お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年5月26日金曜日

ペルージュ Pérouges


ブールカンブレスの後にペルージュに立ち寄った。町に入る前にあった地図はペルージュの周辺地図だった。町は青い線で囲まれた部分の南端に過ぎない。

散策したのは城壁に囲まれた中世の町。上空から見たペルージュ
上空から見たペルージュ 絵はがきより


①バルバカーヌ(外堡) ②高い所の門 ③要塞化された教会 ④村役場 ⑦フォルの井戸 ⑧低い所の門 ⑨塩の倉庫 ⑰監視塔 
中世の町ペルージュの地図 ペルージュ観光案内所の小冊子より


①バルバカーヌ la Barbacane ②高い所の門 La porte d'en haut ③要塞化された教会 L'É glise-forteresse
一枚で済ませようと、無理なパノラマ合成をしてしまった。町の門は教会にくっついている。平たい土地の小さな村は、教会や役場がその中心にあり、前が広場になっているのが一般的なのに、村の端に教会があった。

②高い所の門と③要塞化された教会 

通ったときは気づかなかったが、教会の扉は開いていた。内部は尖頭交差ヴォールト天井の身廊の三廊式になっている。15世紀というから後期ゴシック様式にしては窓が大きくは開いていない。手前の交差リブに四弁花のような装飾がある。これは石彫だろうか。

門をくぐったところ。日の当たり方にもよるが、はしばみ色の石造りの町並みと道路。


その左手に先ほどの③マグダラのマリア教会


小さいながらステンドグラスがあった。キリスト伝などは表されていないが、これでよいと思う。花文様や幾何学文様に枠が作られて色ガラスがはめ込まれている。教会の中でみたらどんな色に見えるのだろう。

もう一つはロンデル窓。宙吹きで膨らませたガラスを開いて平らにした円形の板ガラスを並べている。中心にポンテ跡があるが、左下の2つは違うし、頂部のガラスは放射状に線が刻まれていて。中央に三角形があるのも不思議。
よくわからないのは、円と円の隙間のえぐれた菱形のガラスはどうやって作ったのかということ。

ロンド通り Rue des Rondes の右手にペルージュのガレット Galettes de Pérouges という郷土菓子の店があった。

こんなお菓子 galette sucrée 砂糖がけのガレット 8ユーロと札があるが、小さく切り売りしている。
まだお腹いっぱいなので買う気になれなかったが、後に買っておけば良かったと思う事態に・・・!


続いて木組みの建物が現れた。木組みの家(木骨造り colombageって、いろんなところにある。

左に別れる道に入ると、小学校があって、ちょうど退け時で親たちが迎えに来たところだった。

教会の鐘楼学校の横から先ほどの教会の鐘楼が見えた。
この扉の上の木の楣、その上の瓦についた苔がええな~

ロンド通りに戻ってアルオーフール(かまど市場)通り Rue de la Halle  au Four に入る時、左手の建物の窓が気になった。

カザンの家 Maison Cazin が何かわからないが、これってロンデル窓やん。しかもダビデの星っぽい
何時の時代のものだろう。


⑫ティヨル
広場 Place de Tilleul に到着。
広場の名称となったティヨル=菩提樹一本が、たくさんの棒に支えられていた。

広場を囲む建物

上の左端が下の写真の右端にきます。
中央右寄りの壁面の絵のようなものは日時計 le Cadran Solaire 19世紀。

プランス通りRue des Princes と王子の複数形の名称のついたこの道は、教会前で別れた道。
大きくはない建物の間に細い道があるので、どこからでもこの広場に来ることができそう。

この木組み(コロンバージュ)の建物はカフェらしく、テラス席は客でにぎわっていた。

ギフトショップやホテルもある。


タンブール(太鼓)通り Rue du Tambour から

ロンド通りに出て、

この通りには蔦のような蔓になる木の這う建物が続く。
その枝に掛けられた看板は「製本屋」

アトリエも。


⑨塩の倉庫 
1536-1790年

もう使わなくなった倉庫。


突然植え込みが現れた。フィラトゥリー(製糸屋)の庭 Jardin de la Filaterie 

何を見ているのだろう。


目立たない⑧下の門 Porte d'en bas  だった。



何とも味わい深い壁。仕切っただけの窓の多い中にルネサンス様式の十字架の窓も。

鬆のある石と硬そうな石


その先の建物の壁面にルネサンス様式の十字架の窓枠が。幾何学文様のステンドグラスも同じ時期に入ったのだろうか。


フォ-ル通り Rue du For への分かれ。

でもロンド通りを行く。

この高い建物も味わい深い。


右手の突き出たような家のそばを通ると、


鍛冶屋が今でも続いているようだった。

左には二階が突き出した家


その先には樹木が植わったところがあって、フール通りと交わる。

この辺りの建物はリノベーションされている様子。

こからフォ-ル通りに入ると、の井戸がプランターになっていた。

角には崩れてしまった建物

竃市場通りを通ってみると、


ティヨル広場へ繋がっていた。菩提樹は見る方向によって樹幹の形が違う。
葉が茂っている時期には木陰の下でくつろげそう。

それからコントルフォール(扶壁)通り Rue des Contreforts を南下すると、

先ほど通ったフォール通りがロンド通りと交わってすぐの場所に出た。


ロンド通りの続きを歩くいていくと、円筒形の⑰監視塔 Tour de Guet があった。どこから近寄れるのか分からなかった。


村役場の広場では鍛冶屋が店を広げていた。

若い鍛冶屋さんはおもにナイフを作っているようで、短い刀、あるいは柄の長い包丁を指さした。


広場の先で外の風景を眺める。緩やかな傾斜地が広がっていた。

ロンド通りの残りを歩き、集合場所のティヨル広場へ。

教会に隣接する②高い所の門から出て、



シテ道路 Route de la Cité に停まっていたスに乗り込む。


ペルージュで見つけた花。
日本にもありそうだが名称が分からない。

ツタバウンラン
ヨーロッパ原産で日本にも帰化しているとか。


17時15分、バスは発車した。丘の上のかつての城塞都市ペルージュ。

わずかな時間歩いただけだが、今見ても懐かしい。


農地や低木の囲いのある牧草地が広がる。


そしてリヨンへの高速道路へ。


高速道路のゲート。
ところが、ルピュイへの道へ分かれる前から雨になり、渋滞も始まった。


まだ日は暮れていないながもう20時、やっとルピュイ Le Puy en Velay までやってきた。
中央には第一次大戦の大砲を原料に作られたマリア像、左下がルピュイの司教座聖堂の塔

建物には岩山のサンミシェルデギュイーユ St-Michel d'Éguille 礼拝堂、次いで聖母マリア像、奥にノートルダムデュピュイ司教座聖堂と描かれている。熱気球の形が、サンティアーゴデコンポステーラへの巡礼路を示すホタテ貝だった。


本日の夕食は遅いので中止となり、近くの小さなスーパーでヨーグルトを買って食べた。
ヨーグルトは大きな容器か小さなものが4つのセット。牛乳も小さな容器のものがないので諦めた。部屋に冷蔵庫がなかったので。
ペルージュでガレットを買っておくのだったと思ったものだ。



参考にしたもの
ペルージュ観光案内所発行の小冊子
絵はがき