お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2018年12月3日月曜日
コンク サントフォワ聖堂地上階と中庭
サントフォワ聖堂の西ファサードに行くと、遠足の子供たちが説明を聞いていた。
最後の審判を表したタンパンについてはこちら
平面図
中に入ると、身廊は明るくはなかったが、昨夜よりは見通せた。
何と言っても身廊は21mの長さしかないのに、天井まで22mもの高さがあるのだから。
身廊のヴォールト天井に横断アーチが柱間の数だけわたる。
南側廊は横断アーチの間が浅い交差ヴォールトになっている。
当然交差部の内陣へ進むものと思っていたら、なんと、昨夜見て回った階上廊(トリビューン)へとアンヌさんは上っていった。
夜のトリビューンについてはこちら
日中のトリビューンについてはこちら
北側廊と周歩廊へと向かう見学者たち。
アカンサスの柱頭が両側に並んでいる。
北翼廊から眺めた南翼廊
昨夜通った階上廊の通路の下にはキリストの磔刑像、その下の地上階には別室が造られている。
後陣側より西ファサード側
パイプオルガンもようやく見えた。
南翼廊から北翼廊側
地上階の窓の間にある受胎告知は、日中でも遠すぎる。
南小後陣の窓と安置された修道士像
トリビューンについては午後のガイドツアーと一緒にまとめます。
地上階に下りて西ファサード側
内陣と周歩廊側
同書は、内陣は、身廊のヴォールトの奥にあり、半円で半円蓋の後陣で終わっている。列柱とロマネスク期の鉄柵が内陣の後方を囲む。
内陣には何もないので、周歩廊側の列柱の間から光が入ってくる。
周歩廊の列柱はほぼ同じ柱頭
修道士がミサの間に寄りかかる背もたれ
祭壇があるので、真下からは写すことはできないが、これが北側から写した身廊と翼廊の十字交差部。上に採光のための八角形の塔があり、交差部の正方形平面から八角形を導くために四隅につくられたトロンプ(trompe、スキンチ)は、東2つが天使、西2つは人頭の浮彫がある。
『Conques』は、多角形の外接円の角塔部が高さをもたらしている。4本の量感のある複合柱が十字部を強調している。複合柱は身廊の柱よりも低い。十字交差部の荷重を身廊よりも巧みに扶壁のように支えている。
聖域には今は失われたクーポール(円蓋)がのっていた。そしてゴシック期に、4つのトロンプで支えられた8つの肋のある天井が再建されたという。
拡大
要石と同じ紋章
北東大天使ガブリエル。
その名が巻物にラテン語で書かれている。
南東は大天使ミカエル
複合柱の付け柱の柱頭はどちらも葉文様で彩色がよく残っているが、葉の表現が異なる。
北西
聖ペトロの頭部
南西
この上にも他の大天使の彫像があったのでは?と思うような建物の修復がある。
この首は聖パウロ
八角形クーポールの頂点に、にぎやかな要石と描かれた切石の継ぎ目
同書は、クレヴァン修道院長(l’abbé Cravaut)の紋章が司牧の杖や僧帽、星と共に円蓋の要石となっているという。
8本の肋の端には何が飾ってあるのだろう。
内陣で見たかったものの一つがこの鉄柵。聖職者以外が内陣に入れないように設置された。
同書は、この柵の起源はサントフォワの奇蹟に由来している。『奇蹟の書』の中で、聖女の執り成しによって解放された囚人たちが修道院聖堂にやってきて、その足枷でつくったものが始まりだった。このかつての奉納品が鉄柵への元になったのだろうという。
タンパンには、神の手の前で囚人たちを執り成すサントフォワと、その後ろ側には、アーケードを補強する鉄または木製の棒に解放された囚人たちの足枷がぶら下げられている。その様子はこちら
周歩廊と小礼拝室。色彩のないステンドグラスから色のない光が差し込んで明るい。
その下を各付け柱の植物文様の柱頭や、半円の通路を覆うため変則的に造られた交差ヴォールト。
同書は、浅い小祭室が3つ、中央のものは深い。巡礼者のために各所でミサを行えるようになっているという。
北周歩廊から見上げた各所の柱頭はほぼ植物文様
鉄柵が開いているところが両側にあった。
南翼廊に築かれた部屋の壁面にはフレスコ画が描かれている。
人物の背後に街の建物、その背景が赤と緑に塗り分けられ、場面が変わっていることを示す。
上左より
街に連行されたサントフォワ
ローマ総督に詰問されるサントフォワ
拷問を受け、
死刑を言い渡される。右端は失われている。
下段左より
左端はほとんどが失われているが、祈るサントフォワが修復されたものが掛けられている。
その拡大図が『Conques』に掲載されていた。
火あぶりの刑に処されるが、鳥が羽ばたいて火を消した
斬首された
部分拡大
窓の下
写本がいくつか展示されていた。
南側廊を西向きに。
壁際に狭い階段、トリビューンからはこの階段で下りてきた。高い柱頭には大きな葉の柱頭が残っている。
北側廊を西方向へ。こちらにも壁際に狭い階段。この階段からトリビューンへ上った。
南扉口から出ると大きな水盤のある中庭が下の段にあった。
中庭を巡る柱廊は西側しか残っていない。
南身廊の柱間にも修道士の墓がある。
左端の墓には群像の浮彫がある。
中庭へ
水盤の縁には柱頭の間に人頭が浮彫されている。詳細は後日
斜面に聖堂を建立したため段がある。
奥にも回廊の二連窓が一つ残っている。
西回廊はよく保存されている。トリビューンのように二連窓形式になっていて、それぞれが小壁で仕切られている。小半円アーチの間の双柱は細くて間がかなり開いているので、柱頭彫刻はそれぞれの柱で独立しているのが特徴。
小壁の付け柱には大きな柱頭があって、上側の半円アーチの荷重を受けている。
内側は梁を水平に渡して傾斜のない天井になっている。
内側の小壁の付け柱も太くて重厚。
この南側は宝物館になっていて、さまざまな宝物と共にサントフォワ像も安置されていたが撮影不可だった。これについては後日
西ファサードの教会前広場へ。
教会前広場は中庭よりも高く、プロの泉(Fontaine du Plô)がその段差のところにある。
『Conques』は、
広場の下に貯水槽もあるという。右の半円アーチの戸口が貯水槽の入口かも。
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関連項目
サントフォワ聖堂 サントフォワ像
サントフォワ聖堂日中のトリビューン
サントフォワ聖堂 タンパン
夜はサントフォワ聖堂のトリビューンへ
参考文献
「Conques」 Emmanuelle Jeannin・Henri Gaud 2004年 Edition Gaud