お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2015年8月31日月曜日
サマルカンドで街歩き6 レギスタン広場の裏を歩く
レギスタン広場のウルグベク・メドレセとティリャカリ・メドレセの裏側にいる。
下図で見ると、ちょうど3つのメドレセの赤い文字が並んでいる辺りに入り込んでみたいと思ったが、観光地と居住地区を分けるためか、壁が長々とあるので、壁のないところに向かって西へ西へと歩いて行った。
やっと壁が途切れ、道路が現れた。まだ早朝なので、車はまばらにしか通らないが、ものすごいスピードでやってくる。
道路の向こうには、想像していたとおり、市民の暮らす町並みがあった。
まずは車を避けながら道路を渡る。正面にも道はあるが、もう少し先(東)に行ってみる。
通路なのか、誰かの土地なのか、よくわからないところも。
先ほどのカーブした壁には出入りできるような開口部はなかった。ということは、壁の向こう側で見かけた扉のようなものは、単なる飾りだったのだ。
道路の左側も壁になっている。
では、その壁の端から街歩きしてみることに。
建築中の建物のあるところでは、土を積み上げたりしている。
直進した方が歩き易い。この道沿いは大きな門が並んでいて、各一戸が大きい。
このお宅の前は舗装工事が済んだみたい。
駐めてあった車の先で左方向に曲がると、舗装されているというよりも、コンクリートで傾斜をつけて、中央に金属の溝を埋めてある。ガス管だろうか、同じ高さの管が通って、それが各戸に枝分かれしている。
左側が新しく舗装され、右側はこれから。
その先の舗装はもう少し先かな。
四つ角があり、そこでガス管が道路を横断している。ここでも道を掃く人が。
通りはまだまだ続いている。
通りの名前のプレートがあったが、よく分からない。A.マクシム通り?
その先では舗装工事中の家の前を掃いているおばさんがいた。
挨拶すると、写真か、写せ、写せと言って、掃除を止めた。この界隈では旅行者が写真を撮りによく入り込んでくるのだろう。
私としては、掃除をしているところを撮りたかったが、言葉が通じないので、ちりとりを持ってもらい撮影。
そして、後ろを振り返ると、先ほどの女性が車の後ろで掃除を続け、おじさんが歩いて来ていた。
広い通りが見えてきた。この通りももうすぐ終わり。
ゴールではないが、葡萄棚が私を待っていた。
タフベット通りの右(北)側
そして左(南)側。
ウズベキスタンでは珍しい歩道橋があった。広い道路を渡るには、歩道橋が安全。
ホテルではなく、公共の建物のよう。
その先に先ほどの歩道橋の続きが。
どうやら、街歩きをしようと、長い塀沿いに歩いて、その端から渡った道路の続きがこの歩道橋のある道だったらしい。
遠くには、レギスタン広場を囲むメドレセが見えているし。
表通りには二階建てのアパートが横長に続いている。
その手前でちょっと中庭にお邪魔。
木の下にブランコとベンチがあった。
命がけで通りを渡ってみると、このアパートは思ったよりもずっと長かった。
そしてこちら側にはこんな建物が。
どんどん歩いて行くと、グル・エミール廟とアク・サライ廟が見えてきた。
歩道から公園のようなところに入り込むとルハバッド廟が。
サマルカンドは青の都と呼ばれ、様々なタイルを見ることができた街だが、このように散策して、また別の顔を見ることができて、非常に印象深い街となった。
とりわけこのルハバッド廟は、その街歩きの道しるべとなった建物で、一番心に残るかも知れない。しかし、ルハバッドが「悪の住居とは。
ホテルへの道、箒をたくさん担いでいく女性が前を歩いていた。売りに行くのか、それとも掃除にいくのだろうか。
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関連項目
サマルカンドで街歩き1 レギスタン広場からシアブ・バザールへ
サマルカンドで街歩き2 アク・サライ廟を探して
サマルカンドで街歩き3 ルハバッド廟1
サマルカンドで街歩き4 ルハバッド廟2
※参考文献
「地球の歩き方D15 中央アジア」 2015-16年版 ダイヤモンド社