お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2020年6月23日火曜日

ティヴォリ ヴィッラ・アドリアーナ ハドリアヌス帝の別荘1


ローマ郊外のティボリにあるハドリアヌスの別荘へ。 
のんびり草を食む羊さんたち 
牧草を運ぶ車?
あれがエステ荘のあるティヴォリ(Tivoli)の町かなと勝手に想像。ヴィッラ・アドリアーナ、つまりハドリアヌス帝の別荘も同じティヴォリにある。
ヴィッラ・アドリアーナはどこだろうと車窓を眺めていたら、道路の近くに塔のようなものが見え、
その後あっさりとその切符売り場に着いてしまった。
それにしては地味な出入口。
別荘全体の平面図

きれいに整備されて、まるでオリーヴ畑😄

立派なオリーヴの老木。
ギリシアを旅した時、オリーヴは雌雄異株なので、苗は一対でよじらせて植える。枝は剪定する。長寿の木で、2000年くらいもつと聞いたが、ハドリアヌス帝の時代に植えられたものなら1900年くらいかな。

マンテマも咲いていた😄
日本では高山でしかみたことはないが、イラン以西から西ヨーロッパまで、普通に咲いている雑草。
それでも見かけると写してしまう。

オリーヴ畑が終わって土壁のようなものが出てきたところで左折。辺り一面にこれまでに見たことのないピンクの小さな花が一面に咲いていた。
それは原種のシクラメンだった。原種の花が可憐で好き😊

土壁のようなものから石垣のようなものへと変わり、
べつの垣が表れ、その前に幹が縦に分かれそうな糸杉が。
イランのアバルクーにあった樹齢4000年の糸杉は、円錐形を保ってはいるものの、はバラバラになっていた。

本当に遺跡があるのかと思いかけた時、正面に長々と広がる壁が見えてきた😓
オプス・レティコラトゥムという表面を石材で網目積みした壁。中側はもちろんローマンコンクリート😎
ドングリ?
やっと壁が見えてきたところで、小さな建物に入った。館内にはヴィッラ・アドリアーナのジオラマがあった。別荘にこんな巨大な建造物が沢山あるとは😵
ハドリアヌス帝が別荘の建立に着手したのは、あのパンテオンと同じ118年だったという。
さっきの壁は池を囲む建物(ポイキレ Pecile)の北壁だった。

見学した箇所

Ⅰ:ポイキレ(Pecile 彩色柱廊)
中央のアーチ門からポイキレに入る。
ポイキレ全体は232X97mの広さ。片側が約110mの壁ということになるのかな。
こういう風に違いがあるのは、修復が何度もあったことを表しているのだろうか。
もう半分の壁は延々と続いて、その向こうにも別の建物がありそう。
池は今でもある。この大きな池を柱廊が囲んでいたことを想像出来るように低い円柱形に刈り込んだ木々がむ並んでいる。
他の壁面がなくなったために、池の向こうには別の建物が見えている。
池の向こう側に歩を進めると、真っ直ぐな壁と半ドームらしきものが見えてきた。
が、近づくことなくガイドさんはどんどん違う方向に行こうとしている。
その奥の建物も半ドームか、ドームが崩れていて、走っていって間近で見たかったが、近くに見えても遠そうなので諦めた😥

パンテオンのドームのように、ドームの内側に壁龕が並んでいる。何のための建物?

そして一つの建物に到着。

Ⅱ:3つのエクセドラ(Tre Esedre)のある建物へ(ガイドさんが見せてくれた書物の平面図より)
『HADRIAN’S VILLA THEN AND NOW』は、ハドリアヌスの最も奇妙な建造物である。建設の目的は分かっていないが、ハドリアヌスの建築の優れた革新の一つである。このクローバー形の建物は中央の建物の周囲に曲面の壁を築いたという。
同じ頃から建て始めたパンテオンは完全な円形平面だが、一つの建物に曲面の壁を3つも付属させた建物は、他に類をみなかっただろう。
 四角い石の壇(北)
平面図で、③の3つのエクセドラに囲まれた柱廊のある矩形の中庭を中心に見ると、この壇が正面になる。
その前に立つ2本の円柱。Ⅰ:ポイキレの長~い壁がもう遠い。
西のエクセドラへ。入っても良いらしい😮
とはいえ、通路部分のみ😉謎の建物の中心部を眺める👀
中庭と東のエクセドラ、そして建物の残る部分
中庭の四角く残った部分は、オプス・セクティレ(切った大理石を組み合わせたモザイク床)の断片かも。
東のエクセドラの奥にだけ建物の遺構が残っている。
右側に見えるのは南のエクセドラに残る列柱
そして西のエクセドラの外側から見ると、西のエクセドラにも白石の舗床モザイクが残っていて、細い黒い弧が描かれている。中央の矩形のものは不明。
柱頭のある円柱
ちょっと変則的なコリント式の柱頭に上部の石材が残っている。
わずかに残るエクセドラの壁面。
半円形の建物にはお馴染みの網目積み(オプス・レティクラトゥム opus reticulatum)、角柱にはレンガ積み(オプス・テスタケウム opus testaceum)が用いられている。
柱や壁の外壁はレンガ積みだが表面だけで、中は割石や割れレンガなどを骨材にしてローマンコンクリートを流し込んでいるのが、こんな残り方によって知ることができる。

3つのエクセドラのある建物を離れると、右手に
Ⅲ:百の小部屋(Cento Camerelle)の遺構部分
使用人などの部屋だった。右の角から90度こちらに曲がり、
この百人の間は玄関ホールの手前まで続いているという。Google Earthでそれを見ることができる。その上が通路になっていて、観光客が歩くコースとなっている。
そして、緑の芝生も玄関ホールまで続いているのだが、北側は半円になっていて、ヒッポドローム(2頭立ての戦車に乗って行う競技場)のよう。狭すぎるけれど。

階段を上がるったところが
Ⅳ:別荘への玄関ホール(Vestibolo)
玄関ホールを側面より

続いて左側にⅤ:小浴場(Piccole Terme)が見えてきたが、ここも奥まっているせいか近づくことはなかった。
小浴場平面図 同書は、その規模から、おそらく女性専用だったという。


続いて大浴場へ
Ⅵ:大浴場 Grandi Terme
平面図(数字の部屋が何か説明パネルにあったはずなのに、写し損ねたので各部屋については想像の域を出ません)
立面図
がドームの部屋、⑭⑮⑯⑰はヴォールト天井の部屋
右側から、更衣室で服を脱ぎ、次の温浴室で体を熱に慣らし、ぬるめの湯につかることもできた。次の熱浴室は40℃ほどあり、冷浴室で仕上げに水風呂で汗と香油を流し、肌をひきしめた。冷浴室は一般に円形で中央に丸い浴槽があるということで、それはドームのあるだろう。
⑨の半ドームのある部屋がどんなものかは次回 
北から小部屋跡とドームのある部屋
半ドームは壁体の途中から造られているので、外観はへしゃがって見えるのだろう。 
冷浴室(フリギダリウム frigidarium)と熱浴室(カリダリウム calidarium)?
熱浴室(カリダリウム calidarium)
温浴室?
更衣室?
後にヴォールト天井だけの部屋ではなく、ヴォールト天井の上に四方切妻の屋根が架かっていたことが判明。
それについては後日
狭い部屋 そうなるとこの右(南)端の部屋はなんだったのだろう?玄関?
壁の穴をのぞくと、プレトリオの遺構のヴォールトが見えていた。
の隣室のようだが、右側奥にある建物が見えていた。プレトリオ(Pretorio 貯蔵庫)

Ⅶ:カノポ(Canopo)へ(現在地ガイドさんが持っていた本より) 同書は、属州エジプトを思い起こすカノポスは、アレクサンドリアから遠くない新しい町アブクル(Abukir)の近くにあったという。 
アーチと直線の上部構造のある柱廊の奥にはまた長い池。
池の丸みに併せて柱廊も弧を描いている。
同書は、カノポスの主な役割は水遊びで、別荘の中でも最も重要な場所だった。人工的に造成した谷にある長い119X18mもの池に、建物が映っているという。
向こう岸には鉄芯の入ったワニ。ハドリアヌス帝のエジプト趣味と言われている。 『hadrian’s villa guide』は、シポッリーノ産の大理石製という。
カリアテッド(女人柱)はギリシア趣味? 同書によると、アテネの有名なエレクテイオンのカリアテッドの優れたコピーなのだそう。
池の南にはセラペオという建物がある。
『hadrian’s Villa guide』hは、エクセドラ(半円状の張り出し部)の形のニンファエム(泉水堂)はドームによって特徴付けられていて、ドームの内側はガラス・モザイクで装飾されていたという。

Ⅷ:セラペオ(Serapeo) 同書は、セラピス神殿と思われてきたが、最近の発掘で、大トリクリニウムだと判明したという。
説明パネルの平面図
池はやっと終わり、向こう岸のセラペオ奥の建物。
傘状の半ドームとイオニア式柱頭のある円柱の4本のうち3本。

半ドームの下側には、半ドーナツ状の台。
同書は、スティバディオン stibadionsと呼ばれる傾斜のある半円の石の台は宴会用の寝台で、暑い夏には、食事場の目の前で、布のような水がドームから落ちてくるような配水の仕掛けがあった可能性があるという。
この半ドーナツ状の台に大勢で寝そべって食事をしていたらしい。
ドームというものは、傘状に架構した方が造りやすかったのだろうか。
それにしてもこの天井にガラス・モザイク装飾が施されていたとは😱ガラス・テッセラは一粒も気付かなかった。
中央の通路の奥にはアーチ形壁龕があるので、彫像が安置されていただろう。
同書は、背後には被せもののない長いアプシスがある。
セラペオの中央からカノポスを眺める。手前にも水槽があった。

建物の中へ
階段を登るとちょっとした展望ポイントになっていた。
左に続くアーチ列はセラペオの屋根のない細長いアプシスということになる。
カノポスを一望。
セラペオと柱列。
傘状ドームももちろんローマンコンクリートでできていて、頂部にいくほど薄くなっている。


付近で咲いていた花々 キキョウかシャジンと思っていたが、どちにしても葉と花が近すぎる。

これもマンテマ。見頃のものはすくなかった。
こんなところにもシクラメンの群落
光を浴びようと必死で首を伸ばしている🧐
ヒルガオも😄

    ローマ サンタンジェロ城2← →
ハドリアヌス帝の別荘2

関連項目
ヴィッラ・アドリアーナ 大浴場に交差切妻屋根
ローマ サンタンジェロ城1
パンテオン(Pantheon)でドームを見上げる
パンテオン(Pantheon)の柱廊は修復中

参考文献
「HADRIAN’S VILLA THEN AND NOW」 2009年
「hadrian’s villa guide」 2017年