お知らせ

中央アジア各国そしてイラン旅行記が完成し、フランス南西部のオクシタニー地方の旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2019年2月25日月曜日

自由都市ヴィルフランシュ・ド・ルエルグ


本日はルエルグの木曜市へ。

アルビを出発。昨日通った道から天空のコルドを過ぎ、
段々と起伏が出てきて、牛がいたり、
緩い傾斜地の凹みに収まった村を眺めていると、急に下り坂になり、ヴィオール川(La Viaur)を渡った。この村の名はラゲピー(Laguépie)
橋から見えたのはまさに廃墟そのもの。サンマルタン城(Château Saint-Martin)というらしい。
尖塔の目立つ教会堂や監視塔のある城館などを擁したサンヴァンサ(Sanvensa)村を過ぎて、

一時間半弱で、赤茶けたアヴェイロン川に面したヴィルフランシュ・ド・ルエルグ(Villfranch-de-Rouergue、中世の自由都市)に到着。
『Villfranch-de-Rouergue-Aveyron Un Patrimoine pluriel et singulier』(以下『ルエルグ紹介の小冊子』)は、800年の歴史がある。このバスティード(城塞都市)は、フランスで最も大きく保存状態の良い町であるという。
本来はどのような形だったか不明だが、南北に細長い区画割りされた、計画的に造られた町であるが、現在の町を囲む道路を基準にすると、その軸線がやや傾いている。

そこで待っていたのは、ロカマドゥールやフィジャックを案内してもらったロベルトさんが待っていた。
コンシュル橋(Pont des Consuls、地方行政官橋)から
ノートルダム広場(Place Notre Dame)へと続くメインストリート😊レピュブリク通り(Rue de la République)には買い物籠やカートを手にした人々が木曜市のあるノートルダム広場へと向かっていく。
まずChez KAD(カドの家)というケバブ屋でトイレ休憩。
代金代わりにコーヒー(エクスプレス)を頂く、1€。
道行く人は皆広場に向かっているが、

我々は横丁に入って、更に蔦の絡まるトンネルへ。
ロベルトさんは右のアーチに消えていった。
どうやらセネショセ河岸通り(Quai de la Sénéchaussée)の下に来たらしい。
水面に近い高さで川を見るのもいいかも。先ほども見たコンシュル橋は、陽が当たって明るい色になっていた。
上流側
張り出した木組み(コロンバージュ)の住宅。
狭い通りから
メインストリートへ。
ノートルダム参事会教会(Collégiale Notre-Dame)の鐘楼は部分的にしか見えない。
扁平なサンマルシィアル・アーケード(Arcade Saint Martial)へ。その右足には買い物籠が並んでいる。
支柱のある箇所だけが扁平アーチで、梁と板の天井。このような通路では道具類の屋台が集まっている。
アーケードからノートルダム広場に出ると、青果店は準備中だった。
それぞれ1㎏で、アプリコット3.4€、ネクタリン2.49€、桃2.49€とアプリコット(フランス語ではアブリコ)が一番高い。
広場を囲む建物はほとんどがルネサンス様式の十字窓。一階はそれぞれアーケードになっている。
左側の3つの建物。右端は壁のほとんどを窓が占める。

準備中なので先に教会の中へ。ファサードの前に鐘楼が建造されているのと、屋台が出ているためアクセスが困難。
フランボワイヤン様式で、フランス革命の時に彫像が取り外されたため、その台座と天蓋だけが透彫装飾のように残っている。
乾燥セップ茸1袋11€。アンズタケがあれば買ったのに。
シスターたちはお菓子を売っていた。後で買うつもりだったけど😢
平面は翼廊のない三廊式、両側廊は通路ではなく、一つの柱間が小祭室になっている。
西正面は後期ゴシック期のフランボワイヤン(火焔)様式だが、堂内は簡素で、建築当初はあったであろうフレスコ画もなく、落ち着ける空間である。
入口に近い横断アーチの起拱点にかわいい浮彫が。
ゴシック様式ではロマネスク様式のような楽しい柱頭がほとんどなくなってしまったが、こんな目立たないところに生き延びていた。イサクの犠牲だろう。
ゴシック様式にしては窓ガラス小さい。
ロベルトさんはまず鐘楼へ行きましょうという。この開口部はゴシック様式ではなくルネサンス様式のよう。
『Villfranch-de-Rouergue-Aveyron Un Patrimoine pluriel et singulier』(以下『ルエルグ紹介』)
アルビのサントセシル司教座聖堂で登れなかったのでここで挽回。
大好きな螺旋階段登り。このどこまでも捻れて高くなっていく天井を見るのも、
数百年の人々の往来ですり減った床面を足で確認するのも楽しい。
因みに、モスクのミナレットの方が段差があり、下りはかなりこわい。また、ミナレットは通常螺旋階段が二重に造られていて、登りと下りに分けられていたという。
明かり取りの窓は矢狭間も兼ねていたのだろうか。
狭い通路に出たとたんに大音響が🤢
外が眺められるところから、通ってきたレピュブリク通りと町並み。それほど高くはないので、アヴェイロン川は見えない。
ノートルダム広場は日除けのパラソルがだいぶ開いてきた。
西側の町と広場を囲む建物
広場のパラソル
振り返ると木製のブラインドが取り付けられていた。下はルネサンス様式の扁平アーチ、上部がゴシック様式の尖頭アーチ。中央の支柱に細いが力強い木が伸びて、アーチの高さで左右に枝を広げているよう。
北側にはデュラン・ド・モンロズール(R.Durand de Montlauzeur)。
遠くに不思議な形の教会が。北欧の木造教会ではなさそうだが。

尖頭アーチの通路を通って
東方の眺め。内陣が張り出している。
ゴシック様式らしい装飾
再びゴシックっぽくない通廊へ。
巡回する通路の内側が鐘楼で、
ずっと鳴り響いていた大音響の源、カリヨンの鐘が並んでいた。カリヨンはゴシック期にはまだなかった。
奥の部屋でカリヨンを演奏する人がいて、それを見学するグループ。
空から見た鐘楼(『ルエルグ紹介の小冊子』より)
正方形の各角から扶壁が斜めに張り出し、それにゴシック様式のピナクルが付いているが、窓はルネサンス様式の十字形。

螺旋階段を降りて教会堂へ。カリヨンの轟音は全く聞こえなくなり、かわりにパイプオルガンが鳴り響いていた。

アカンサスの葉文様が浅浮彫された柱頭や、
葡萄でもなさそうな実を付けた蔓草の柱頭は連続したものが嵌め込まれている。
放射状の後陣では5つの細長いステンドグラス。
これが翼廊というわけではなさそうだが。
内陣の祭壇と聖職者席
ミサの間聖職者たちは立っているように見えて、実は小さな台に浅く腰をかけていることを見せてくれるロベルトさん。
それぞれに異なった浮彫が施され、誰の席か見分けられるようになっていたのかな。
木彫の凝った装飾
内陣側から眺める身廊と小礼拝室の連なり。西正面奥はパイプオルガンと扉口。
外に出て鐘楼を写す。


チーズは買いたいが後日にしよう。
ソシソン(saucisson)と呼ばれるドライタイプのソーセージ屋
広場の北側レニエス・アーケード(Arcades Reyniès)へ入ると、
広場側にはテーブル席が3列、外のテラスにも並んでいて賑わっていた。
アーケードの途中からアール通り(R.de la Halle、市場通り)、右折してウルバン・カブロル通り(R.Ulbain Cabrol)へ。
狭い通路を抜けるとA・レスキュール広場(Pl.A.Lescure)。普段は駐車場のようだが、木曜だけは市が立つ。
ハミウリの様なポントス地方のメロンとスイカ、どちらも㎏1.2€。
広場の向かい側の家は木枠の十字窓。
アーチの上の石板
広場とノートルダム聖堂

C.グラニエ通り(R.C.Granier)から
サンジャック通り(R.Saint Jacques)に出て右折。
歩いていて左奥に鐘楼から見えた教会があった。
『ルエルグ紹介の小冊子』は、ペニタン・ノワール礼拝堂(La Chapelle des Pénitents Noirs)は、16世紀末から17世紀初頭に起こった黒衣の苦行者という組織が、1609年に設立したという。
同小冊子によるとバロックの宝庫なのだそう。

通りの名からも分かるように、ここもまたサンティアゴデコンポステラへの巡礼路が通っている。その証拠がこのホタテ貝のマーク。
サンジャック礼拝堂(Chapelle Saint-Jacques)サンジャック通りにファサードがある
『ルエルグ紹介の小冊子』は、仏南西部のゴシック様式らしく単廊式の良い例である。長さ19m、幅7.5m。ファサードはフランボワイヤン様式という。 
内部は簡素で私好み
『ルエルグ紹介の小冊子』に載っていたサンティアゴデコンポステラへの巡礼路図。
ルピュイから始まる巡礼路は、コンクの先フィルミでフィジャックからモワサックへと向かう主路から分かれて、ペイリュス・ル・ロク(Peyrusse-le-Roc)、ヴィルヌーヴ・ダヴェイロン(Villeneuve d’Aveyron)を経てヴィルフランシュ・ド・ルエルグ、そしてナジャック(Najac)、コルドからトゥールーズへと至る道もあったようだ。

サンジャック通りを西へ。
マルトー通り(R.du Marteau、金槌)のカドにも木組みの家。
左側で見かけた美容院の楽しい看板
再びノートルダム広場を囲む建物のアーケードへ。その名はA・ド・ポワティエ。
かなりの下り坂
広場の木曜市は賑わっていた。
アンズタケも売ってはいるのだが、生のものは持ち帰れない。小さなサクランボも。
広場の北側。
ルエルグのお焼き(ファルス)屋。小腹ふさぎに一つ、1.35€。色んな野菜、田舎パンの耳、コショウ、オリーブオイル、小麦粉で作ってあり、美味しかったが写真なし。

セルジャン・ボリ(R.du Sergent Bories)と名を変えた通りを軽快に下って行くと、
変わった扉口の庇を発見👀
七階建てで、間口は狭いが他の建物から抜きん出ている。ルネサンス様式の十字窓が縦に6つ並んでいる。
庇と共に二階が張り出している。
枝をくわえる羊さんとロバ?アカンサスの葉も受け継がれている。
開けてきたなと思ったらフォンテーヌ広場(Pl.de la Fontaine)。段差はあるけど広場。
小冊子によると、1336-40年建造の一枚石の水槽。
広場を囲む建物。
その先の右に陽の当たった建物が⑪サント・エミリー・ド・ロダ礼拝堂。
他の教会では見逃していたのか、この新しい礼拝堂には平面図付きの説明パネルがあった。1290年に記録のある古いフランシスコ会の修道院(フランス革命で破壊された)跡に1952-58年に建立されたという。
ゴシック様式の古い聖堂の平面図みたい。
聖母子に跪いて手を合わせる左の人物が聖女エミリーかな、なんとなく日本の着物を纏っているような・・・面白い浮彫だ。

ロベルトさんはどんどん歩いてこの長い建物のアーチの中へと行ってしまった。
⑫B.レズ広場(Pl.B.Lhez)
この広場は駐車場になっている。向こうには古そうな建物が。
この円筒形の階段のあるルネサンス様式の建物は、ロベルトさんの知り合いの彫刻家が工房として使っているという。
その看板がおしゃれ
運良くバレステ氏は仕事中。
厚かましく工房を写させていただいた。
壁に掛かっているのは聖母子像?
広場を後にして、
緑の小径を通ってアヴェイロン川へ。
コンシュル橋とアヴェイロン川を眺めてルエルグを去った。



  アルビで朝散歩1 目覚める街←     →稜線の町ナジャック

参考文献
Villfranch-de-Rouergue-Aveyron Un Patrimoine pluriel et singulier」 

「laissez-vous conter Villfranch-de-Rouerge」
共にヴィルフランシュドルエルグの町発行