お知らせ

イラン・フランス南西部のオクシタニー地方の旅行記に続いて、南イタリアの旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2018年10月4日木曜日

サンシル・ラポピー2


サンシル・ラポピーの地図(『Saint-Cirq-Lapopie/Pech-Merle』より)
ペイロルリ門(Porte de la Peyrolerie) 一般人の住宅(Maisons médiévaux de bourgeoisie) フルドヌの屋敷(役場と郵便局 Maison de la Fourdonne) ラポピーの岩(La roche de Lapopie) ⑤カルダイヤク城(Le château de Cardaillac) ドラの屋敷(Maison Daura) サンシル・ラポピー教会(Église Saint-Cirq-Lapopie) サンシル・ラポピー城(château de Saint-Cirq-Lapopie 16世紀) リニョ美術館(Musée Rignault) 船乗りの宿、アンドレ・ブルトンの家(L’auberge des Mariniers、 Maison d’André Breton) カロル広場(Place du Carol) ⑫船乗りの礼拝堂(La Chappelle des Mariniers) ペリサリア通り(Rue de la Pélissaria) ペリサリア門(Porte de la Pélissaria)

教会から階段、更に坂を下っていく。これが大通り(Grande Rue)。
前方に咲くの間から建物を写している人あり。
16世紀の建物でホテル「サンシル・ラポピー城」
小冊子は、防御を固めた建物、要塞として使われたという。
角塔は監視塔で、屋根に開いた窓は明かり取りではなく監視のためのものなのだ。
ホテルに沿って下り、右方向へ。
正面の建物もルネサンス様式の十字窓があり、屋根の葺き方がサンシル・ラポピーに独特。

するとゴシック様式の三葉形の窓のある建物の角が見えてきた。右の建物の角の窓もユニーク。
左側の建物にも三葉形の窓の痕跡があり、その右には掃き出し窓が2つ。これでは窓を開くと落ちてしまいそう。昔はバルコニーがあったはず。
ドラの館、芸術家のための国際的な住宅
小冊子は、三葉形で円柱の縦仕切りのある窓13世紀の中世の家屋は、ピエール・ドラ(Pierre Daura、1896-1976年)の仕事場になった。彼は1929年にこの家を購入し、翌年移り住んだ。後の人生をこの館の修復に費やしたという。
三葉形の縦仕切りのある窓は大通りに面していて、15世紀に拡張されたものという。
窓に空が写っている。大通りに面しているのはこの部分だけ。
他は細い路地に面しているので、正面から眺めることができない。
右の家の壁に奇妙な出っ張り。

ペリサリア通りを下っていくと、

左手に13世紀の家があった。
MonumentumMaison du 13e siècle à Saint-Cirq-Lapopieというページ
やはり二階が木製の軒下飾りの分張り出して、木組み(コロンバージュ)になっている。一階の窓は柱頭のある円柱で支えられている。窓には「売り家」の文字が。
右側にも古い家並がつづく。
窓の斜め格子に嵌め込まれたガラスが色とりどり。
隣の家も古そう。
皆さんが撮影しているのが、この奥正面の船乗りの宿、後のアンドレ・ブルトンの家。
アンドレ・ブルトンの家その奥の段にリニョ美術館が見えている。
小冊子は、この家は村で一番古く、13世紀に遡る。ゴシック様式の窓のある要塞は、12世紀の塔のある家と一体化していることで注目に値する。騎士たちが住んだ家の典型である。
以前は、1966年9月28日の最期の日まで毎年夏を過ごしたアンドレ・ブルトンの住まいだったという。
サンシル・ラポピーの近くにペッシュメルル洞窟があるのだが、MédialotLe procès surréaliste et préhistorique d’André Bretonのというページによると、ブルトンは洞窟に出かけてマンモスの絵に触れ、裁判で罰金が科されたという。
蛇足ですが、レストランのランチョンマットにペッシュメルル洞窟の写真がありました。

3階には尖頭アーチが2つ並んでいるようで十字に仕切りがある窓や、三葉形に柱頭付き円柱の縦仕切りのある窓があったりする。
傾斜地なので、見る方角によってはリニョ美術館や要塞でもある16世紀の建物が左に続いて見える。
ペリサリア通りを引き返す。
コロンバージュ(木組み)は15世紀だったかな。
右の二軒目が13世紀ということだが。
ドラの館の三葉形の窓も見えてきて、

その前で右へ。16世紀の要塞化された建物で現在はホテルという建物の門は閉まっていた、先ほどは開いていたのに。
右手の細い路地に入ると、左上が⑨リニョ美術館、右下がアンドレ・ブルトンの家となっている。ここから見ると塔らしく見える。
Devenir mécène de la maison d’André Bretonというページには、リニョ美術館の屋根の角にある小屋のようなものと、その前で腰掛けたり、自宅の窓際で家族とくつろぐアンドレ・ブルトンの写真があります。

リニョ美術館
小冊子は、15世紀の銃眼のある要塞化された住居は崖の上に張り出している。サンシュルピスのエブラール領主が建立して、領地の外に移住した。現在は美術愛好家のジョゼフ・リニョが修復して美術館となっている。
見学する余裕がないので、この柵の間から
中庭を撮影させてもらうと、円柱や柱頭があった。

戻る途中に見上げると、教会がまた違った姿を見せていた。
大通りの坂を登っていくと、教会近くから見えていた建物が再び目に入ってきた。
この2つの建物の間の道が墓地に通じていたのだった。
教会のファサード全体がやっと見えた。
坂を進んで振り返る。
上写真の花が掛けてあるお店の全貌。上階はルネサンス様式の十字窓が開かれている。
土産物屋。犬の頭部みたいなものが面白いので写してしまった。

その先で左の露地を見ると2階の通路で繋がっている。その先には赤い看板が。
近づいてみると、「壺とワイン」という名のお店の看板なのだった。
この四つ角の西の路地は、邸宅の下が半円筒ヴォールトの通路になっている。

大通りに戻る。この坂の先には、始めに見たソンブラル広場の②古い家並みがある。
柱頭付き円柱の縦仕切りのある窓に2階が木組みの家、その次がブサクの家(Maison Bessac)
ブサクの家についてMonumentumMaison du 14e siècleのページは14世紀としていて、1階の窓ガラスのよくわかる写真が掲載されている。
ブサクはアンドレ・ブルトンと同じ時代の人物で、親交もあったようだ。
左の窓は木製で、ステンドグラスが入っている。

一軒分の空き地の次はルネサンス様式の十字窓。鎧を身につけた兵士の看板が面白い。
その向かい側の家はカフェでもなさそう。
左側にフォワグラの店があった。看板よりも右下の針金でつくった鴨が楽しい。

この建物の西側が路地になっていたので、そこを通って次の交差点で左手を向くと、さっきは東側から見た建物の下の半円筒ヴォールトのトンネルと、手前にもう一つ、平レンガで造ったヴォールト天井があった。
その反対側の路地から、少し広いフルドヌ通り(Rue de la Fourdonne)を通り振り返る。たぶん写真を撮っている路地から出てきた。
その先は半地下室のある木組みの家。
古い家には赤い旗が付いていることもある。Michele Gobing氏のアトリエという看板があった。

ここから自動車道を少し下ると、
フルドヌの館、現在は町役場と郵便局になっている。
ラポピーの岩、城塞跡も遠くに見え、
少し視線をずらすと、教会も見えた。
もう少し下ると城跡や教会がよく見えた。手前には墓地も。
今度は墓地に接した路地を通ってみる。
すると赤い看板の店のある路地だとわかった。

そして最初にくぐった建物の下の通路を再び通って、
出発まで時間があったので、バス乗り場の傍にあるアイスクリーム屋で
フランボワーズと塩キャラメルのアイスクリームをいただいた。
今日もよく歩きました。

その後カオールに戻り、オコントワールドルト(オルト川のカウンターで)というレストランで夕食。
レモンジュースを試すが、アプリコットジュースの方が好み。
生ハムとメロン
鴨のコンフィとジャガイモのピュレ
昔『相棒』で右京さんが「鴨のコンフィは手で食べてもいいんですよ」と言っていたが、ナイフとフォークで食べた。
サクランボのクラフティ
巨大でも完食。

ホテルの部屋から日の暮れる直前にはんなりとライトアップされたヴァラントレ橋を見た。
そして三日月よりも太い月が西の空に。
三日月かも。月全体が薄く写っていた。


サンシル・ラポピー1

参考にしたもの
「Saint-Cirq-Lapopie/Pech-Merle Great Tourist Sites in Midi-Pyrénées」という冊子
MédialotLe procès surréaliste et préhistorique d’André Bretonのというページ
Devenir mécène de la maison d’André Bretonというページ
MonumentumMaison du 13e siècle à Saint-Cirq-LapopieMaison du 14e siècleのページ