お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2019年11月21日木曜日

パエストゥム(Paestum) 博物館


その後国立考古学博物館へ

最初の部屋中央の壁面には、パエストゥムの北方を流れるセレ川河口のヘラ・アルジーヴァ(Hera Argiva)遺跡にあった至聖所の宝物庫(Thesauros)を飾っていたメトープ(前6世紀前半)が展示されていた。
宝物庫の四つの壁面にあったように並べられている。
右は落馬した騎士
弓矢を構える兵士と馬を連れる兵士?
二人のケンタウロス

ヒュドリアと青銅製アンフォラ 前520年頃 ヘローン(英雄廟)の出土品
説明パネルは、6つのヒュドリアと2つのアンフォラはアルカイック期の青銅製品の優品である。その装飾は興味深いという。
青銅製アンフォラの一つ
説明パネルは、その内3つは、縦の把手の付け根には、下向きのパルメットの上に子羊に挟まれた女性の頭部が出ている。把手の上端では、2頭の寝そべったライオンが口縁部をつかんでいるという。
このような装飾に羊は珍しい。
黒絵式アンフォラ 前510年 アッティカ製
説明パネルは、高台は古い時代に鉛で呼び継ぎされているが、アテナイ人のキウジの画家の作品である。ヘローンの出土品のうち、特に重要な備品。絵はオリンポスに入るヘラクレスの神格化を表している。アテナ女神に導かれ、ヘルメスとアポロに随行される4頭の馬はアルテミスに歓迎されているという。
アテナ女神が連れているのは長い耳を立てた犬?
英雄廟の想像復元図
同博物館の図録『The Paestum National Archaeological Museum』によると、地下神殿

玉座のヘラ 前5世紀後半 大理石
説明パネルは、右手にパテラ盃、左手に石榴の実を持つヘラの像は、前5世紀末にポリュクレイトスがアルゴの聖域のために作成した女神のイメージに似ているという。
説明パネルは、前4世紀を通して、正方形の大きな建物が神殿や柱廊に増設された。ヘラ女神の小さな像は極上の材質である大理石で、その中から発見された。それは正方形の神殿の中に安置された崇敬の対象となる像で、ルカニア人によって管理された内陸地方と共通性があるという。
正方形平面で、一つの面にだけ入口が設けられ、そこには小さなポルティコがあった。屋根は日本でいう宝形造。

樋口の並んだ部屋
アッティカ式軒飾り 前580年頃 テラコッタ

説明パネルは、アテナ神殿の近くの堆積物より出土。
パエストゥムのギリシア植民都市を設営した第1世代が建造した祭祀用建物の屋根瓦。建物は前500年頃にドーリア式の大神殿の建造時に破壊されたらしいという。
角の部分

棟飾り(シマ) 前510年 アテナ神殿 砂岩
屋根の長辺の端に置かれた。パルメットと蓮の花がライオンの頭部と交互に並んでいる。その機能は雨水を流す樋口であるという。
正面より
イオニア式柱頭 アテナ神殿ケラ(ナオス)


女性胸部のアンテフィクス(軒瓦留め) 前6世紀後半 ヘラ神殿の祭壇近辺より出土
説明パネルは、赤い四角形の列と黒い卍の列の衣装が描かれる。地方作の彫像はエトルリア人の制作のよう。前6世紀にはまだエトルリアの文化が残っていたことを示すという。

ガラスの香油瓶の背後に置かれているのは、エトルリアの壁画。

がらんとした部屋にはルカニア人の墓地から出土した壁画が並んでいる。
これについては後日

アンフォラ 前340-330年 アフロディテの画家作 リチネッラ(Licinella)の13号墓出土
同館図録は、白と黄で上書きされた典型的なアプリア式で、当時南イタリア、そしてパエストゥムでもで広く流行した墓室の壁画であるという。
反対側

パエストゥム(Paestum) 遺跡← →ポンペイ 円形闘技場からアポンダンツァ通り

関連項目
パエストゥム国立考古学博物館 画室墓
参考文献
「The Paestum National Archaeological Museum」 Fausto Longo、Ottavio Voga 2010年 Edizioni Pandemos