お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2018年8月6日月曜日

トゥールーズ オーギュスタン美術館 ロマネスク美術展示室


扉口をくぐると、狭い廊下が中世の碑文室になっている。
クリスム 時代不明
ギリシア文字のキリストの名前の最初の2文字XPを組み合わせたもの。
さまざまな碑文。マリア像や紋章が線刻されたものも。
三重の組紐が列点の巡る円環をくぐったり越えたりしながら文様を織っていく、イスラーム文様のような。

③のロマネスク彫刻室に入るやいなや、柱頭群が目に飛び込んできた。こんな展示のしかただったとは。しかもピンボケ!
柱頭は単円柱の上にあるものと2本の円柱の上にのっているものがあるので、それを再現して、しかも低い位置で展示してあるので見易い。柱頭は思いの外小さかった。

同じ小室の奥に
王の像 12世紀 高131幅63奥行51㎝ 大理石 高浮彫 オード県ナルボンヌ、サンジュスト司教座付大聖堂(カテドラル)旧蔵
王の名前は特定できていないらしい。髭をたくわえた威厳のある正面向きの顔貌だが、体型は細身。鴨の頭部のような王笏を右手に、左手は首飾りかマントの紐に親指をかけている。
この像は四面柱に彫られたもので、両側面は棍棒と書物を持った侍者、背面に玉座の聖母子像が彫られている。
4名それぞれの着衣の衣文は、興味を惹かれる。
聖母子像の両上隅には天使像が表されている。

蛇と女性像 12世紀? 高111幅40奥行26㎝ オートガロンヌ県、オー教会旧蔵 大理石
『Sculptures Romanes』は、地母神の古い図像による像で、初期中世において、本来の意味するものから逸脱し、悪のシンボルとなったという。

広間には沢山の柱頭が大人の背丈ほどの円柱の上に置かれ、照明共にカラフル。
夏休み前の課外学習で子供達がたくさん見学に来ている。
この照明の色彩と窓から入る光で思うように写せない・・・
こんなに沢山柱頭があって、一つずつの四面を写すのは至難。しかも、壁際には彫像が並んでいるのだ。

受胎告知 12世紀第4四半期 大天使ガブリエル:高189幅65奥行26㎝ マリア:高164幅41奥行22㎝ 大理石 出所不明
ガブリエルは蔓草を加えた動物の上に立ち、長衣をたくし上げて上から下ろした衣端がジグザグに表されているが、型にはまらず、微妙に形や折り幅を変え、自然な描写となっている。斜めの衣文線が目立つ。
マリアの方は内着と長衣共に縦の衣文線が通り、右下の衣端のわずかなゆらぎがアクセントになっている。

ライオンの象徴と牡羊の象徴 12世紀 高135幅68厚14㎝ 大理石 浅浮彫 サンセルナン聖堂旧蔵
説明パネルは、2人の女性は脚を交差し、片足は靴を履きもう一方は裸足で、それぞれにライオンと牡羊を抱いている。ユリウス・カエサルの時代に「ライオンの象徴と牡羊の象徴」と刻まれた銘文がある。ロマネスク様式で浮彫されているので、彫刻家は、箔を付けるために、古い様式の作品であると信じさせようとしたのだろう。
この寓意はキリストの2つの本質を示している。一つは人間(子羊は情熱と十字架に架けられたキリストの犠牲を象徴している)そしてもう一つは神性(ライオンは復活を連想させ、ヨハネの黙示録による終末に、ユダヤのライオンは人間を裁くとされる)という。
胸元や長衣の襞のたわむ表現がみごと。それが正面では浅く彫られているように感じるのだが、側面からはかなり盛り上がっているのが見える。
これでも浅浮彫?丸彫りの半分よりは厚みはないが。
感情の表れない表情で、女性たちの視線は交わらない。裸足の足はネコ科の動物の頭部を踏んでいる。

アントワーヌ王 12世紀初頭 大理石 浅浮彫 サンセルナン聖堂西正面
説明パネルは、聖サテュルナン(セルナン)の生涯のエピソードに関するものである。トゥールーズに布教に来て250年頃に殉教したこの聖堂の主は、アントワーヌ王(中世前期に遡る聖人の生涯の物語によるとアントナン皇帝)に比定されていて、キャピトルの階段で凶暴な雄牛に引きずられたという。
上図の女性の着衣ほど深くはないが、柔らかな布の襞を美しく表現している。
ワニを爪で掴むハルピュイア 12世紀初頭 大理石 サンセルナン聖堂西正面
説明パネルは、この浅浮彫の断片は聖セルナンの生涯の物語に表された。ハルピュイアとワニが表され、不完全な銘文に、「右上にハルピュイア、つまり、鳥の体、男性の顔が羽根のある生き物を特定し、下部左にワニ」と記されているという。
猛禽の肢が掴んでいるものは、ワニには見えないのだが。 

柱頭はまだ続く。
軒とモディヨン(説明パネルを写していなかった)

柱頭はそろそろ終わり、奥の壁面には彫像が並んでいる。

彫像柱群
使徒たちが二人ずつ4本の柱に彫られている。4つの柱頭は主に蔓草文様とその中に動物などが登場していて、右端の柱頭だけが斜格子文様。その上の頂板は1段のものと2段のものがあって、それぞれ蔓草文様になっている。残った2つの台座も絡み合う動物のようだが、それぞれに別のものが表される。
使徒たちは、2名以外は脚を交差させて、直立した正面観の彫像と比べると、動的な表現となっている。
左より2番目にパウロとペテロ 1120-40年 パウロ:高115幅47奥行24.5㎝ ペテロ:高118幅64奥行34㎝ 石灰岩 浅浮彫 サンテティエンヌ司教座聖堂参事会室?

アンデレとトマ像 1120-40年 アンデレ:高115幅34奥行23㎝ トマ:高115幅12.5奥行25㎝ 石灰岩 浅浮彫 ジラベルトゥス作 サンテティエンヌ司教座聖堂参事会室?
説明パネルは、アレクサンドル・デュメージュによると、この2つの浅浮彫は今は失われた銘文のある台座に安置されていた。聖アンデレは「不明の人物ではなく、ジラベルトゥスが私を彫った」、そして聖トマは「ジラベルトゥスが私を造った」との銘文だった。像の上部に記されている銘文から人物が特定されたという。
正面向きで脚もまっすぐで動きのない彫像。どちらも頭の上に角があることから、壁面の角を飾っていたものだろう。
その着衣は丁寧に彫られている。仏像を思わせる翻波式衣文のような表現や、衣端のギザギザの線はやや煩雑に見えるが、これも薄い布の細かな襞を表したものだ。
頭光の開いた花のような放射する光の表現、髪や口ひげ、顎髭の均一に刻まれた筋、着衣の布端の刺繍のような文様、そして肩から下がる柔らかな薄い布の細かな襞など、丁寧に彫り込まれている。

小ヤコブと不明の使徒 12世紀 サンテティエンヌ司教座聖堂参事会室?
上の2名とほぼ同じ大きさで、やはり隅に嵌め込まれた浮彫像だが、小ヤコブは直立ながら、動物の上に立ち、もう一人の使徒は脚を交差させ、動物と思われるものを踏んでいて、四天王像を思い起こさせる。

彫像柱
左端:王(ソロモン?) 1165-75年? 石灰岩 浅浮彫 高112幅42奥行18.5㎝
左から2番目:女王(シバ?) 1165-75年? 石灰岩 浅浮彫 高111幅41奥行16㎝ 
共にノートルダム・ド・ラ・ドラド修道院(以下ドラド修道院)参事会室の扉口?
半円アーチの壁龕ぎりぎりの大きさの人物が正面向きで直立している。中央のものは台座のみ、他の4つの壁龕の上には美しい蔓草文様の浮彫の柱頭がのっている。
王と女王像
『Sculptures Romanes』は、持物が人物を特定できるものではないが、ソロモン王とシバの女王を表しているのだろう。キリストが王の一族であること、聖母そして受肉に捧げられた、ゴシック様式の扉口にしばしばソロモン王は現れ、そこにしばしばシバの女王が登場するという
ソロモン王はダビデ王の息子、シバの女王と共に巻物を開いている。
縦の衣皺線が目立つが、やや左を向いたソロモンの右肩と右脚には着衣表現の工夫が見られる。

ハープを弾くダビデ王の彫像柱 1165-75年? 高113幅47厚21㎝ ドラド修道院参事室扉口 大理石 浅浮彫
『Sculptures Romanes』は、キリスト直系の祖先ということ、王家の血筋をひくことを賛美するために、ドラドの参事会室の扉口に詩編作者の王を表したという。
ダビデ王の坐す折りたたみ式の椅子の足先は草食獣の蹄で、しかも、ダビデ王もその椅子も、うずくまった犬のような動物を踏みつけている。
上部に蔓草の中の人物と怪物の柱頭がのっている。
説明パネルは、ここでもまた、古い架空の怪物が表される。ケンタウロス(半人半馬)がハルピュイア(女性の顔で鳥身)に弓を引いているという。
これまでイスラーム美術で渦巻く蔓草文様をたくさん見てきたし、アルメニア教会にも見られた。ロマネスク美術にもこんなに美しい蔓草文様の浮彫があったとは。
これらのドラド修道院の彫像柱群は、『Sculptures Romanes』によると、ドラド修道院の3番目の工房の作品である。
参事会室のタンパンのない扉口のエブラズマン(多重アーチによる装飾)のそれぞれのアーチを支える柱として、側柱と彫像柱が代わる代わる配置されていた。
彫像柱はイルドフランスの最初期のゴシック建築の扉口に、ロマネスク美術の特徴を保ちながら登場した。キリストの受肉と王の家系という、新旧聖書の一致を示していて、北フランスではサンドニ司教座付聖堂(カテドラル)と1140年頃のシャルトルの司教座付聖堂を飾り、1150年にパリのサンタンヌ司教座付聖堂の扉口を飾ったが南西部では全く奇異なものだった。
それは、フランス王ルイ7世とトゥールーズ伯レイモン5世の妹コンスタンスの結婚によってフランス南西部に将来されたものであるという。

ドラド修道院の最初と2番目と3番目の工房の作品については
オーギュスタン美術館 ドラド修道院の最初の工房
オーギュスタン美術館 ドラド修道院の2番目の工房
オーギュスタン美術館 3番目の工房など

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関連項目
オーギュスタン美術館 サンセルナン聖堂の柱頭
聖タデウス教会 の浮彫装飾
一重に渦巻く蔓草文の起源はソグド?
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの

参考にしたもの
トゥールーズ観光局発行の地図
「Muée des Augustins Guide des collections Sculptures Romanes」 1998年