デクマノマッシモの大通りに戻り、しばらく西進
『望遠郷 ローマ』は、デクマヌス大路とモリーニ通りの間で凝灰岩の大型の切り石でできたカストルム(オスティア最古の中心部)の門に達する。ここから共和政期の街道の道路面が発掘されているという。
説明パネルより
A:前1世紀半ばに建てられた小さな神殿(上の写真)オスティアで初期に要塞化された駐屯地カストルムの壁のすぐ外に、凝灰岩とコンクリートで造られた。前面に4本の柱があった。レンガ造りのケラ(内陣)の壁は、帝国時代の後期の修復。ここで崇拝されている神は不明。
B:市壁
モリーニ通りへ。
『望遠郷 ローマ』は、古代の伝説によれば、オスティアはローマ第4代の王、アンクス・マルティウス(前640-616)が建設したという。
しかし町の最も古い中心部の要塞「カストルム」は、前4世紀にテヴェレ川の流路と河口の塩田を管理するために、ローマ人が建設したものだ。オスティアの語源はラテン語の「オスティウム(河口)」から来ている。
続く共和政期、この周りに町が発展し、軍隊の前哨地、とくにローマの外港となった。そしてポッツォーリと同様、帝国全土から小麦などの首都むけの貯蔵食糧がここに集まり、大型の倉庫(ホレア)に貯蔵され、その後小型船でローマ市内に送られた。ローマとは、オスティエンセ街道という陸路でも結ばれていた。サラリア街道の南にある古代の道であるという。
左手には小麦の粉挽き場が並んでいて、そのうちのシルヴァーノの粉挽き場の中へ。
同書は、モリーニ通りとディアナ通りとの交差点から、古代オスティアの最も中心的なエリアであるフォーラム周辺の地区になる。
ここでは、商業活動が集中していた。街で最も賑わった通りだった。このため、舗装された歩道のあるディアナ通りの脇には、後2世紀半ば頃に建てられた多数のインスラ(アパート状の集合住宅)があるという。
ここが最も有名なインスラ➒ディアナの家。
インスラについて詳しくはこちら
石段のあるところが入口で、右隣は上階への階段
角を曲がると、カーブした軒の連続する側が見えた。
『望遠郷 ローマ』は、バルコニーのある数階建ての集合住宅インスラで、2世紀にさかのぼる。内部の多くの部屋は賃貸家屋だったが、採光や通風の悪い一部の部屋は宿屋であったとも考えられる。
これは、オスティアが旅行者にとっても重要な港だったからであるという。
インスラについては後日
ディアナの家はうまく写せなかったので、『ANCIENT OSTIA』より
オスティア・アンティカ ディアナの家 『ANCIENT OSTIA』より |
説明パネルは、街の中心部のスペースが貴重だったときの2世紀に建てられた高密度住宅の例。
少なくとも3つのフロアがあり、中央の中庭の周りに部屋が配置され、そこには共同の泉水場があった。複数の階段があり、設備が不十分で、おそらく店員、労働者、港湾労働者が入居者の大半を占めていた。
右奥の1階にあるの2つの部屋は、ミトレウムに改葬された。軽石の破片で飾られた壁龕は、ミトラが生まれた洞窟を模倣していたという。
ミトレウムはローマのサンクレメンテ教会地下にもあった。
説明パネルの1階平面図(これでは何かわからないので、オックスフォード大学ジャネット・デイレーン氏のローマ都市オスティアの住宅1の平面図を参考に下図を編集)
A:入口 B:トイレ C:後に馬小屋となった部屋 D:中庭 E:共同の泉水 F:ミトレウム G:店舗 H:上階への小階段
Cは不明 Gはほぼテルモポリウム
❿ディアナ通りテルモポリウムへ
突き当たりの大きな壁はカピトリウム
テルモポリウムの入口付近
オスティア・アンティカ ディアナ通りのテルモポリウム 『ANCIENT OSTIA』より |
同想像復元図
オスティア・アンティカ ディアナ通りのテルモポリウム想像復元図 『ANCIENT OSTIA』より |
説明パネルは、フォロに近い絶好のロケーションにあるこの店舗、テルモポリウムは、中央に温かい食べ物や飲み物を提供するカウンター、食器棚とシンクがある。
右側は、大きな貯蔵甕と造り付けの竃のある台所になっている。
後方には噴水とベンチのある小さな中庭があり、天気の良い日には外に座ることができたという
カウンター前の床にイチョウの葉形のような舗床モザイク。でも、鱗文という名称であることを、九州大学概要で中道大樹氏の古代ローマ、オスティアにおける「鱗」パターンモザイクの制作過程に関する考察で知った。
入口脇のフレスコ画
内側の現在の姿
かつては各壁面をフレスコ画が覆っていたようす。
部分的な壁にも食器棚があった。
『ANCIENT OSTIA』は、フレスコ画は提供する食べ物を表している。塩水に入った卵、ブドウ、オリーブ、熱いカブ。また、食事中に楽しむ音楽の伴奏を示すシンボルも示描かれているという。
A:サービス B:台所 C:中庭 D:店舗
テルモポリウムのカウンターと入口。
壁がないところが多いために、各部屋の天井が交差ヴォールトになっているのが見える。
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当時の様子
カウンターの背後には食器棚、ここも大理石の薄板で飾られている。
棚ではなく階段状のが特徴。
カウンターの端には石製の壺。
奥(南側)には別の建物のアプス状壁龕が突き出している。とりどりの石テッセラを敷き詰めた舗床モザイクに映る影から、1本の円柱があって、隣の敷地と繋がっていることを知ることができる。
その西壁には貯水槽を備えているが、これが消火用なのか、あるいは食材や食器を洗うための店舗用の水だったのかも。
外の石段の続きは店舗ではなく階段。
直登の後、前の人たちを追いかけて足早に通った通路がレンガを縦に並べた杉綾文様(ヘリンボーン)。先ほどの粉挽き場やテルモポリウムにも一部残っていた。
テルモポリウムを見学後は、北向かいのインスラへ。
そう言えばこの文様は古い時代の日本ではなかった。
関連項目
参考サイト
オックスフォード大学ジャネット・デイレーン氏のローマ都市オスティアの住宅1の平面図
九州大学概要、中道大樹氏の古代ローマ、オスティアにおける「鱗」パターンモザイクの制作過程に関する考察
参考文献
「OSTIA GUIDE TO THE ARCHAEOLOGICAL EXCAVATIONS」 2013年 IL CIGOLI G.G.EDIZONI
「望遠郷 ローマ」 1995年 ガリマール社・同朋舎出版・編