お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年10月27日金曜日

イソワール サントストルモワヌ聖堂 Issoire Saint-Austremoine


モンペルーから自動車道で南下してイソワールへ。
イソワールの町 Google Map より


サントストルモワヌ聖堂に近い広場、というよりも駐車場でバスを降りた。
フランス・ロマネスク散策イソワール(以下『ロマネスク散策』)は、伝承によれば、最初の修道院は3世紀半ばにオストルモワヌによって創設され、修道院教会は、この聖人に捧げられた。この最初の修道院は、474年頃西ゴート族により破壊された。
オーストルモワヌ(アウストレモニウス)は、クレルモンの初代司教で、ローマからやって来た3世紀のオーヴェルニュの福音伝道者。彼は殉教し、イソワールの修道院教会に埋葬されたという。
使徒や大天使、聖母(ノートルダム)などの名を冠した教会はたくさんあるが、サントストルモワヌはこの教会だけ。

天気の悪い日々からは羨ましいほどの晴天。この教会もまた後陣を最初に見た。
ロマネスク散策は、816年、ノルマン人の侵略から逃れてきたポワトゥのベネディクト会修道士らが、イソワール近隣のサンティヴォワヌに避難する。彼らはイソワールに新修道院を設立し、この修道院は937年にサンピエールとサントストルモワヌの名の下に聖別され、修道院教会の建設は、940年頃計画される。修道院は繁栄を謳歌し、12世紀に修道院は再建される。修道院教会は1190年頃完成し、これが現在のロマネスクの教会堂。
宗教戦争時、ユグノーにより修道院と教会堂は略奪され、建物にダメージを受けた。
1793年フランス革命時、修道院教会は荒らされ、修道院の建物はほぼ完全に破壊される。1801年教会堂は教区教会となり、1830年代以降大修復工事が始まる。
このサントストルモワンヌ教会は、バッス・オーヴェルニュの5大教会のひとつ
という。
この聖堂もまた色石の組み合わせによるモザイク装飾がある。

平面図
『世界史の旅 フランス・ロマネスク』(以下『フランス・ロマネスク』)は、身廊の高さ9m55、長さ65m、七つの梁間をもち、オーヴェルニュ地方で最大の規模である。
身廊は2階からなり、放射状祭室には五つの祭室があり、中央のものが長方形、翼廊に左右一つずつ祭室をもつ。
ここの洗礼者志願室には、先だつ教会から招来された壁がはめこんである。石材はモンペイルーの黄色の花崗岩が用いられている。銘のはいった石は、後陣近くの壁に多く、種類もさまざまであるという。
現在ではモンペルーの石は砂岩とされている。
後陣には放射状祭室が五つ。そのうちの中央のものは三つが密接して造られていて、しかも真ん中は半円ではなく矩形。
イソワール、サントストルモワヌ聖堂平面図 『世界史の旅 フランス・ロマネスク』より


全体を写していない三つ続きの祭室。何故かというと、祭室には動物や天使などの浮彫が嵌め込まれているのがこの教会堂の特徴なので、それを写そうとしたからだ。
それについては後日忘れへんうちににて
平面図では分からないのはその高さだが、真ん中の矩形の祭室は、内部は他と変わらず、窓の上の壁面だけが高くなっている。

外側の祭室は少し離れている。


そして南翼廊にも小さな祭室。翼廊からマッシフ・バーロンが立ち上がり、その上に二層の八角形の塔がそびえる。
ロマネスク散策は、鐘楼は各面に2つ一組の開口部がある2層からなり、トランセプトに沿ってのびるマシフ・バーロンの上に聳える。このマシフ・バーロンは、オーヴェルニュ・ロマネスクの教会堂が見せる、後陣の垂直に上昇していく特徴的なシルエットのカギであるという。


説明パネルの平面図を見ると、往事は沢山の建物や庭があったことがわかる。
聖堂の南隣に回廊と中庭が密接して付属していたので、現在のように聖堂の南側を通って扉口へ向かうことはできなかった。

それよりは時代は下がるが、現在ではこのような建物が聖堂の南側にある。


南翼廊


マッシフ・バーロンの壁面だけ異質な感じ。


南壁の続き
回廊のあったという壁面の下部が、なんとなく石の色が違うように感じる。

南翼廊には、サンネクテール聖堂と同じ位置に外付けの小屋のようなものがあるが、ここのも入口はない。


西ファサードの端は出っ張って、鐘楼は中央に一つというオーヴェルニュタイプ。



ファサードに回って堂内に入る。


身廊から内陣
『フランス・ロマネスク』は、驚いたことには内部の柱も壁も、けばけばしい色彩と文様で描かれているのであり、「ゾディアック叢書」
によれば19世紀にこのように彩色されたのである。これが一種の迷彩のような働きをして、内部の構造や身廊、側廊にたいする適切に見る目を妨げているように思われたという。
ブリウドのサンジュリアン聖堂は古い壁画が残っていたが、ここではこんなケバく彩色されてしまっている。

左側廊から放射状祭室


右側廊から放射状祭室



身廊と左側廊の境の複合柱、トリビューン(階上廊)


トリビューンの三連アーチ


十字交差部から内陣

内陣と放射状祭室

彩色されて古さが感じられないが、ここの柱頭彫刻は頑張って撮影したので、後日忘れへんうちににて



十字交差部天井
明るい右側が内陣、暗い左側が身廊上下は南北翼廊 
正方形の四隅にトロンプ(スキンチ)を設け、八角形へと移行させているのだが、どう見ても正八角形にはなっていない。

十字交差部、身廊側の三連アーチ


北翼廊
ステンドグラスは地味。上は半円アーチが間隔を置いて並び、下はオーヴェルニュ地方独特の二つの半円アーチに挟まれた開口部のないミトラ型アーチになっている。


内陣の左右からクリプトに下りられる。中央部の柱頭には彫刻はないが、窓際の柱頭には彫刻のあるものも。

アカンサス由来の葉文様は風化が見られるが、後世に彩色されずに済んで良かった。

両側のアカンサスの素弁の葉の間から出た太い茎は半ばで二本に分かれ、ねじれた先に蕾を付けている。



エマーユ(七宝焼き)の聖遺物箱
説明パネルは、聖オストルモワヌの遺物が収められている。13世紀にリモージュで造られたエマーユ。
身にえがれたのは、キリストの菩薩を訪れた聖女たちの場面で、蓋に描かれたのは、マグダラのマリアの前に現れたキリストの場面という。

説明パネルには他の面の写真もあった。底を見れば武骨な木製の箱。



クリプトの中心へ。


中央の天井は平たい。

その奥には後世の聖母子像が祀られている。


切石には石工集団ごとの記号


小さな窓に鉄製の優美な柵と小さな円柱にまで丁寧なアカンサスの葉の柱頭がのっている。



ある祭室の窓

それだけ写すとこんなステンドグラスだった。ロマネスクの小窓のステンドグラスにはときどき見られるモティーフ。


地上階に戻って十字交差部から西ファサード側

西ファサードは外枠のアーチと内枠のアーチの中心が合っていない。

西ファサードの扉口は内側から見ただけで、南側に出たので、聖堂の西ファサードも北側も見られなかった。


さて、見学の後は昼食!
ヴェルダン広場 Place de Verdun からトリオゾンベル大通り Bd. Triozon Bayle に出て歩いて行くと、名もなきジグザグの小路を見つけた。迷い込んでみたい~

まもなくラクーズパヴァン川 La Couze Pavin に出た。この川はやがてブリウドやラヴォデュから流れてくるアリエ川に合流するという。

橋には名前はなく、 Rue de Brioude ブリウド通りの一部。ということはこの橋を渡って行くといつかはブリウドに着くのか。
この橋を渡るのかと思っていたら、少し引き返して、

歩いてきたトリオゾンベル大通りの右側


そこがお昼のレストラン、アトリエイソワリアン(イソワールっ子のアトリエ) l'Atlier Yssoirien。ドアの右にミシュランが2022年に選んだことを示す赤いプレートが。


室内の川に面したテーブルに着く。大きな窓から向こう岸も見える。


ナプキンの木製の留め具に黒い小皿、そしてコップとそれぞれがおしゃれ

アミューズも4種類がそれぞれ小分けされて器に盛られて出てきた。
レストランの名前がアトリエなのが分かった。美味しいだけではなく、驚きと楽しみに溢れていた。

一人分

今日はフランボワーズジュースにした。瓶も写したかったが、ささっと持ち帰られて残念。
焼きたてのパンも美味しい

前菜は西洋ゴボウ、マカダミアナッツ、ピクルスなどのハリッサソ-スかけ


メインは子牛肉のロースト、ニンジンとタマネギのソテ
小さく見えるが十分な量だった。

そしてデザートは、パイナップルアレルギーのため、私だけ別のものを作ってもらった。


スプーンで中が見えていない😥


さらにその後にミニャルディーズ mignardises と呼ばれる小さなお菓子が板の上に一列に並べられて運ばれてきた。


これで一人分 
取り皿が黒と茶色の板にガラスが重なっているのか、鏡のようにミニャルディーズが写っていた。まるで田上惠美子氏と拓氏のユニット珪砂組の作品のよう🤩

外に出る途中にオーヴェルニュ地方のチーズのプレートがあったので写させていただいた。
左前の青カビチーズ Bleu d'Auvergne、ダメもとで買って帰れば良かった。日本で買ったが、熟成していないタイプだったので、熟成したまろやかさが懐かしい。


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参考サイト

参考文献
「世界史の旅 フランス・ロマネスク」 饗庭孝男 1999年 山川出版社