2013年2月19日火曜日
久しぶりに松屋常盤の味噌松風
松屋常盤のきんとんと味噌松風が食べたいと思っていても、なかなか機会がなく、何年も経ってしまった。
久しぶりに京都に行くことになったので、予約の電話を入れると、聞き覚えのある声が、
きんとんはもう作ってませんねん
理由はわからないが、味噌松風は作ってますとのことだったので、小さい方を頼んだ。
懐かしい寺町通りでいくばくかの時間を過ごした後、竹屋町通りから西に入って5本目の堺町通りを右に曲がると御所の南側の門の一つ、堺町御門が遠くに見える。
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堺町通りを少し上がった左側に松屋常盤はある。
昔は、どこのお店でも当たり前だったように、この通りいっぱいいっぱいにお店の建物があった。
来る度に、そのお店の年季の入った木枠のガラス窓が、記憶はおぼろげながら懐かしく脳裏に浮かぶ。
しかし、目の前に現れるのは今風の駐車場のある三階建て。この建物になってからもかなりの歳月を重ねているのが、店舗の木材に滲んでいるとはいうものの、松屋常盤の歴史からすれば、ほんの一握りの時間に過ぎない。
その上、もっと短い期間なのに、きんとんを予約して取りに来るということを怠ったため、もうあのきんとんを目にすることも、味わうことも、名をたずねることすらできなくなってしまったとは。
何年ぶりかで買った味噌松風の箱は思ったよりも小さかった。大きい方にすれば良かったかな、と食い意地の張った私はお店で後悔。
きんとんは予約しただけしか作らないということだったが、味噌松風の方は、ある程度の大きさに焼いて、切り分けるので、たまに残りがあったりする。
予約のこの日は小卓に大の方が2箱老いてあった。ひょっとしたら残り物で、ほしいと言ったら分けてもらえたかも。
きんとんのように崩れる心配がないので、持ち帰るのは気が楽だが、これを幾つに切るか、いつも頭を悩ませる。
前回の記事では大きい方を買って、12に切り分けていた。
前回の味噌松風の記事はこちら
10に切ると大きすぎるが、12に切ると小さすぎる。お店の人に幾つに切るのが良いのか聞けばよかったなあ。
いつもは箱の四隅を切ってから松風を切り分けるのだが、今回は上に出た紙を持って、一気に箱から出してみた。元々、大きく作ったものを切り分けて箱に詰めたものなので、出すこともできて当然。
まず縦に2つに切るところから失敗した。半分にならなかった上に、厚みに対して斜めに切れてしまった。定規を使いながらにしてこれである。
どうも10個では大きいような気がして12に切り分けたら、大きさがバラバラになってしまった上にやっぱり小さかった。
その内で一番大きいのを、乾山写しの梅の絵皿にのせる。
外観はきめが粗いが、黒文字で切り分けても、ボロボロと崩れるようなことはなく、独特の弾力がある。
しかし、口に入れるとねっとりとして、噛んでいるうちにほんのりと味噌の風味が口の中で広がる。
これからも京都に行ったときは、まめに松屋常盤に行って、きんとんを買って帰ろう。
地下鉄の丸太町駅からは5分もかからない距離なのだから。
→松屋常盤の紫野味噌松風と切れ端
関連項目
松屋常盤 味噌松風
松屋常盤 12月のきんとんは「しばのゆき」
松屋常盤 11月のきんとんは「梢の錦」
松屋常盤 5月のきんとんは「岩根のつつじ」
松屋常盤 4月のきんとんは「深山桜」
2009年4月24日金曜日
嵐山、大河内山荘でゆったりとしたひととき
嵐山の少し高いところに位置する大河内山荘に行った。
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大河内山荘のしおりには、広大な庭園の簡単な地図があった。
受付から中門へと歩く途中に枝垂れ桜をはじめ桜が満開だった。
大河内山荘のしおりは、百人一首で著名な小倉山の南面に、時代劇の名優大河内傳次郎(1898~1962)が、消えることのない美を求めて、こつこつと創りあげた庭園という。山の斜面を登ったり下ったりする回遊式の庭園である。少し上にちょっと変わった門がある。中門らしい。
中門の左に石仏があった。傳次郎氏は石仏に興味があったようだ。くぐるとほぼ平らな道が大乗閣までのびている。大乗閣の向こうには嵐山の桜が見える。こちらにも燈籠や石仏が見え隠れしていた。
大乗閣の前には腰掛けがあり、そこから遠くに比叡山や大文字山(写真にはない。くっきりと晴れた日には大の字が見えるらしい)、近くに双ケ丘が見える。そしてすぐ近くにさっきの桜の木々。
順路を進んでいくと小さな御堂に行き当たった。しおりの地図では「御堂」となっているのがこの持仏堂ではないかと思う。立て札に、山荘の全ては此処から始まりましたとある。この周りにも石仏があった。
まだ春を迎えていないあせた色の苔庭の向こうに滴水庵という茶室。ここにも燈籠があった。
滴水庵からは左にそれて嵐峡展望台。大悲閣が眺められる。
また順路をたどると市内展望台。月香亭と思われる建物から比叡山と大文字山、双ヶ丘、右京の街並みが望める。
下山順路にはそれぞれに趣向を凝らした通路が付けられている。ここは用を終えた瓦が縦に敷き詰められ、滑り止めにもなっていた。最後に記念館へ。ここも、地中海式の中庭のある建物を和風にしたと言えなくなもい。細い角柱とはいえ、列柱を中庭に沿って巡らせている。何枚か大河内傳次郎氏の映画のパネルがあったが、年齢的に見たことはない。若い頃に物まねで知っている程度だ。
そうそう、拝観料は1000円だが、抹茶付きだった。お抹茶席にも寄っていこう。ゆっくりと過ごせる。閑かな場所だった。
また、大河内山荘には広い敷地のあちこちに石仏や燈籠がありました。それについてはこちら
2009年4月10日金曜日
一保堂の嘉木で薄茶とほうじ茶のセット
1年ぶりに一保堂に行った。風の強い日だったので、暖簾が翻っていた。
抹茶を買いに行ったのだが、せっかくなので、喫茶室「嘉木」で抹茶をのんでいこう。お茶を販売しているところの右側から奧に回る。階段のところに「嘉木」 の看板?があり、下には手桶に花が入れてある。一保堂は外から見るより中はずっと広いです。
嘉木は珍しくすいていたので、奧の席に座ることにした。床には桜の絵が掛かり、花入れには椿と山吹が入れてあった。
メニューには別紙が挟んであった。そういえば、お菓子を食べて薄茶を飲んでも、口の中に甘みが残る。今日は薄茶セットにしよう。「お薄は点てられますか?点ててお持ちしますか?」点ててもらうことにした。
まず主菓子が運ばれてきた。京華堂の春の野です。上に卵白を使ったものがかかっていますが、アレルギーは大丈夫ですか?」春の緑の野に、うっすらとサクラ色がかかっている。何の花を表しているのだろう。中の粒あんと一緒に黒文字で口に運ぶ。ねっとりとまとまりの良い、美味しいお菓子だった。
お茶碗にも桜が咲いている。今年は暖かだったので早く咲いてしまうかと心配していた桜も、途中で寒が戻り、ようやく満開に近づいた。
薄茶を飲んでしまうと、ほうじ茶用の急須と大きめの湯呑みをのせた盆が運ばれ、すぐに100℃のお湯の入ったポットが持ってこられた。ほうじ茶は20秒ほど蒸らすくらいが丁度入れ加減です。20秒と申しますと、あっという間に立ってしまいますので、ほとんど待たなくて良いくらいの間です実際にその通りだった。この急須に半分ほどお湯を入れた瞬間から20秒はあっという間で、湯呑みに注ぐとこれだけの量になる。ここで気がついたのが、急須の一保堂の紋の3つの点が空気穴になっている。
ちょうど窓の外が眺められる席だったので、歩く人、自転車で通る人、一瞬にして去る車など、のんびりと眺めながら、3杯ほどほうじ茶を飲んで、ゆったりとした時間を過ごした。2008年12月9日火曜日
松屋常盤 12月のきんとんは「しばのゆき」
京都に行く機会があったので、松屋常盤のきんとんを予約しておいた。ここのきんとんは非常にデリケートにできているので、たいていは最後にお店に行って受け取るのだが、それでも列車の窓のところに載せておいたらかなり片側に寄ってしまったことがある。
しかし、今回は最初に取りに行った。地下鉄烏丸線の丸太町駅から南東側に地上に出て、丸太町通の1本南の竹屋町通を通る。車屋町通、東洞院通、間之町通、高倉通と過ぎて、小さな郵便局が西北の角にある。それが堺町通である。
午後にお店に行くと、きんとんや味噌松風の入った紙袋もまばらに残っているだけだが、今回はまだまだたくさん残っていた。
注意して紙袋を持ち歩いて、列車では足元に置いて、家に辿り着いてひらくと、冬らしい色のきんとんが、ほぼ偏らずに並んでいるのを見てやれやれと安堵した。いや、前回もここのきんとんが以前よりもしっかりとしてきたような気がした。私の注意深さではないのかも。
しかし、私にパーフェクトはあり得ない。またもやきんとんの名を尋ねるのを忘れていた。だからといって、名前がわかるまで食べるのを待つなどということはできない。眺めていると、こういう色のきんとんは昔食べたことがあるような気がしてきた。
もちろん、言うまでもなく美味しい。
乾山写し 積もった雪の間に見えるわずかな水の流れに、更に雪がちらついているのだろうか。
松屋常盤のきんとんは、いつも淡い色目なのでピントがなかなか合わないが、今回は合わせやすそうにも思った。てっぺんの白いところに雪がちらちらと積もった感じに作ってあるのがわかるでしょうか。
翌日電話で尋ねると、「しばのゆきです」とのこと。「柴の雪」と勝手に漢字を当ててもよいのだろうか。
染付向付 呉須(藍色)はもっと深い色です。
何故御所の見える丸太町通を通らずに、竹屋町通を通るのかというと、堺町通りを上がっていくと、堺町御門とその中の森が見えるからだ。この電線がなかったらなあ。
店を出てそのまま堺町通りを上っていくと、当たり前だが御所に近づいていく。
御所には石垣はあるが、お堀はなく、溝がある程度。昔からだが、京都は自転車が多い。最寄りのバス停、裁判所前でパスを待ちながら写真を撮るにも、バスの路線図を見るにも、スピードを出して通り抜ける自転車を避けながら結構大変だった。
四月はみやまざくら、五月はいわねのつつじ、
十一月はこずえのにしき、
そして十二月がしばのゆき。
一度、一月から十二月までの12種類を食す年というのに挑戦してみたいなあ。
予約すれば、きんとん、味噌松風を購入できます。
御菓子調進所 平安京堺町御門南入 松屋常盤 075-231-2884
関連項目
松屋常盤の紫野味噌松風と切れ端
2008年4月23日水曜日
一保堂の嘉木で再び煎茶
再び一保堂の喫茶室「嘉木」に行った。喫茶室はお店の中に入り右奥に進んだところにある。下の写真では暖簾のかかったお店の右の格子の窓のあるところだ。
前回と同じく嘉木という名の煎茶を頼んだ。今回はカウンターに並んで坐った。お茶の入れ方を書いた紙ももらうのだが、やっぱり教えてもらった方がよくわかる。
お菓子の名を尋ねるときょうかどうさんのひとひらですと返ってきた。一片ひとひら散っていく桜の花びらを表したものだろう。お味も結構でした。
そして、前回も「きょうかどう」というお店のお菓子だったことを思い出した。京華堂利保という店が川端二条を東に150m位行った北側(左京区二条川端東入)にあるのだそうだ(京のお菓子味見録より)。鴨川の東側というと遠いように思うが、二条には橋があるので意外と近くにあるお店のようだ。
① 湯呑みに熱湯を注ぎ、80度になるのを待つ。茶葉の量は10g。
② お湯を急須に入れ、葉が開くのを待つ。一服目は1分では長すぎます。葉が開ききらない程度にすると、次も美味しく飲めます。京都のお茶は山吹色です。山吹色になるようにして下さい。その通りにすると、本当に山吹色のお茶になった。茶葉の開き具合はこんなです。
③ もう1つのコツは、蒸れてしまわないように、急須の蓋を閉じきらないことです。なるほど。飲む前に次のお茶のためにもう1つの湯呑みに熱湯を注いでおくのは覚えていた。
新たにコツを教えてもらった。やっぱり一度では覚えきれません。 今度は番茶の入れ方を教えてもらおうかな。
※参考サイト
京のお菓子味見録の濤々
前回と同じく嘉木という名の煎茶を頼んだ。今回はカウンターに並んで坐った。お茶の入れ方を書いた紙ももらうのだが、やっぱり教えてもらった方がよくわかる。
お菓子の名を尋ねるときょうかどうさんのひとひらですと返ってきた。一片ひとひら散っていく桜の花びらを表したものだろう。お味も結構でした。
そして、前回も「きょうかどう」というお店のお菓子だったことを思い出した。京華堂利保という店が川端二条を東に150m位行った北側(左京区二条川端東入)にあるのだそうだ(京のお菓子味見録より)。鴨川の東側というと遠いように思うが、二条には橋があるので意外と近くにあるお店のようだ。
① 湯呑みに熱湯を注ぎ、80度になるのを待つ。茶葉の量は10g。
② お湯を急須に入れ、葉が開くのを待つ。一服目は1分では長すぎます。葉が開ききらない程度にすると、次も美味しく飲めます。京都のお茶は山吹色です。山吹色になるようにして下さい。その通りにすると、本当に山吹色のお茶になった。茶葉の開き具合はこんなです。
③ もう1つのコツは、蒸れてしまわないように、急須の蓋を閉じきらないことです。なるほど。飲む前に次のお茶のためにもう1つの湯呑みに熱湯を注いでおくのは覚えていた。
新たにコツを教えてもらった。やっぱり一度では覚えきれません。 今度は番茶の入れ方を教えてもらおうかな。※参考サイト
京のお菓子味見録の濤々
2008年4月18日金曜日
北村美術館で庭園見学
北村美術館は京都の河原町今出川下がる、1筋目東に入り、ちょっと下がった東側にある。裏は鴨川に面している。
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庭園が期間限定で見学できるということを聞いて、久しぶりに行ってみた。煉瓦造りの美術館の南側に四君子苑という名の庭園がある。
美術館の2階にあるホールから見えるこの建物の奥に庭園はある。美術館自体が北村氏所蔵の茶道具を展観するために造られたので、こちらには茶室と庭園があっても不思議ではないのだが、間の抜けたことに、今まで私は別の家だと思っていた。
玄関を入って順路に従うと、洋間の向こうに庭があった。ここに至るまでにも石塔や石灯籠など目を見張る物がたくさんあったが、この庭にも、幾つもが木々に見え隠れしていた。受付でもらった四君子苑の冊子には39個の数字があって、それぞれの石造美術品の時代や伝来が記されていた。美術館の方に左の桜は平安神宮の桜とおなじもの、右の枝垂れ桜は円山公園のそれと同じものだと教えてもらった。そのずっと向こうに大文字山も見えた。枝垂れ桜の奥には茶室がある。
左前に三尊坐像の浮彫があった。小さいながら高浮彫で力強いが、顔ははっきりわからない。この石仏は番号がなかったので、時代も由来もわからない。奈良の頭塔にある浮彫三尊像群は浅浮彫で、はっきりと仏菩薩の着衣が表されているが、こんなに高浮彫なのに着衣がよくわからない。
洋間の隣にある和室の廊下から、茶室へつづく片流れ屋根の軽快な土間の渡り廊下の壁が見える。そしてその前に大きな石仏を見つけた。
こちらも番外だが、どうも上半身だけのようだ。しっかりした顔立ちで、臼杵石仏を思わせるが、上半身は臼杵石仏に比べてずっと彫りが浅いが、着衣は表されている。国東半島の熊野磨崖仏の大日如来は顔立ちはもっとしっかりと残っているが、上半身は風化が激しくよくよからない。うーん、いつ頃のものなのだろう。
そして順路は廊下を玄関側へと向かう。こちらには広間の茶室がある。つくばいに青竹から水が落ちる音がして目を下に移すと、伽藍石のようだった。
自然の石の上面を四角に削り、その上を円形にして蓮弁が表されている。山田寺のような装飾的な蓮弁やなあと思って冊子を見ると、山田寺の四天柱礎石水鉢、明治41年発掘、飛鳥時代、花崗岩製ということで、そのものだった。
渡り廊下から広間の茶室の向こうの六畳の間へ。これが一番奥の部屋になる。垣根の向こうは鴨川で、大文字山の先が見えている。ここまで来ると石造物もなく、静かな庭やなあと思った。
しかし、右(南)に視線を移すと、奥に燈籠があった。39番の八角形石燈籠、重文だった。鎌倉中期、花崗岩製、西陣報恩寺伝来という。
そして、うっかり見落としてしまいそうなのが、この一見ただの石だ。石仏に番号がないのに、この石は38番だった。冊子を見て驚いた。元中宮寺の礎石なんだそうだ。
中宮寺の如意輪観音や天寿国曼荼羅で有名な古刹で、昔の位置は、法隆寺の5、6町ばかり東にあったとのことです。俗称「御旧殿」と呼ばれる土地であり、金堂址にあたる地点から3箇の礎石が発掘され、その中の1つで、明治15年発掘という。
さっきの山田寺の礎石が円柱を載せる丸い部分だけだったが、これは丸い部分に地覆石へと繋がる凸線が表されている形の礎石です。
石造美術好きの私には垂涎のところだが、庭の遠くに見え隠れしているものを見るというのは困難なことだった。庭ではなく、展示として石造美術だけを見られるようにしてあったらなあ!※参考サイト
臼杵市観光情報協会の国宝 臼杵磨崖仏
豊後高田市観光協会の熊野磨崖仏
2008年4月6日日曜日
松屋常盤 4月のきんとんは「深山桜」
久しぶりに松屋常盤できんとんと味噌松風を買った。 平安京堺町御門南入にあるお店には、御所が南面する丸太町通から南に下がるよりは、1筋南の竹屋町通から北に上がって行くことの方が多い。このあたりの細い通りには、東西の通りも南北の通りも、趣のあるお店が残っていたりするからだ。
そして堺町通を竹屋町通から上がっていくと、堺町御門が見えてくる。しかし、写真を撮ると、いつも丸太町通を往来する車が入ってしまう。
この2つの通の真ん中あたりの西側に松屋常盤はある。松屋常盤 きんとんで大きな車が写ってしまった北側のお家は、今回行くと工事中になっていた。
気をつけて持ち歩いたつもりだが、開けてみるときんとんは少し寄っていた。それをお皿に盛ると、また松屋さんが作り上げたきんとんの形を損なってしまう。以前と比べると堅めに感じるのだが、さわるとこのお菓子の繊細さがわかる。その次にやっと、今回のきんとんがどんなものかに目がいく。5月は岩根のつつじ、11月は梢の錦、そして4月は「深山桜」だった。「みやまざくら」と平仮名の方が似合いそうな外観である。前の2つがピンぼけなのは、あまりにもほわ~としているので、ピントがお皿の方に合ってしまったから。そこで今回は、きんとんにピントが合うように、くっきりした器に盛ってみた。
総織部大皿 色としては合っていても、大皿の端に1つ盛るのも変やなあ。
刷毛目皿 もっと濃い色のお皿が似合うなあ。
乾山写し 多少お菓子が映えてきたけど、やっぱりこのお菓子は黒塗りの縁高に盛るのが一番やね。それがないので、黒い茶碗に盛ってみました。
織部沓茶碗 しかし、器が小さすぎて、きんとんがうまく写りませんでした。器はすべて窯印ム。私のお気に入りの和菓子手帖さんの素晴らしい写真にはかないません!
関連項目
松屋常盤の紫野味噌松風と切れ端
2007年11月3日土曜日
弥勒菩薩半跏思惟像といえば広隆寺と中宮寺
広隆寺に2体の古い弥勒菩薩半跏思惟像があることよりも、広隆寺の弥勒菩薩半跏像(以下宝冠弥勒像)といえば、法隆寺に近い中宮寺の弥勒菩薩半跏像と比べられたり、ソウルの韓国国立博物館蔵の弥勒菩薩半跏像との類似点が指摘されることの方が一般的であるために、宝髻弥勒像は記憶から抜け落ちてしまったのだろう。
弥勒菩薩半跏像 金銅(銅に金メッキ) 三国新羅時代(527-676) ソウル、韓国国立博物館蔵
『図説韓国の歴史』に、蝋型の鋳造品で、頭部の宝冠は三山に単純化されているが、韓国最大、秀作の金銅仏像である。京都、広隆寺木造半跏思惟像と酷似するという。
宝冠弥勒像と比べると三山の形がはっきりしている。
中宮寺蔵弥勒菩薩半跏像 133㎝ 寄木造(クスノキ) 飛鳥後期『太陽仏像仏画1奈良』によると、樟材数個を不規則に寄せた、独特の寄木造りの像である。丸味のある柔らかいポーズは止利様の像とは大きくへだたり、時代も飛鳥末期の作と思われるという。
平安後期から始まったと思っていた寄木造という造り方がすでにあったことに驚くが、『日本の美術455飛鳥白鳳の仏像』も、飛鳥後期の弥勒菩薩像を代表するのは中宮寺像である。中宮寺の弥勒菩薩像(寺伝では如意輪観音)は、同じ半跏思惟像でも渡来様式が顕著な広隆寺像と比べると、際立って日本的洗練が加えられているさまが実感させられる。それはこの像がそれまで類例のない寄木造の新技法で制作されたことに起因すると考えられる。飛鳥後期の中宮寺像は、画期的な新技法の開発により、一木彫刻の制約から解放され、一段と優美で写実的な造形を達成したのであるという。
寄木造であるからこその造形であると説明されている。
広隆寺弥勒菩薩半跏像 一木造(アカマツ) 飛鳥前期『日本の美術455飛鳥白鳳の仏像』は、
救世観音像とほぼ同時期の宝冠弥勒像は、日本では他に例がない赤松を用いた一木彫刻であり、また表現が朝鮮三国時代の金銅仏そのままであることから、これは飛鳥彫刻における渡来様式の典型的造像とされる。宝冠弥勒像は垂飾にした腰帯の部分などには樟材が使用されているから、制作地が日本であることは間違いない。 ・・略・・ 朝鮮三国の新羅様式からの直接の影響を受けた造像であることが分かる。したがって、太子薨去の翌年の推古31年7月に新羅から推古天皇に献納された像に相当すると考えられる。新羅による献納仏であるから新羅系仏師が制作に当たったはずであり ・・略・・という。
従来の請来説を否定している。
このように見ていると、右脚から下に垂れる衣の重なり方、衣文線はそれぞれに工夫が見られるが、どれも立ち上がると妙な服になるのではないかと思うような不思議な凝り方だ。特に宝冠弥勒像の右膝下の出っ張りなどは、よくわからずに元の仏像をまねたために不自然さが際立ってしまったような気がする。しかし、私が飛鳥白鳳の仏像が好きなのは、実はこのような造形であるからこそでもある。
※参考文献
「カラー版日本仏像史」(水野敬三郎監修 2001年 美術出版社)
「太陽仏像仏画シリーズⅡ奈良」(1978年 平凡社)
「図説韓国の歴史」(金両基監修 1988年 河出書房新社)
「日本の美術455飛鳥白鳳の仏像」(松浦正昭 2004年 至文堂)
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