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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2019年3月11日月曜日

アルビ タルン川クルーズと旧市街 


ナジャックからアルビに戻って、サントセシル広場に面したお店で軽食
チーズや鶏肉入りサンドイッチを他の人と半分こ、リンゴのタルティーヌとオレンジジュースで計4.95€の軽食。
サントセシルを眺めながら。

アルビ中心図(鉄橋より下流は載っていなかった)
その後ベルビー宮の傍を通ってタルン川へ。
長々と階段を下っていくと、ベルビー宮の幕壁が現れた。
船の乗り場
コンクの柱頭のモティーフにもなったクサノオウの葉。ここでも花が咲いていた。
細い竹も植えられている。
観光船が到着。
まず下流へ。鵜もいる。
鉄橋をくぐると屋根の抜けた建物が川に迫り出すように立っていた。
それを過ぎると、川は右に流れを変えた。
堰があるわけでもなさそうだが、ここで逆方向へ。
ゴイサギらしき鳥も飛んでいたり、
釣り人がいたりと、水面に近い高さで眺められるのもいいものだ。


その内、サントセシルの鐘楼が顔を出し、右岸には往路では気付かなかった建物が。
川に張り出して作られている・・・・のだと思うが、川の方に傾いているようにも見える😉
往路で見えた屋根の落ちた建物は、旧閘門の管理のためのものだったらしい。右岸の建物と対で造られたものかも。 
水面が同じ高さとはいえ、この中を通らなかった。
ここでやっとサントセシルの西ファサードを見ることができた。
鉄橋を再びくぐって西から北面が見えてきた。
円形の奇妙な雲が突然出現。
樹木に見え隠れするベルビー宮とその幕壁。
乗り場を過ぎて上流へ。
尖頭アーチの古い橋(Pont Vieux、16世紀)と半円アーチを組み合わせた新しい橋(Pont Neuf、19世紀)


引き返すのかと思っていたが、くぐって新しい橋の方へ。
橋の裏側
だいぶ傷んだ橋脚
橋脚は上流側だけ水切りがある。
上から眺めたよりも落差がある。
新しい橋には軒下飾り(モディヨン)のようなものが

さすがに閘門は使われていないので、手前で方向転換
船着き場のある建物など
再びサントセシル司教座聖堂とベルビー宮を眺めて下船。
対岸には町の建物の奥にマドレーヌ教会(l’Églese de la Madeleine)の尖塔が抜き出ていた。船の上ではサントセシルや橋に気を取られて見ていなかった。
河川敷から古い橋
朝散歩の時にも通ったリヴィエール通り(R.de la Rivière、川)より古い橋。

旧市街へ

サンジュリアン通り(R.Saint-Julien)の古い建物群。

マリエス通り(R.Mariès)からサンサルヴィ参事会教会(La Collégiale Saint-Salvi )へ。
後陣の扶壁と細長いステンドグラスを写そうとしても、午後のこの時間は逆光。
LA COLLÉGIALE SAINT-SALVI D’ALBI』(以下『アルビのサンサルヴィ参事会教会』)は、基礎となるロマネスク時代の建築は簡素で、仏南西部のゴシック様式に改変されたが、穏やかな崇高さをもたらしている。
ここはアルビで最も古い教会で、584年に没した最初の大司教に由来する。その墓は11世紀から建てられたという。
この鐘楼のモディヨン(軒下飾り)についてはこちら
鐘楼は後陣に近いところに設置されていて、後陣の北東角の矩形の建物は聖具納室。

入口は北扉口。世俗の建物が密接して立っている。
『アルビのサンサルヴィ参事会教会』は、西ファサードには家屋が面していて、入口は中庭のある南側にあるという。
教会の北側はマリエス通り、階段の東側にも商店が並ぶ不思議な教会堂である。
同書は、サンサルヴィが特異なのは、マリエス通りの商業地区にあるため、土台を高くしていることだという。
入口は半円アーチのロマネスクなのに、タンパンの前にはペディメント(三角破風)とサンサルヴィ像が安置された壁龕が。同書は、12世紀と17世紀の扉口としている。
柱頭についてはこちら
身廊を後陣方向に。中期ゴシック様式の尖頭ヴォールトと放射状の後陣。
西方向に。浅い尖頭ヴォールトに太い横断アーチ
横断アーチと複合柱には柱頭彫刻が残っている。
これらはロマネスク様式?詳しくはこちら

北側廊後陣方向
側廊脇の小礼拝室の一つ
リブ(肋)の起拱点には彫刻はない。

その後サントセシル通り(R.Saint-Cécile)のデリス・ラマルク(DELICES LAMARQUE)で、
白ワイン漬けのレーズン入りをチョコレートを購入。
缶を開くと良い香りが広がり、口に入れると再びその香りがして美味。もちろんお酒が飲めない私やその家系も大丈夫。
ついでに見つけたのはル・パステル・ダルビ(Le Pastel d’Albi)というコーティングした大きなアーモンド形チョコレート。
あまりにも大きいし、模様もあるので、小石のつもりかなと思っていたが、食べるとアーモンドが入っていた。
パステル(大青)という染料で富を得たのはトゥールーズだけでなく、アルビもだったことが、翌朝散歩していて分かった。

その後旧市街をふらふら
『Albi』は、ピアル通り(R.de la Piale)とピュエシュ・ベランギエ通り(R.Puech-Bérenguier)はサントセシル広場の南、12-13世紀に開発されたカステルノ地区(quartier du Castelnau)地区にあり、木造、レンガ造の家々が並び中世の町を彷彿させるという。
下り坂のピアル通りへ。ここは車が入らないのか、道に張り出して各レストランのテーブルが並んでいる。
でも車はいますけど・・・😳
ちょっと広い場所にきてピアル通りを振り返る。
通りに出なくてもサントセシル広場へ出られる通路。
西側はカミナード通り(R.Caminade)と名前が変わり、やや上り坂に。
すぐ先の交差点、正面はプレートル通り(R.de la Prêtres)、交差する左右の狭い通りはクロワ・ブランシュ袋小路(Impasse de la Croix Blanche)
右を見るとまさしく袋小路。時間に余裕があればどんつきまで行っくのに。
おっと、上階の木組み(コロンバージュ)を写し忘れるところだった。
プレートル通りの先の家屋。二階の二面が張り出している。
その先はピュエシュ・ベランギエ通りになって、三叉路にこんな家屋が。
ピュエシュ・ベランギエ通りを振り返ると、当然ながらサントセシルが見える。
旧市街は道路が狭い。ピュエシュ・ベランギエ通りはことのほか狭く、しかも両側の家屋の二階が張り出しているので、肩幅すれすれに歩いているよう。
12-13世紀の建物といっても、天空のコルドのように、一階が尖頭アーチというものは見かけない。
この先はもっと狭い。
目的の一つ目は左に見えてきた。
それはこの2つの通りに挟まれた建物で、「少年期のトゥールーズ・ロートレック展」という看板が掛かっているが、閉まっていた。
『Albi』は、1980年代の終わりに改修された。開かれた倉庫は大青(pastel)を乾燥させるためだったという。
看板に古いアルビの家(Maison du Vieil Alby)とある。アルビは現在はAlbiだが、古くはAlbyだったのかな。
ここの複雑な交差点からくの字に曲がるトゥールーズ・ロートレック通り(R.Henri de Toulouse Lautrec)へ。
この家がトゥールーズ・ロートレックの生家。
小さなプレートにそう書いてあるだけ。
トゥールーズ・ロートレック通りを歩いていく。
メインストリートのヴェルデュス通り(Rue de Verdusse)に出ることもできたが、へそ曲がりなので右の小路ピュエシュ・アマダン(R.Puech-Amadenc)へ。
左に曲がって結局はメインストリートに出るのだが😉
続いてジェネラル・シビユ大通り(Bouleverd Général Sibille)を右折、しばし歩くと、先ほどの素っ気ない入口の反対側、トゥールーズ・ロートレックの生家の裏側があった。しかし、塀があって見にくいので、たまたまあったベンチに上がって撮影😎
これが中庭のある矩形の建物だということが、地図に示されている。
ホテルに近いリス・ジャン・ムーラン(Lices Jean Moulin)大通りのリス劇場(Théatre des Lices)

そして、夕食は旧市街トゥールーズ・ロートレック通りのレストランで。外は涼しい風が吹いていたけれど、中庭にはその風が入ってこなくて暑かった。

チキンのサラダ。黒いパンも美味しい
鴨肉のカスレ(ピンボケ)
リンゴのパイ包みとアイスクリーム

       稜線の町ナジャック←       →アルビで朝散歩2 サンサルヴィ回廊から広場へ
関連項目
サンサルヴィ教会の柱頭とモディヨン

参考文献
「LA COLLÉGIALE SAINT-SALVI D’ALBI」 Emmanuel Quidarré 

「Albi GUIDE TOURISTIQUE CONNAÎTRE」 DANIÈLE DEVYNCK 2011年 ÉDITIONS SUDOUEST