邪魔な送電線の向こうに島が2つ。近くの小さな島が見えているのかと思っていたが、ローマ・タルクイニア間には小さな島さえなく、見えていたのはコルシカ島とサルディーニャ島だったとは😮
おっと右端の木の奥に遺跡が!
やっとオスティア・アンティカ考古学区に到着。現在のオスティアの街は別にあるので、「古い」を付けてオスティア・アンティカと呼ばれている。
空から見たオスティア・アンティカ
右下方に半円形の劇場跡が見えている。
遺跡地図
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❶墓地
摩滅した玄武岩の敷石のおかげで歩きにくい。当時は墓地は市壁の外につくられたので、ローマ門までは墓地が続いている。『望遠郷 ローマ』は、ローマでは聖域である都市境界ポメリウムの外側が、死者の埋葬の場所であった。これは知られる限りの古い時代からの習慣だった。このため古代ロ ーマの街道沿いには、社会階層や埋葬儀礼によって異なる多様な一大墓所が形成された。土葬と火葬が同時に存在したが、どちらが優勢だったかは、時代によって異なる。共和政期は火葬が優位で、納骨堂(無数の骨壺を並べた建物)や骨灰を納めた祭壇が好まれた。逆に帝政期には土葬の習慣が広がり、カタコンべが出現する。土葬は、より広い空間を必要とする。これに機能的に対応すべく、死者を地面の下に造った墓地に埋葬したのである。4世紀以後、ローマ市民が新宗教のキリスト教に帰依するに従い、カタコンベはほぼキリスト教徒に独占されたという。
これは網目積(オプス・レティクラトゥム)という積み方。
詳しくはこちら
それは広い墓所を囲む壁だった。
そこにはこんな面白いタンパンが並んでいた。
それぞれ太陽を表しているよう。
しかもティレニア海に沈んでいく夕日。やや不気味~😨
その向こうにアーチ門のある墓所。これについても別記
屋根が掛けられた壁面はアーチが並ぶ。小さなアーチの墓と呼ばれている。
実際には見ていないが、この墓域ではテラコッタの香油瓶が出土している。時代は不明だが、古代ローマの香油瓶なのに、ローマン・グラスではなく土器である。しかも色ガラスをぽつぽつ付けたような装飾があるものも。
オスティア博物館蔵テラコッタ製香油瓶 『ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME』より |
キリスト教時代の石棺も置かれていた。
体の汚れは、体に油を塗っり、それを落とすための道具肌掻き器があった。それがやがて並べられて石棺の文様になった。
やっと現れた❷ローマ門と周壁の一部
『ANCIENT OSTIA』は、ネクロポリスの向こうのオスティエンシス通りに、前80年頃にスッラによって建てられた壁に嵌め込まれたポルタロマーナが立っている。
古代オスティアの街に入って左手に、❸ヴィットリア広場の一部つい最近、新しい解釈が提案され、壁の建設開始日を前63年にしたという。
アカンサスの透彫のコリント式柱頭が残っている。
勝利の女神ミネルウァ像
『望遠郷 ローマ』は、名は、ドミティアヌス帝時代の修理工事で加えられた門の装飾の一部と思われる有翼の勝利のミネルウァ像に由来するという。
デクマノ・マッシモ(大通り)は相変わらずの石畳。
コロネードについて『古代ローマ人の危機管理』は、オスティアでは一般的に見られ、頑丈な柱の下部が残っている。歩道と解説される場合があるが、これらはある 特定の建物の前面に限定され、街路に沿って連続していないた め、街を移動するための歩道としては機能しない。おそらくこれらは防火対策、あるいは次章で解説する洪水対策として建設されている。スエトニウスが記すところではネロはコロネード付き廊下のみを推奨しただけでなく、コロネード付きの新型建物も考案したようであるという。
パレストラや浴場の建物が眺められる。
説明パネルの平面図
3ネットゥーノの舗床モザイク 4アンフィトリテの舗床モザイク 5冷浴室 6脱衣所 7微温浴室 9パレストラ
左手向こうに9パレストラ(体育場)
正面に浴場の建物群。
ポンペイやエルコラーノの浴場と同様に、浴場の床はモザイク画がある。
3ネットゥーノ浴場と呼ばれることになったネプチューン(ギリシア神話のポセイドン)が、4頭立ての海馬戦車に乗って疾駆する場面のモザイク。その回りには人間、イルカのほか、長くくねくね伸びた尾を持つ半魚の怪物がいる。
4アンフィトリテのモザイクの部屋
アンフィトリテはポセイドンの妻。トリトンは息子で上半身は人間、下半身は魚。
それにしても、左上のモザイクを見下ろす4人、現代人の影のはずなのに、何故か古代ローマ人のよう。
中庭と周囲の建物跡(パノラマ合成のため歪みがある)
イタリアカサマツは大きな日陰をつくってくれるのでありがたい。
カポーナ・ディ・フォルティナートは説明パネルの下右図のように飲食のできる休憩所だった。
関連項目
古代ローマ オスティア・アンティカの墓地で石積みを復習
オスティア・アンティカ3 大ホッレア~ディアナ通りのテルモポリウム
参考文献
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」1999年 Newton Press
「OSTIA」 DI.EDIT.s.r.l.
「ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME」 VISION S.r.L. 2015年