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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2021年6月22日火曜日

炳霊寺石窟 4窟から47窟


窟内の情報や仏像の計測値などは『中国石窟 永靖炳霊寺』(以下『永靖炳霊寺』)より。
興味深い窟は忘れへんうちににて後日。
炳霊寺石窟3-14窟 『絲綢之路石窟芸術叢書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

4窟 初唐(618-712) 平面馬蹄形、平天井 壁画明代 高さ1.95m、幅2.95m、奥行2.60m
正壁 一仏二弟子像 二弟子 像高1.30m
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5窟 唐代 平面馬蹄形平天井 高さ1.30m、幅1.34m、奥行1.00m
『永靖炳霊寺』は、もとは一仏二弟子二菩薩像があったが、現在は如来坐像のみ。右手を膝に置き、左手は最もの上に広げる。方座に結跏趺坐する。像高0.80m、頭部の上に天蓋を描くという。
唐代の如来坐像は、右手を膝におき、左手は結跏趺坐した足の上に掌を上にして置く、降魔印が一般的なようだ。
台座を覆う裳裾の表現は優美。高い肉髻に三道も表される。涼州式ではない、インド風の偏袒右肩の着衣は簡素な衣文線を彫り込む。

6窟 北周(557-581) 平面長方形平天井 高さ2.00m、幅2.70m、奥行1.90m
石彫一仏二菩薩像 

如来坐像 像高1.46m
『中国石窟芸術』は、丸みを帯びた顔と中心的な特徴を持ち、丸みを帯びた襟と密集した衣文線のある大衣を着て、瞑想の印を持つという。
低い肉髻で丸顔の如来は、通肩に大衣を着けているのだが、その衣文線が過剰で、しかも首に近い部分はフリルのようになっている。
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7窟 唐代 平面馬蹄形 高さ1.03m、幅1.13m、奥行1.00m
『永靖炳霊寺』は、一仏だけが現存する。両手で鉢を持って立つという。
正壁如来立像 像高0.73m
低い肉髻、弓なりの眉、切れ長の目は上を見ているよう。細身なので初唐期(618-712)のものだろう。光背は壁面に描かれる。
如来の右上の題記は嘉靖7年(明、1528)、北壁には西夏のものもあるという。唐代の窟に重修された時の年を記しているのだろう。

8窟 隋(581-618) 平面方形平天井 高さ1.80m、幅2.25m、奥行2.05m
『永靖炳霊寺』は、正壁にはもとは一仏二弟子像、南北両壁に二菩薩。天井にはラテルネンデッケ(斗四平棋)の中に蓮華や飛天が描かれるという。 

正壁
如来坐像とはずれているので、本来は如来立像の頭光だったと思われる傍には、脇侍菩薩像が1体残る。右側には光背から離れて弟子(迦葉)像がある。 
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如来坐像 像高0.75m
胸部に卍が描かれるが、当初からあったものかどうか。この如来坐像については記事がないので、当初の仏像で、台座に坐っていたが、台座が傷んだので撤去し、低い壇の上に置かれたのだろう。もし光背の真下に置かれたら、右脇侍菩薩が邪魔になる。この脇侍菩薩像は他の仏像とは時代の異なる異質なもののようだが、主尊の位置をずらせてまで、何故ここに置いたのだろう。
襟には、中央アジアの連珠円文が描かれており、正面の光背の両側には題記が入っています。シルクロードの人々の交流を物語っていますという。
正壁には光背両側にそれぞれ4弟子が描かれ、襟に連珠円文が描かれているのが分かる。

9窟 唐代、明代重修 平面馬蹄形平天井 高さ1.17m、幅1.20m、奥行1.20m
『永靖炳霊寺』は、もとは一仏二弟子二菩薩像があったが壊れて、現存するのは明代の舎利塔一座のみ。
窟頂には四飛天、雲、天蓋。正壁には火焔文の頭光、光背、両供養菩薩ならびに二坐像、情報に六体の如来坐像が残っているという。
小さく描かれた如来坐像は千仏または化仏だろう。
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10窟 唐代 平面馬蹄形平天井 高さ1.86m、幅1.15m、奥行2.00m
正壁
『永靖炳霊寺』は、もとは正壁に一仏二弟子像(南の弟子が残る)があった。
如来は右手で膝を膝におき、方座に結跏趺坐する。高さは0.90m。
窟上部には円形の蓮華が描かれており、蓮の花の中には動物がいて、蓮華の周りには四飛天と天井が描かれている。
正壁には両側に宝木、中央に光背が描かれるという。
やはり降魔印。
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11窟 唐代 平面馬蹄形平天井 高さ1.90m、幅2.25m、奥行1.90m
『永靖炳霊寺』は、正壁に一仏二弟子像、南北両壁にそれぞれ一菩薩と一天王の彫像があったが、北壁の菩薩と南壁の天王は壊れた。
窟頂には中央に14の花、周囲に四飛天が描かれるという。
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と、最初の方は炳霊寺石窟にしては大きな窟が続くが、その後は小さな祠のような窟が上下左右に展開している。小さな窟が並んでいる。

12窟 唐代
菩薩が2体と弟子が1体、それぞれ寄進者が別なのだろうか。

13窟 盛唐以降 尖頭アーチ形龕 高さ1.40m、幅0.74m、奥行0.22m
如来立像 総高1.00m
説明パネルは、造形は敦煌の唐代窟で大量に造られた様式で、河西の瑞像信仰が炳霊寺石窟に伝播浸透した実例であるという。
左手は胸前で衣端を握り、右腕は下に下ろす。
着衣は脚部に密着していて、肉付きのよい如来である。顔貌からも盛唐以降のものと思った。

14窟 唐代 尖頭アーチ龕 高さ1.40m、幅0.74m、奥行0.22m
『永靖炳霊寺』は、如来立像、左手は胸前で巾帯を握り、右腕は下に垂らすというが、これでよく分かったものだ。

15窟 唐代 方形浅龕 高さ0.97m、幅0.53m、奥行0.20m
『永靖炳霊寺』は、一仏二菩薩立像で如来残高0.90m、足と蓮台が残る。
平面に火焔のある頭光が描かれているという。

16窟 北魏 北魏、唐・明代重修
長方形大型龕 窟前に木造の庇があった
説明パネルは、仏涅槃像はこの下15mにあった。1967年に堤防が建設される前に、撮影や記録が行われたあと、涅槃像は9つの木箱に入れられて窟から出された。2001- 02年に修復された後、元の窟の川向かい側の仏殿に陳列された。またこの窟の壁画は、 炳霊寺文物研究所内に保管されているという。
この涅槃像は帰りに見学できた。それについてはこちら

小さな窟に露出した仏像や、当初は楼閣のような建物があったことを示す四角い穴などが崖の低いところに並んでいる。

17-47窟 盛唐期
説明パネルは、大きさの異なる31の浅い龕には、如来24体、菩薩46体、弟子16体、天王4体、夜叉4体が収められており、いずれも唐高宗と武則天の時代(650-705)に完成したもので、シンプルで生き生きとした造形で、生命力が感じられるという。
初唐期に完成した様式の仏像が、盛唐期にも受け継がれたということだろうか。
像の特徴として、再び肉髻が高くなった。

17窟 尖頭龕 高さ0.52m、幅0.67m、奥行0.14m
如来立像総高0.42m 菩薩総高0.33m
『永靖炳霊寺』は、一仏二菩薩像で、半円台のうえにのる。如来は右手で鉢を持ち、左手は着衣の端を持つ。菩薩は蓮茎を持つという。

18窟 唐代 方形浅い龕 高さ0.70m、幅0.67m、奥行0.17m
一仏二菩薩像 総高 如来立像0.62m 菩薩0.55m 
如来は左手で大衣の衣端を握っているが、右手は開いて人差し指と中指を下に向けている。

19窟 唐代 方形浅い龕 高さ0.72m、幅0.76m、奥行0.20m
総高 如来立像0.63m 菩薩0.64m
『永靖炳霊寺』は、左手で鉢を持ち、右手は衣端を握るという。 
如来が鉢を持つという像容がいくつか見られるが、それが右手であったり、左手であったりと様々。
仏像の特徴として、上半身は肩が張ってがっしりとしているが、脚部はほっそりしている。

小さな窟(龕)が上下、あるいは3段に彫られているので、下の方の窟は屈んでも全体を見ることができないものもある。
対岸から眺めた窟群。下ばかり見ていたので、上部の仏像には気付かなかったものもある。
帰路で対岸から写した写真

20窟 唐代 平面馬蹄形平天井 高さ1.11m、幅1.08m、奥行1.05m
総高 如来立像0.74m、南弟子残高0.57m(北側の弟子は崩壊)、菩薩0.76m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像が半円の台の上に乗る。龕頂には飛天や飛雲などが描かれ、如来、弟子、菩薩のうえには天蓋、幔幕、瓔珞が描かれるという。
弟子と菩薩の間には各1体の菩薩と千仏が描かれるという。
如来の両側に開花した蓮華が描かれている。

21窟 唐代 アーチ形の龕 高さ0.81m、幅0.53m、奥行0.11m
菩薩総高0.68m
これではどちらが21窟かわからへん。
『永靖炳霊寺』は、一菩薩像が彫り出される。右手で蓮茎を持ち、左手で浄瓶を提げる。天宝2年の題記があるという。
743年に開窟された。極端な三曲法だが、バランスはとれている。

23窟 唐代 平面馬蹄形 敞口龕 高さ1.04m、幅1.04m、奥行1.32m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像。如来は方座に結跏趺坐し両脇侍菩薩は蓮台に立つという。

窟番号不明 盛唐期
如来が蓮台の上に立ち、胸前で右手は鉢ではなく宝珠のようなものを持つが、左手は失われている。
上から写すと、肉髻と髪がよく見えるという利点もある。

小さな窟でも壁画が残っているものは網戸で保護されている。 

27窟 唐代 平面馬蹄形 高さ1.78m、幅1.38m、奥行0.80m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像。
如来は方座に善跏趺坐(倚坐)する。窟頂には天蓋、飛雲、千仏などが描かれるという。

28窟 唐代 平面馬蹄形 高さ1.32m、幅1.40m、奥行1.61m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩二天王像という。
二天はどこにあるかはこちら

対岸から写すと、

29窟 唐代 平面馬蹄形 高さ1.32m、幅1.43m、奥行1.15m
『永靖炳霊寺』は、一仏二弟子二菩薩像。
窟頂中心に飛雲が描かれているという。詳しくはこちら

30窟 唐代 長方形浅龕 高さ0.58m、幅10.5m、奥行0.09m
『永靖炳霊寺』は、中央に反花蓮台に立つ一菩薩と、両側に蓮茎を持つ菩薩坐像が彫られている。壁面に蓮華が描かれるが、後世の重修であるという。
主尊が菩薩というのは珍しいと思うが、十一面観音かな?
両脇侍は背が低いので台座が見えなかったが、
夫が写してくれた写真は少し懸け裳の様子がわかる。


窟番号不明
一仏二菩薩像で、如来も立像。

34窟 唐代 方形浅龕 高さ1.55m、幅1.28m、奥行0.22m
『永靖炳霊寺』は、一仏二菩薩像。如来は方座に善跏趺坐(倚坐)する。
下方に供養者が残るという。

窟番号不明
ほぼ同じだが、脇侍菩薩の向きや腕の様子が一体ずつ異なっている。寄進者の好みに合わせたのかも、などと想像するとたのしい😊

31窟 長方形浅龕 高さ1.02m、幅1.43m、奥行1.20m
一仏二弟子二菩薩像。
如来は胸前に鉢を持ち、左腕は下げて正面を向くが、左側の阿難と右脇侍菩薩は体を釈迦の方に傾けているように見える。
詳しくは後日

38窟 方形浅龕 高さ0.78m、幅0.67m、奥行0.10m
一仏二菩薩像。18窟の如来と同じように、左手で衣端を握り、右手は人差し指と中指を伸ばしている。

40窟 長方形浅龕 高さ0.63m、幅1.40m、奥行0.10m
方座に結跏趺坐した如来のみ。左手で鉢、右手は右膝に置いている。

41窟 尖頭アーチ龕 高さ032m、幅0.20m、奥行0.04m
小さな小さな窟。方座には一菩薩が半跏で蓮茎を持つ。

46窟 唐代、西夏補像 平面馬蹄形平天井 高さ0.93m、幅0.92m、奥行0.45m
『永靖炳霊寺』は、元は石彫の一仏二菩薩像があったが、現在では左脇侍菩薩のみが残る。左手で浄瓶を提げ、右手は蓮茎を持って立つ。
現在は中央に西夏時代(1038-1227)の塑造があった。
頭光、身光の他、樹木や蓮華が描かれているという。
詳しくはこちら

47窟は一仏二菩薩像だろう。


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関連項目

参考文献
「中国石窟 永靖炳霊寺」 甘粛省文物工作所・炳霊寺文物保管所 1989年 文物出版社
「中国石窟芸術 炳霊寺」 甘粛省炳霊寺文物保護研究所編 2015年 江蘇鳳凰美術出版社
「仏のきた道 中国の仏教文化を探る」 鎌田茂雄 1997年 PHP新書
「絲綢之路石窟芸術叢書 炳霊寺石窟第169窟 西秦」 鄭炳林主編 2021年 安徽美術出版社 装丁もおしゃれ🤗