアのオクルス(Oculus、眼窓)を、上から見てみたいなと思っていたのだ。
ひょっとして、向こうの柵の外の、傾斜地にある円形あるいは八角形のものか、左奥の突起のあるものか👀
Google Earthでは見えているのだが、実際の場所はわからない。

あきらめてオッピオの丘通りにもどると、向こうにトラヤヌス浴場の遺構らしきものが。
ヨーロッパでも真っ黒なカラスはいるが、こんなおしゃれな種類も。
説明パネルによると、浴場の西図書室のエクセドラらしい。
人々がこのエクセドラ(半円状の張り出し部分)で本を読んだり話し合いをする場として造られたという。
二層の矩形の壁龕は何だろう。
左隅には半円アーチとそれを支える石製の出っ張りが残っている。
補強アーチが連続する。
エクセドラの半ドームを重量軽減するための刳り形はある。
下側はローマン・コンクリートが露出しているが、上は石材?
壁体の厚みと内部の様子が見える断面。
オッピオの丘を降りて行ると、前方に若者たちが自転車で移動中。うらやましいその若さと文明の利器😊
コロッセオの最上部がこんな間近で見られるところは他にありません。

下り坂に入ると、先ほどの西図書室エクセドラが間近になった。
左手には人々が憩う空間があるので、コロッセオ、
遊歩道もあれば、適当に通る人たちもいる。
左前方にグラディエーターの練習場ルードゥス・マグヌス
正面にはコロッセオ。
喉が渇いたのでカフェにはいることに。
レモンのシャーベットとピスタチオのアイスの2つを写そうとして松の幹にピントが合ってしまった。
さてトイレに行こうかと店内を見ると、そこにはコロッセオの見学を終えて、トイレを求めてやってきた観光客の長蛇の列。
次のドムス・アウレア見学に備えてトイレに行きたいがために、地下鉄のコロッセオ駅へ。24時間券があると助かるとチケットを自動改札にいれる。前回もこの駅を利用したので、トイレの位置は覚えていた。
ところがそこにも列ができていて、焦ったことに、1回の利用後自動で洗浄するというオール・ステンレスのトイレで、時間がかかる、かかる。その間に小銭も探しだすことができ、やっと入ると、当然内部は水浸し。トイレだけ便座はあったけれど、びしょ濡れでした😅
イタリアの公衆トイレは有料なのに便座がない。イタリア通に聞くと、「イタリアではトイレに便座があるのは金持ちの家だけですよ」。こんなところでこんなことを書くことになろうとは思わなかった。

ローマ トラヤヌス帝の市場と広場←  →ローマ ネロの黄金宮殿・ドムス・アウレア1 見学前のスライドショー

参考サイト
Segreta.itというサイトのカポッチ・タワー

参考文献
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」1997年 小学館
「inside IMPERIAL ROME」 2012年 VISION ROMA