その後オーギュスタン美術館へ
聖ウルスラ通り(Rue Ste-Ursule、オクシタニー語では Carrièla Santa Ursula)る。ここにもサンティアゴデコンポステラへの巡礼路の目印が、通りの2つの言語の表示の下にあった。
リュックを背負った人が前を歩いているが、この人も巡礼者かな?それにしてはサンダル履きだが。
今まで雨に濡れて深いレンガ色の街を歩いてきたら、明るい一角に出た。それが木が3本ある小さなブルス広場(Place de la Bourse)。
赤い標識にオーギュスタン美術館は左手(東)方向とあった。
左折してテンポニエール通り(R.Temponières)を直進。
聖ローマ通り(R.St.Rome)との交差点に木組み(コロンバージュ、colombage)の建物が。
聖ローマ通りの右はシャンジュ通り(R.des Changes)に、通ってきたテンポニエール通りはこの先ペイラ通り(R.Peyras)に名称が変わる。
その角の建物にはマリア像かな?日本のお地蔵さんみたいに町角にあるのは大抵マリアさんだけど、、この像は坐って巻物を読んでいるみたい。
次の小さな通りとの交差点で、前方にオーギュスタン美術館らしき建物が見えた。
こんな風にフランス語とオクシタニー語(オック語)で記されている。
アルザス通り(R.d’Alsace)に出て右折。通りに面した建物は修復中だったので、入口がどこかわからなかった。
南側のメッツ通り(R.de Metz)に回ると、子供の遊具があって、別の建物に来てしまったかと思ったが、目を上に移すと幾分ずんぐりした八角形の鐘楼と南西部ゴシック様式の建物が見えた。はて、入口は?
角にあった建物には入口はなかったし、時間が限られているので焦る焦る。
でも、盛りは過ぎて白い花が変色しているが、タイサンボク(泰山木)が花を咲かせていたので写す。タイサンボクはその名称から中国の木だと思っていたが、マグノリア(Magnolia grandiflora)という北米原産の樹木だった。Wikipediaによると、17世紀 - 18世紀のフランスの植物学者、ピエール・マニョル (Pierre Magnol、ピエール・マニョル) から名付けられたという。フランス人のマニョルさんの名前から付けられた名称だったとは。道草を食うといろいろと分かります。
で、フランスではMagnoliaはマニョリアと発音し、モクレンを指す。タイサンボクはモクレン科で大きな花を咲かせるので学名はMagnolia grandiflora、フランス語ではMagnolia à grandes fleurs。
やっと見つけた入口は東端にあった。
平面図(オーギュスタン美術館でもらったリーフレットより)
リーフレットによると、オーギュスタン修道院南部のゴシック建築の美しい例で、歴史的建造物に認定されている。基本的には14-15世紀(例外として1626年に完成した古典主義様式の小さな回廊)のものである。1793年、ルーヴル美術館設立の直後に、この建物は美術館となった。
今日美術館の収蔵品は4000点を越え、革命時の押収品、トゥールーズの絵画や彫刻の古い王立アカデミーのもの、19世紀に破壊されたトゥールーズの数々の宗教建造物の遺物を核として、国のコレクション保管場所街の取得品、遺贈品、寄贈品も加えられたという。
今回の目当ては③室に展示されているロマネスク様式柱頭彫刻なので、受付から回廊へと進んでいった。
入って左手の回廊にはガーグイユ(樋口、英語ではガーゴイル)が並んでいる。思い思いに口を開いて遠吠えしているみたい。
リーフレットによると、13-14世紀のコルデリエ修道院(Couvent des Cordeliers)のものらしい。
回廊も14-15世紀のものだろう。細い二列の円柱に柱頭がのり、その上に装飾的なアーチが架かっている。
八角形の鐘楼も見えて、
ゴシック期にしては楽しい柱頭が並んでいる。
有翼の人面や動物、
アカンサスの葉の間に上の重みを支える人物、
アカンサスの下でアカンサスを支える人物たち。
アカンサスの間で右手で上を支え、左手で下支える人物、
これは隅の角柱の柱頭彫刻で、アカンサスの間から人面の猛禽が蹲っているのかな。
③のロマネスク彫刻を展示している建物。
ガーグイユが見え隠れする回廊へ
その先の扉口から入っていくと、やっとロマネスク様式の彫刻がみられるのだった。
キャピトル広場← →オーギュスタン美術館 ロマネスク美術展示室
参考サイト
Wikipediaのマグノリア
参考にしたもの
トゥールーズ観光局発行の地図
「Muée des Augustins Guide des collections Sculptures Romanes」 1998年