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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2018年9月27日木曜日

ブジエからサンシル・ラポピーへクルーズ


ブジエから(Bouziès)サンシル・ラポピー(St-Cirq Lapopie)へクルーズ(クロワジエール=croisière)。
西が上になっている地図(その上英語 『FROM SAINT-CIRQ LAPOPIE TO THE Bouziès TOWPATH』より)

11時に船が動き出した。断崖はグレーのところと赤みがかったところとがある。
揺れて船酔いするような波がないので、川の船旅は楽。
鉄橋をくぐってロット川は左カーブする。この鉄道は廃線という。
フランスでは車も船も右側通行。

右手に見えるのは遊歩道に古代神殿の遺跡?
いや木を並べて上に石板を置いてあるのだった。


右(左岸)の崖には塔のへつりのような凹みが続いている。
これはサンシル・ラポピーまで続く曳き船道(Chemin de halage)で、自然にできたものではなく、1845年に切り開かれたもので、馬に牽かせたはしけや平底船による物資の輸送を行った(Office de Tourrisme Saint-Cirq-Lapopie/Pech-Merleより) 。
往復10㎞なのだそう。
ガニルの閘門(l’Écluse du Ganil)が近づいてきた。
自転車も通行可。ひと休みして景色を眺めているみたい。
続いて見えてきたのはへつっている時に発見された化石?
ではなく、トゥールーズのダニエル・モニエ氏が1990年に彫った浅浮彫だそうだ(同サイトより)。
モノトーンで田上惠美子氏の作品が並んでいるような👀
昔々、パリのサンマルタン運河で閘門に水位を上げたり下げたりする様子を、橋の上から寒さに震えながら眺めたことはあるが、自分の乗った船でこんな体験ができるとは!
実は幾つ閘門を通過するかとわくわくしていたのだが、ブジエ-サンシル・ラポピー間には一つしかないのだった。
これまで情熱的に身振り手振りをくわえながら説明していた女性が、船が停止するやいなや、後方に駆けていった。
その女性と、元々いたもっと若い女性が門の両側で、手動でハンドルを回し始め、門が閉まっていく。
すると船長が説明を始めたが、船長は楽して奥さんに力仕事をさせているとの声が。夫婦かどうかはわからないのだが・・・
亭主に言わせると、船がぶつからないように操縦する方が難しいのだそう。
壁面の濡れているところまで水を入れている。
そして上流側の門を開く。
閘門通過後すぐに大きな船がやってきた。これは昼食付の一番大きな船という。
すれ違える?

狭い水路は緑で溢れている。これまで緑の乏しい土地を旅してきたので、日本では普通でも、こんなに緑の深い土地を旅していることが新鮮。
左側の植物はオオイタドリ。土手の補強のために日本から輸入したという。
左隅が説明と閘門の開け閉め係の女性。マイクを持っていることも忘れて手を広げたりしながら説明するので、ところどころ聞こえなくなる。最後にはマイクなしで大声で説明していた。
目的地の観光も忘れてしまいそうなひととき。

やがて水音が聞こえ始め、
ロット川の本流にもどった。
やっぱり右岸(川の上流から見て)は赤っぽい断崖が続く。
下流を振り返ると、左岸は白く右岸は赤い。
断崖の下の方にトンネルの窓が、
岩を刳り貫けない事情があったのだろうが、人工物があるのが残念。
ここはロッククライミングがさかんな絶壁という。ロープが垂れ下がっているのが見えたが、この写真では無理😓
遂に見えてきたサンシル・ラポピーの村。
右手前は展望台
その背後にはサンシル教会
遊歩道は続いている。
サンシル・ラポピーを通り過ぎて、次のサンシル・ラポピー閘門が見えてきた。
船はここで方向転換。
ここに船が着くのだろうか。
それともこっち?

いやそうではなかった。クルーズ船はサンシル・ラポピーまで来て引き返し、ブジエで降りるという。岸辺から登っていくのを楽しみにしていたのに😥
ともあれ、『FROM Saint-Cirq Lapopie TO THE Bouziès TOWPATH VISITORS’ GUIDE』は、100mの高さの崖の上にあるというのを実感できるのは船ならでは。
村の一番高いと辺り。
サンシル教会は複雑な形をしている。
城壁や矢狭間も残っている。

これがガイド兼力仕事を一手に引き受ける女性。
そしてガニルの閘門で開閉役の女性。二人が競うようにぐるぐる回す姿に乗客は喝采と拍手。
ロット川の閘門で自動で開閉できないのはここだけだとか。

ブジエの船着き場が見えてきたが通り過ぎ、橋をくぐって、
この岩壁の説明をしてくれた。
近年のものだと思っていたこの城壁状の石積みは、百年戦争(1339-1453年)の時代にイングランド側が造ったものだという。
石灰岩の断崖は、内部に空洞がたくさんあり、通路をつけて中を行き来できるようにした居城だったという。
右手の岩壁にも切石を積んだところが残っているし、
その岩を掘ったトンネルの傍にも洞窟があって、切石積みが残っている。

7・8月だけ行きは船、帰りは曳き船道を歩くことができるそうです。


     カオールからブジエへ←     →サンシル・ラポピー1

参考にしたもの
「FROM Saint-Cirq Lapopie TO THE Bouziès TOWPATH VISITORS’ GUIDE」 
Office de Tourrisme Saint-Cirq-Lapopie/Pech-Merleのページ