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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2023年7月7日金曜日

ルピュイ 朝散歩2 巡礼者へのミサを見に


ルピュイ(以前は Le Puy だけだった街の名称だが、今ではルピュイアンヴレ Le Puy-en-Velay と呼ばれている)は、サンティアゴデコンポステーラ(Santiago de Compostela、フランス語ではサンジャックドコンポステル  Saint Jacques de Compostelle)への巡礼路の出発点の一つである。

今日の朝散歩はノートルダムデュピュイ司教座聖堂で巡礼者たちへのミサ、そしてそれが終わると身廊のグリルが開き、その階段から出発していく巡礼者たちを見送ろうと思っていた。そのミサは7時に始まり、8時に終わるということだったので、朝食後に出掛けた。

朝食はもちろんこれだけではない。しかし、いつも苦手で避けていた青カビのチーズ le Bleu d'Auvergne を試してみると、とてもマイルド très doux だったのに驚いた。

このホテル二度目の朝食で気がついたルピュイの街のパネルは、
北からでないと見られない構図だった。ノートルダムデュピュイ司教座聖堂は中程にある。


昨日よりは遅い時間に、西ファサードへと続くターブル通り Rue des Tables からカテドラルに行った。

人っ子一人いない。巡礼者はすでに始まっているミサに参加しているのだろうが、近隣の人たちが散歩することもないようだった。

日の差さない西ファサードはくすんでいた。
巡礼者でもない私が、しかもミサの途中に入れるだろうか。やや不安ながら、この大階段を上り、昨日と同じように南の通路を進んでいく。
それについてはこちら


ドアは閉まっていたが、鍵はかかっておらず、巡礼者とはほど遠い姿だったが、堂内に入ってもとがめられることもなかった。
堂内に入るとまず目に付く巡礼者たちの荷物。側廊の壁に沿って置かれていた。


司祭が巡礼者たちに語りかけているのを恐る恐る遠方から撮影。そのためピンボケ、というよりも心がけが悪いのか、このときの写真はことごとくぼやけていた。
司祭の話は長く、終わったかと思ったら、巡礼者にその出身地を聞いて回っていた。

日曜日だったからか、巡礼者たちは予想よりも多かった。
この位置の身廊中央部に下が階段になっているグリルがある。


身廊後方上部から見た巡礼者のためのミサの様子
これくらいは巡礼者たちがいた。
巡礼者のための朝のミサの様子 『La Cathédrale de Notre-Dame du Puy-en-Velay』より


午前8時をずっと過ぎてからやっとグリルが開いた。しかし、我先に階段を下りる人はいない。リュックを担いだりしているからか。

せっかく南の通路から開かれた扉へと駆けつけたというのに、巡礼者たちはまだやってこない。



やっと二人が出発

そしてパラパラと出て行く巡礼者たち。写真の出来も期待外れだったが、巡礼者たちがなかなか出発しないのは大いに期待外れだった。


さて、私も出発時間が迫ってきたので、ターブル通りを下り、来た道を戻っていった。

ホテル近くのレストラン街


通り過ぎるつもりが振り返ると、壁にマリア像?


カテドラルの黒マリアを思わせる黒マリアの聖母子像だった。素朴で好ましい。
黒マリアについては後日忘れへんうちににて


                       →アルランド Arlempdes

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