面白いレンガ積みの壁を過ぎ、空き地のところで矢印に従って左折。細い道を通り抜け、また矢印があって左折。もっと狭い道を歩くことになった。
この家の石垣は黒っぽくなっているが、石も窯に使われていたのだろうか。
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廻船問屋瀧田家の由来を書いたパネルは、常滑は焼き物の町であると同時に、江戸時代から明治前期にかけては廻船の町でもありました。常滑の船は、伊勢湾周辺の地域(尾張・伊勢・美濃・三河)と上方、江戸方面を結んで、当時の人々の生活を支えていました。
常滑を代表する廻船主の一人が瀧田家です。ここ「瀧田家」は、瀧田家が廻船業を始めてまもなく建てられた居宅ですという。
登り坂となって、瀧田家の塀沿いに歩く。
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細い道に突き当たって右折しすると下り坂。土管坂というらしい。やっぱり同じ文様の路面が続く。滑り止めにもなる。
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左側は法面になっていて、上の段のある家のものは、こんなレンガ壁だった。長い側、短い側織り交ぜて、いろんな表情のレンガ積まれていた。長い側には虎の縞状になっているものが多い。どんなものを焼く窯で仕事をしていたのだろう。
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右角には小さな休憩所があり、すべて焼き物でできている。四角い板を繋いだ説明板は、とこなめの焼き物は、西暦1.100年頃から590年の歴史をもっている。日本六古窯(常滑・瀬戸・越前・信楽・丹波・備前)のうち一番古く、一番大きいと言われているのが、とこなめである。
ダイナミックに古常滑のやきものは世界にもその例がない素晴らしいものである。平安、鎌倉、室町、江戸の各時代の壺かめの主要な窯場として繁栄し、江戸時代から陶芸作家も多く現れて、多彩な窯場に成長した。
江戸末期に始められた朱泥焼は、豊かなローカルカラーを漂わせて多くの人々から親しまれ、全国に朱泥急須が売り出されている。
大きな窯や設備が有力な武器となって、タイル、衛生陶器、陶管、植木鉢等の大型のやきものの地として又土もの陶器の特産地とこなめは全国でも有数な窯場であるという。
この四つ角を矢印に従って右折、下り坂に。
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三叉路を矢印通り左に進む。瓶の並ぶ低い壁の先でまた二つに分かれる。矢印は左方向を示しているので左へ。今度は登り坂。
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向こうに見える新しい建物が展示工芸館。道を左折すると間もなく登窯広場。
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※参考
常滑市製作の案内板