お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2021年2月2日火曜日

小野浄土寺で西日の阿弥陀三尊像


浄土寺も久しぶりだった。
浄土堂は、春分秋分の日に行くと夕方真西に来た太陽の赤い光が差し込んで、雲に乗った阿弥陀三尊があたかも迎えに来たようであると、どこかで聞いたり読んだりした記憶がある。その後2度ほど浄土堂に入り、逆光が返ってまぶしくて、見えないのではないかという印象を抱いた。

小野市観光協会浄土寺と阿弥陀三尊像というページには、光のアートを見るには… 陽が沈む頃ではなく、少し前にきて、ゆっくりと陽の流れを見るのがおすすめです。夏場は16〜17時頃、冬場は15〜16時頃に高めの西日が差し込み、徐々に屋根裏に反射して、阿弥陀三尊立像を照らし出しますと書かれていた。
そこで、晩秋に近いある日、播磨中央公園でラクウショウ(落羽松)の紅葉を楽しみながら散策した後、15時過ぎに小野浄土寺に到着した。
浄土堂を北側から見ると、西の方から光が射してはいたが、

まだ少し日が高すぎたので、境内を散策した。
小野浄土寺境内図 極楽山浄土寺のリーフレットより

八幡神社の拝殿
説明パネルは、八幡神社は浄土寺伽藍の中央正面に位置している。これは重源が八幡信仰を重視したためと考えられる。
「浄土堂縁起」によれば、八幡神社は嘉禎元年(1235)に建てられており、現在の拝殿はその遺構と思われる。幾多の改変ののち。桁行七間、梁間三間、寄棟造の割拝殿となっている。ゆるやかな屋根の勾配、繊細な繁垂木、木鼻、蟇股などの意匠から、室町時代に多い和、唐、天竺様の折衷形式の原形ともいえるという。
鳥居の間より狛犬と奥の本殿

不動堂
宝形造で、板張り、正面には蔀戸がある。

本堂(薬師堂)
リーフレットは、桁行五間、梁間五間、単層、屋根宝形造、本瓦葺。浄土堂とほぼ同形同大の建物で、浄土堂と相対し、浄土寺の根本道場となっています。もと浄土堂と同様に、重源上人によって建立され、天竺様の堂々とした姿を示していましたが、室町時代の中頃に焼失し、その後、永正14年(1517)に再建されたのが今の建物です。
したがって、天竺様の建て方をしていても浄土堂ほどの純粋性がなく、和様や唐様の手法を混じているのを惜しまれていますという。 
軒の反りは少ないし、鼻隠板で垂木が見えないし・・・浄土堂との違いは、屋根の勾配くらいにしか分からない🤔
構造のよく分かるようには写していなかった😅
屋根の頂点にある宝珠を眺めていると、月が見えた😃

本堂の南東の隅に開山堂がある。ここも宝形造だ。
開山といえば、東大寺再建に奔走した重源上人。浄土寺にも重源上人坐像が伝わっているが、私が若い頃に見たのは、東大寺の重源上人坐像なので、この像にはちょっと違和感がある。
小野浄土寺の開祖重源上人坐像 極楽山浄土寺のリーフレットより

灯籠があるので東側が正面。内部の阿弥陀三尊像も東を向いている。
浄土堂の建物についてはこちら

南側の蔀戸から、西側からの光が少し透けて見えたから写したのに、ほとんど分からない🤨
円柱は高くはないが、三手先の組物が大きく、アンバランスなほど。高い宝形造の屋根を支えるためだろうか。
隅の円柱には節がたくさん見える。

浄土堂西側には日が照りつけている。そろそろかな。
ここからも月が見えた。
鬼瓦は古いのかな。創建時の鬼瓦に似せて、修復瓦を造ったのかも。

そろそろ東側へ。石段の勾配が北側よりも緩やかなので安全とのことで、東側で靴を脱ぐように言われる
この灯籠についてはこちら

灯籠の反対側には、境内にあった仏像の浮彫などが集められていた。

右に錫杖、左手には・・・?
水向石(みずむけいし)
説明パネルは、古墳時代の石棺の蓋を再利用したものです。長辺約170㎝、短辺80㎝、高さ約20㎝の家型石棺の蓋を逆さまにして、その内側を刳り抜き、水を溜める場所を設けています。毎年5月8日の花まつりの時には、この中に塔婆を置いて、水を向けるとのことですという。

さて、やっと中へ(もちろん撮影禁止)北東隅の円柱にも節が多い。法隆寺では木が生えていた時と同じ方向に柱を立てるとのことだったが、東大寺系では違うみたい。

浄土堂の東壁には、すでに金色に染まる阿弥陀三尊像を待ち構えている人たちがいたので、阿弥陀三尊像を左繞して空いた場所へ。
西からの太陽の光が床に射して、それが化粧屋根裏に反射し、反射した光が阿弥陀如来の姿に赤い光が当たり出すのをみんなで待ち受けた。
が、しかし、あんなに晴れていた空に雲が出てきたのか、11月中旬ともなると傾いた太陽からは、弱々しい光しか届かないのか、阿弥陀三尊像はなかなか写真のようには黄金色に輝かないのだった。
それでも、暗くなってきて、もう太陽は山の向こうに去ってしまうのかと思っていると、ふと明るさを取り戻しては、かすかに漆箔の顔に赤味がさしたりするので、なかなか諦めて去ることができないのだった。
小野浄土寺 快慶作 阿弥陀三尊像 『国宝阿弥陀三尊像』より

坂田 暁洋氏(大阪市立大学大学院 環境図形科学研究室 2005年現在)の図形科学的手法による浄土寺浄土堂内の光環境の分析という修士論文概要集で、各シミュレーションの分析結果をまとめると、阿弥陀三尊像後方の西の蔀戸からの入射光により三尊像が朱色に美しく照らされる現象は、外光が床面で拡散反射し、西の天井下部に届き、その光が東の天井上部を 照らし、そこで再度反射した光によるものであると言える。また、浄土堂の天井の勾配が比較的大きいのは三尊像に光を取り込むためであると推察されるという。

確かに蔀戸や桟唐戸の高さに比べて、化粧屋根裏は非常に高い。
そこに高さ5.3mという阿弥陀如来と観音・勢至を従えて、来迎雲に乗って中央の丸い須弥壇の上に到来している。
浄土堂1/10模型  日本のたてもの 自然素材を活かす伝統の技と知恵展図録より




関連項目
浄土寺浄土堂の阿弥陀三尊像は快慶作

参考サイト
坂田 暁洋氏(大阪市立大学大学院 環境図形科学研究室 2005年現在)の図形科学的手法による浄土寺浄土堂内の光環境の分析

参考文献
「国宝阿弥陀三尊像」 極楽山浄土寺発行のリーフレット
「日本建築史図集」 日本建築学会編 1980年新訂第1版 彰国社
「日本のたてもの 自然素材を活かす伝統の技と知恵展」図録 2020年 青幻舎