炳霊寺石窟 『中国石窟 永靖炳霊寺』より |
浮彫石塔 北宋-清代
背後壁に白い色が残っているので、もとは一仏二菩薩像の小窟だったのだろう。
僧侶のお骨でも納めていたのだろうか。
供養塔 北宋政和2年(1112)
その右手は窟門の傍に上下に供養塔がある。
供養塔の間に窟門、いや窟門の外両側に供養塔が浮彫されている。新たな窟を開鑿せずに、古い時代の窟の近くに供養塔を捧げることで信仰を示すことが流行したのだろうか。
中央に頭光のある如来が坐しているらしいことくらいしかわからない。
その隣は天蓋だろうか・・・
しかしながら、これらの線刻のことはすぐに忘れてしまった。
目指していたのは大仏ではなく、その頭上にぽっかり空いた穴、特別窟の169窟へいよいよ入ることができるのだから😍
その隣は天蓋だろうか・・・
しかしながら、これらの線刻のことはすぐに忘れてしまった。
目指していたのは大仏ではなく、その頭上にぽっかり空いた穴、特別窟の169窟へいよいよ入ることができるのだから😍
分かっていたことだが、169窟は撮影禁止。その上カメラも荷物も全て下に置いて、身軽になって、木製のそこそこ使い古された階段を登っていく。
足を踏み外さないように、落ちないようにと細心の注意を払って階段を登っていったので、上の桟道に供養塔や窟があるのは目に入らなかった。
それについてはゆっくりと後日😊
下りはもっと慎重に階段をおりた。見学者たちは慎重に両側の手すりを持って、後ろ向きに降りたが、後からおしゃべりをしながら降りてきたガイドの丁さんと研究員の方は、前向きで手すりも持たずにすたすたと降りてくるのだった。今回はかつて山登りをしていた人が多かったが、皆さん呆れ気味😉
とりあえず高さ27mの大仏(唐代)も正面から写しておく。
大寺溝と劉家峡ダム方面を眺める。左岸の建物が16窟の涅槃像(北魏、唐・明代重修)を移設してある建物。
対岸から眺める大仏と169・172窟。
172窟と通路
おそらく169窟への階段途中から分かれた桟道がここまで続いているのだろう。
釈迦は長さ8.6m
『永靖炳霊寺』は、最も外側の層は明代重塑、二層目は唐代重塑、最深部が北魏のものという。なんとも安らぎのある寝顔。
しかしながら、同書の図版では、北魏らしい角張った顎の涅槃像だった。
そして反射してすご~く分かりにくい写真。細長い顔は北魏のもののよう。
30窟の中央の菩薩立像は見えなかったが、両側の蓮茎をもち半跏する菩薩像は全体の様子がわかった。
その後は横に振れる参道をどんどん戻っていったので、対岸の窟を写すひまはなかった。
パノラマ合成した涅槃像と、図版の涅槃像は全く異なっていました。
対岸の窟群を写しながら戻っていくと、
小さな窟の上に如来立像が3体もあった。
25窟 如来立像 唐代 尖頭アーチ龕 高さ2.80m、幅1.25m、奥行0.35m
『永靖炳霊寺』は、受花の蓮華座に立つ如来。下部に一弟子と如来坐像が描かれるという。
26窟 如来立像 唐代 尖頭アーチ龕 高さ2.70m、幅1.25m、奥行0.55m
光背や下部の一弟子が描かれるという。
29窟外側の二天像と主尊の光背が黒っぽいのが分かる程度。
その後は横に振れる参道をどんどん戻っていったので、対岸の窟を写すひまはなかった。
関連項目
参考文献
「中国石窟 永靖炳霊寺」 甘粛省文物工作所・炳霊寺文物保管所 1989年 文物出版社