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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2021年7月6日火曜日

炳霊寺石窟 目指すは大仏の上


その後は供養塔が続いた。
炳霊寺石窟 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

浮彫石塔 北宋-清代

一仏二菩薩像があった窟 北魏かな
いたましいというしかない

その斜め上は如来坐像に見えなくもない。
背後壁に白い色が残っているので、もとは一仏二菩薩像の小窟だったのだろう。

僧侶のお骨でも納めていたのだろうか。 


供養塔 北宋政和2年(1112)


その右手は窟門の傍に上下に供養塔がある。

供養塔の間に窟門、いや窟門の外両側に供養塔が浮彫されている。新たな窟を開鑿せずに、古い時代の窟の近くに供養塔を捧げることで信仰を示すことが流行したのだろうか。

扉の閉じられた小さな窟が続いて


143窟
草木のようなものが描かれている。

144窟は扉がしまっていた。


145・146窟も閉まっていた。

更に階段の向こうに大仏が見えた。これが炳霊寺石窟で一番大きな仏像だが、

146窟に続く供養塔群も通り過ぎて、

その続きには線刻で、何やら表されている。
中央に頭光のある如来が坐しているらしいことくらいしかわからない。
その隣は天蓋だろうか・・・

しかしながら、これらの線刻のことはすぐに忘れてしまった。
目指していたのは大仏ではなく、その頭上にぽっかり空いた穴、特別窟の169窟へいよいよ入ることができるのだから😍
分かっていたことだが、169窟は撮影禁止。その上カメラも荷物も全て下に置いて、身軽になって、木製のそこそこ使い古された階段を登っていく。

足を踏み外さないように、落ちないようにと細心の注意を払って階段を登っていったので、
上の桟道に供養塔や窟があるのは目に入らなかった

主に西秦時代の仏像の残る169窟を見学し、桟道を通ってやはり特別窟で北魏時代の仏像仏画のある172窟を見学した。桟道の上にも古い時代の仏像が残っていた。
それについてはゆっくりと後日😊

下りはもっと慎重に階段をおりた。見学者たちは慎重に両側の手すりを持って、後ろ向きに降りたが、後からおしゃべりをしながら降りてきたガイドの丁さんと研究員の方は、前向きで手すりも持たずにすたすたと降りてくるのだった。今回はかつて山登りをしていた人が多かったが、皆さん呆れ気味😉
とりあえず高さ27mの大仏(唐代)も正面から写しておく。


大寺溝と劉家峡ダム方面を眺める。左岸の建物が16窟の涅槃像(北魏、唐・明代重修)を移設してある建物。

この特徴ある岩も忘れられない。姉妹峰の片側。

橋を渡って戻っていく。

橋の上から眺めると、
大寺溝の奥は、峰の重なりがいまいち見えない。やっぱりドローンでないとね😆

対岸から眺める大仏と169・172窟

172窟の奥にあった厨子のようなものも写っていた🤩

通路は岩壁に沿っているので、再び大仏が見えたところから眺めた。
172窟と通路

172窟の一仏二菩薩像や千仏などを写すことができた。

169窟は岩が赤くところどころ白いところのある、それだけでも目を奪われるものだったが、そんなところにも仏像が多く浮彫されていた。
開口部近くには一仏二菩薩像の浮彫が😄 

なんとか写すことはできた🤗 地層に負けない、
阿弥陀如来の彩色!

おそらく169窟への階段途中から分かれた桟道がここまで続いているのだろう。


続いて16窟の涅槃像が安置されている建物へ。あれこれ写しているうちに、すでに説明が始まっていた😅

ちょっと歪んだ涅槃像(3枚のパノラマ合成) 北魏
釈迦は長さ8.6m
『永靖炳霊寺』は、最も外側の層は明代重塑、二層目は唐代重塑、最深部が北魏のものという。なんとも安らぎのある寝顔。
しかしながら、同書の図版では、北魏らしい角張った顎の涅槃像だった。

そして反射してすご~く分かりにくい写真。細長い顔は北魏のもののよう。
パノラマ合成した涅槃像と、図版の涅槃像は全く異なっていました。
それについてはこちら

対岸の窟群を写しながら戻っていくと、

小さな窟の上に如来立像が3体もあった。

25窟 如来立像 唐代 尖頭アーチ龕 高さ2.80m、幅1.25m、奥行0.35m
『永靖炳霊寺』は、受花の蓮華座に立つ如来。下部に一弟子と如来坐像が描かれるという。

26窟 如来立像 唐代 尖頭アーチ龕 高さ2.70m、幅1.25m、奥行0.55m
光背や下部の一弟子が描かれるという。

48窟 如来立像 唐代 尖頭アーチ龕 高さ2.67m、幅1.60m、奥行0.50m
25・26窟の如来よりも表情柔らかい。 

29窟外側の二天像と主尊の光背が黒っぽいのが分かる程度。

30窟の中央の菩薩立像は見えなかったが、両側の蓮茎をもち半跏する菩薩像は全体の様子がわかった。

その後は横に振れる参道をどんどん戻っていったので、対岸の窟を写すひまはなかった。
炳霊寺石窟3-14窟 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟 第169窟 西秦』より

気が付けば石窟の門に近い窟が見えていた。

大寺溝から分かれる流れに架かる橋。


そして、来る時は真上にあったので見えなかった尖峰も見えて、 

姉妹峰の勝手に姉峰と呼んでいる方が見えた。

橋を渡ると妙な浸食のある崖の傍を再び通って見学は終わった。




関連項目

参考文献 
「中国石窟 永靖炳霊寺」 甘粛省文物工作所・炳霊寺文物保管所 1989年 文物出版社
「中国石窟芸術 炳霊寺」 甘粛省炳霊寺文物保護研究所編 2015年 江蘇鳳凰美術出版社
絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟 第169窟 西秦」 主編鄭炳林 2021年