お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月24日火曜日

4日目-5 大陵苑(テヌンウォン 대릉원)で味鄒王陵から天馬塚

説明板は、皇南里古墳群の一部は大陵苑の区域内にある新羅時代初期の墓である。大きいのは積石木槨墓墳で、その周りは盛り土のなくなった小さい墓があった。大陵苑のなかには味鄒王陵と伝えられているものをはじめ、天馬塚、皇南大塚などがあるという。 正門を入ると林の中に道がある。すぐに右へ分かれ道があったので、行ってみると味鄒王陵(ミチュワンヌン 미추대왕)が塀の向こうに見えた。小さな王陵かと思っていたら、かなり大きなものだった。説明板は、古墳20基余りの中で中央にある古墳は第13代味鄒王(在位:262-284)の陵である。味鄒王は金閼智の後裔として、金氏では最初の王である。王陵の規模は円周56.7m、高さ12.4mで、慶州市内の平地古墳の中でも大型墳に属しており、内部構造は積石木槨墓墳であると推定される。陵の前には花崗岩で造られた魂が泊まる場所という意味の魂遊石があるという。えー、供物台やなかったんや。横に廻ると塀が切れている場所があり、そこから魂遊石が見えた。 順路に戻ると両側に名前もない古墳が次々に現れる。どれも大きいので迫力がある。大陵苑の芝生はまだ芽が出ていない。 新羅初期の陵墓は形がきれい。写真を撮りながら歩いているので、後ろから来た団体に次々と追い越される。向こうを回って帰るんや。売店があったが、まず天馬塚や!向こうの大きな古墳が天馬塚? 向こうに人混みが見えてきた。 やっぱり天馬塚(チョンマチョン 천마총)。慶州で唯一内部を見学できる積石木槨墓のため、行列ができていた、11:02。 天馬塚は、歩揺冠は騎馬遊牧民の好み?で金冠、壺鐙は新羅から?で輪鐙という副葬品を図版で見ていた。一昨日は国立慶州博物館でさまざまな副葬品を見た。そして天馬塚の広い内部には副葬品のレプリカや、墓室の様子が再現されている。
我々が内部を一周して、最初に日本語の説明を聞くグループがいて見られなかったところに戻ると、今度は小学高学年の生徒たちが入ってきた。そしてまた、古墳のレプリカよりも我々に関心を示す。
こんにちは
コニチワ、コニチワ
口々に日本語で返ってくるのだが、「nni」が「ンニ」にならずに、なんで印欧語族のように「ニ」になるんや。日本語も韓国語も同じウラル・アルタイ語族やないの?

天馬塚からは時計回りで見学を続ける。池の向こうには巨大な瓢箪形の皇南大塚が見えた。さっきは右のコブが別の方向から見えていたことが、ここから見てやっとわかった。 
天馬塚については、積石木槨墓の構造は慶州天馬塚で慶州天馬塚の金製品慶州天馬塚の冠飾慶州天馬塚の金冠慶州天馬塚で出土した金製附属具は内帽の揺帯?をどうぞ
皇南大塚については、6 大陵苑(テヌンウォン 대릉원)で皇南大塚から味鄒王陵へ皇南大塚のような双円墳は夫婦合葬墓慶州、皇南大塚の謎味鄒王陵地区古墳公園(大陵苑)に異国の煌めきをどうぞ