お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2024年5月21日火曜日

ギュルハネ公園 Gülhane Parkı


ユシキュダルからまたマルマライに乗り、シルケジからトラムT1でスルタンアフメトで降りた。それはアヤソフィアの敷地内にあるスルタンセリム二世(スレイマン大帝の息子、在位1566-74)の墓廟(ミマールスィナン造)に行くためだった。

スルタンアフメト(在位1603-17)廟のそばを通って、

アヤソフィアに近付くと、角形の建物にドームののる複数の墓廟が見えてきた。

シェフザーデレル(王子たちの)廟 Şehzadeler Türbesi が見えてきたが、薄い幕のようなものがかかっている。


どうやら修復中のよう。


角の
メフメト三世廟 Sultan Ⅲ Mehmed Türbesi の方は養生を掛けているのか外しているのか。
スルタンセリム二世廟 Sultan II Selim Türbesi はよく見えなかったので、聞いてみると修復が終わるまで見学できないらしく、入口も塞がれていた。


ということで、天気の良い内にギュルハネ公園に行ってみることにして、アヤソフィアの裏側を通り、



ギュルハネ公園へ。中に入ると人であふれていた。

左手の城壁は、トラムT1線に乗っていると見える。



赤いのが現在地で、各所にこのような地図がある。


右手にはトプカプ宮殿の周壁


右手の周壁に段々近付いてきて、


やがてトプカプ宮殿の北西の端となった。


あの屋根は、バーダット・キョシュキュだろう。


更に先にいくと石垣のようなものがあった。

これがビザンティン時代の聖堂跡? 
説明パネルは、ビザンティン時代の聖パウロ孤児院(ビザンティンの孤児院としても知られる)、アギオス・ゲオルギオス修道院と教会、セラポンの聖水の泉、聖母マリア像などがあった。
ビザンティン皇帝ユスティニアヌス一世とその妻ソフィアが579年に建設し、長年孤児たちの世話をしていた孤児院の遺跡。現代の「セラピー」という用語の起源と考えられていて、癒しの水の出た泉がある。
アヤ・セラポン・スプリング Hagia Therapon Spring は一見の価値がある。1042-54 年にかけて建設され、1921-23年の発掘で発見されたアギオス・ゲオルギオス修道院と教会は、後に戦備品の保管庫として使用されたが、ビザンティン時代には修道院だった。高さ約2mの聖母マリア像は、第一次大戦後フランスの考古学者が発見し、イスタンブール考古学博物館に展示されているという。
ユスティニアヌス一世の妻は名高い踊り子のテオドラのはず。

アギオス・パウロ孤児院 Hagios Paulos Yetimhanesi とアギオス・ゲルギオス修道院教会という二つの建物の遺構だった。

地震で倒壊したままだろうか、短い円柱が立っているものもあれば倒れたものもある。


キリスト教以前の柱頭とキリスト教時代の台座という組み合わせ


時計回りに


周囲を回っていく。

すると、円柱が2本ずつ立っているのに気がついた。


ここは円柱が5本も立っている。柱廊か中庭だったのかも。それにしても、どれも一本柱で、しかも短い。柱頭は控えめな渦巻きのあるイオニア式の系統。


修道院教会や孤児院の近くにあったゴート人の円柱 Gotlar Sütunu と呼ばれているもの。
近くの人と比較するとその高さがよく分かる。
説明パネルは、これはローマ時代から今日まで無傷で残っている最古の記念碑。高さは18.5m。プロコネシア大理石の単一柱で、柱頭はコリント式で鷲の紋章がある。この名称はその台座に書かれたラテン語の銘文に由来する。一般的にはクラウディウス二世がゴート族に勝利たことを記念するとされているが、331-332年にかけてのコンスタンティヌス一世によるゴート族に対する勝利を記念するものと捉えることもできる。
6世紀の歴史家リディアのロンネスは、柱頭にはギリシアの幸運の女神テュケの彫刻がのっていたという。テュケは異教の女神だったので、キリスト教が国教となった後に廃棄された可能性がある。
14世紀の歴史家ニケフォロス・グレゴラスによると、この柱にはビザンティウムの名前の由来となったメガラのビザスの彫刻が彫られていたという。その理由の一つは、都市の創設者たちが上陸した場所が柱に非常に近かったということだという。

円柱はかなり風化している。

柱頭はアカンサスの葉が積み重なったコリント式の系統。鷲の紋章はよく分からない。



夕食は夜景の楽しめるレストランへ。
近くのホテルにも展望レストランがポツポツ。右はスルタンアフメトジャーミィ、通称ブルーモスク。
最初はガラス張りでガラスに反射するので屋上階にいくことになった。

確かにくっきりと撮影できたが、それよりも寒い方が勝っていた。膝掛けを借りても震えながらの食事に。
アヤソフィアではミナレットの間にイスラームの言葉が電飾で出ていた。

寒くてもアジア側の夜景を見ながらの食事は良い思い出


このレストランで初めてイボガレイなるものを見た。イボというよりもトゲみたい。


メゼ(野菜たっぷりの前菜)


サラダはどんぶりくらいある鉢に盛ってあった(一人分)

巨大な皿で出てきたお肉の盛り合わせから少しずつ取り分けて

こちらは魚介類の盛り合わせ



                  →ファーティフジャーミィとキュリエ Fatih Camii

関連記事

参考にしたもの
現地の説明パネル