散策したのは城壁に囲まれた中世の町。上空から見たペルージュ
①バルバカーヌ(外堡) ②高い所の門 ③要塞化された教会 ④村役場 ⑦フォルの井戸 ⑧低い所の門 ⑨塩の倉庫 ⑰監視塔
①バルバカーヌ la Barbacane ②高い所の門 La porte d'en haut ③要塞化された教会 L'É glise-forteresse
一枚で済ませようと、無理なパノラマ合成をしてしまった。町の門は教会にくっついている。平たい土地の小さな村は、教会や役場がその中心にあり、前が広場になっているのが一般的なのに、村の端に教会があった。
②高い所の門と③要塞化された教会
②高い所の門と③要塞化された教会
通ったときは気づかなかったが、教会の扉は開いていた。内部は尖頭交差ヴォールト天井の身廊の三廊式になっている。15世紀というから後期ゴシック様式にしては窓が大きくは開いていない。手前の交差リブに四弁花のような装飾がある。これは石彫だろうか。
小さいながらステンドグラスがあった。キリスト伝などは表されていないが、これでよいと思う。花文様や幾何学文様に枠が作られて色ガラスがはめ込まれている。教会の中でみたらどんな色に見えるのだろう。
よくわからないのは、円と円の隙間のえぐれた菱形のガラスはどうやって作ったのかということ。
左に別れる道に入ると、小学校があって、ちょうど退け時で親たちが迎えに来たところだった。
ロンド通り Rue des Rondes の右手にペルージュのガレット Galettes de Pérouges という郷土菓子の店があった。
続いて木組みの建物が現れた。木組みの家(木骨造り colombage)って、いろんなところにある。
左に別れる道に入ると、小学校があって、ちょうど退け時で親たちが迎えに来たところだった。
ロンド通りに戻ってアルオーフール(かまど市場)通り Rue de la Halle au Four に入る時、左手の建物の窓が気になった。
何時の時代のものだろう。
⑫ティヨル広場 Place de Tilleul に到着。広場の名称となったティヨル=菩提樹一本が、たくさんの棒に支えられていた。
もう使わなくなった倉庫。
何を見ているのだろう。
目立たない⑧下の門 Porte d'en bas だった。
先ほど通ったフォール通りがロンド通りと交わってすぐの場所に出た。
ロンド通りの続きを歩くいていくと、円筒形の⑰監視塔 Tour de Guet があった。どこから近寄れるのか分からなかった。
村役場の広場では鍛冶屋が店を広げていた。
若い鍛冶屋さんはおもにナイフを作っているようで、短い刀、あるいは柄の長い包丁を指さした。
広場の先で外の風景を眺める。緩やかな傾斜地が広がっていた。
広場を囲む建物
上の左端が下の写真の右端にきます。
中央右寄りの壁面の絵のようなものは日時計 le Cadran Solaire 19世紀。
大きくはない建物の間に細い道があるので、どこからでもこの広場に来ることができそう。
突然植え込みが現れた。フィラトゥリー(製糸屋)の庭 Jardin de la Filaterie
何とも味わい深い壁。仕切っただけの窓の多い中にルネサンス様式の十字架の窓も。
ティヨル広場へ繋がっていた。菩提樹は見る方向によって樹幹の形が違う。
それからコントルフォール(扶壁)通り Rue des Contreforts を南下すると、
村役場の広場では鍛冶屋が店を広げていた。
若い鍛冶屋さんはおもにナイフを作っているようで、短い刀、あるいは柄の長い包丁を指さした。
広場の先で外の風景を眺める。緩やかな傾斜地が広がっていた。
ロンド通りの残りを歩き、集合場所のティヨル広場へ。
シテ道路 Route de la Cité に停まっていたスに乗り込む。
17時15分、バスは発車した。丘の上のかつての城塞都市ペルージュ。
中央には第一次大戦の大砲を原料に作られたマリア像、左下がルピュイの司教座聖堂の塔
建物には岩山のサンミシェルデギュイーユ St-Michel d'Éguille 礼拝堂、次いで聖母マリア像、奥にノートルダムデュピュイ司教座聖堂と描かれている。熱気球の形が、サンティアーゴデコンポステーラへの巡礼路を示すホタテ貝だった。
本日の夕食は遅いので中止となり、近くの小さなスーパーでヨーグルトを買って食べた。
本日の夕食は遅いので中止となり、近くの小さなスーパーでヨーグルトを買って食べた。
ヨーグルトは大きな容器か小さなものが4つのセット。牛乳も小さな容器のものがないので諦めた。部屋に冷蔵庫がなかったので。
ペルージュでガレットを買っておくのだったと思ったものだ。
参考にしたもの
ペルージュ観光案内所発行の小冊子
絵はがき