お知らせ

エジプト旅行の記事を始めます。 興味を惹かれたものについての詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
ラベル 高霊 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 高霊 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2008年7月8日火曜日

5日目-8 バスや地下鉄に乗ると旅慣れた気分

タクシーで高霊バスターミナルまで戻ってきた。慶州でもそうだったが、バスターミナルには軽食を食べられるところがあるみたい、16:56。 大邱までチケットを買って、おばちゃんが示した方向に行くとバスが何台か停まっていた。
どれかわからへん
近くでおっさん連中がアイスキャンデーを食べていた。
私も食べたい
中の売店に行くと誰もいない。結局アイスキャンデーは止めてお茶にした。
アンニョンハセヨ
1.000Wを出していると、奧から婆さんが出てきたので渡した。
センサンビャク

最初は日本語だと気づかなかったが、段々とボケかけた脳に情報が伝達した。えー、1.300Wもするのか、やっぱり水にしとこうかなー。しかし水も飽きたのでお茶を買った。早速飲むとお焦げのお茶だった。麦茶だと思えば違和感はないけど。
大邱行きはどのバスかな
大邱?
アイスキャンデーを食べ終わったおっちゃんがやってきてバスに乗り込んだ。運転手やったんか。バスは17:00に発車した。高霊がこんなに交通の便のいいところだったとは。バスは伽倻山から流れる伽倻川に沿って高速に入り、川を渡った。 一度下りてバス停に行き、また高速に戻った。その内に速度が落ちてきた。渋滞?それほどではなかった。夕方なので一般道も混み始めていた。西部市外バスターミナルに到着。
どうする?
この時間はタクシーより地下鉄の方が早いやろ
パンコゲ駅に行って韓方料理の店を探し出すのもしんどいなあ
とりあえずホテルにもどろう
地下鉄の駅はどこや?それに韓国語で地下鉄ってどう言うの?
サブウェイステイション?
とにかく歩いている人を捕まえて聞く。バスターミナルを出てすぐの左側にあった、17:34。半月堂駅(地図では間違えて半月城になっています)で乗り換え。
どっちや?
慶大病院のある方
降りるのはBeomeo駅。漢字も読み方がわからない。日本とおなじようにアナウンスがあるので、耳を澄ませた。
ポモ
ポモと発音するんや。ベオメオなどと言わないで良かった!プラスチックのコインは改札を出るとき回収される。朝の記憶をたどって地上に出たらホテルのある角だった、18:11。 ホテルに戻り、夕食をどうするか迷う。
ホテルのレストランで食べる?
サムゲタンが食べたい
行ってみると、中華と韓国料理の店があった。しかしサムゲタンはないという。
外に出て通りを歩いているとレストランもぽつぽつあった。結局45年の伝統があるという肉料理の店に入った。 レジの前でおっちゃんがメニューを見せてくれた。幸い写真付きだった。
昨日の店よりも安いなあ
私は辛くなさそうな豆腐鍋にするわ
おっちゃんは当然肉料理を選ぶ。しかし焼肉は2人前から。昨日食べたのは2人前やなかったの?まずわかめスープ、ゆでた落花生、ブロッコリ、ニンニク、サラダなどが出てきた。
豆腐のお鍋はあまり赤くないのに辛く、豆腐だけを引き上げて食べた。付け合わせのセットで辛そうにない青菜やキノコを食べていた。最後にキノコの上にのっていた青いものを食べると口の中が火事になった!
しかし、私の胃はびくともしなかったのである。昨日の不調は何やったんやろ?帰りに25で明日の朝食べるものを買う。おっちゃんはまたしてもビールとおつまみに小魚とピーナッツの缶を買うのだった。

2008年7月7日月曜日

5日目-7 高霊池山洞古墳群(コリョン・ジサンドン・ガヤコブングン 고령지산동지산동고분군)を下る

51号墳の向こうは林になっていて、主山方面には2方向に分かれて道がある。今日は平日なので観光客は今のところ我々だけ。
しかし、時折すれ違ったり、追い越していく人たちはいる。古墳に興味があるというよりは、古墳群の間を縫って付けられた道を散策している風で、山の中に入っていく人もあれば、山から下りてくる人も。  振り返って気がついた。51号墳の奧からは大円墳が並んだところを見ることができない。他の古墳群とはかなり離れているから5つを写すことは不可能なのだ。 50号墳の前の丘から4つ見える。やっとわかった、ここから撮った写真やったんや。 大円墳群を過ぎると傾斜がきつくなり、景色がよく見えるようになった。
向こうの山の古墳が見えるが、先ほど解説してくれた人が、山は木に覆われていますが、その中にたくさんの古墳がありますと話していた。その左の谷にも古墳を再現展示してあるようなドームがあった。そういうとチケット(2.000W)を買った時、3つ見られるということだったが、3つ目は古墳群だと思っていた。どうやらあのドームが3つ目らしい。ちょっと遠いなあ。 44号墳だけ独立した段にある。他の古墳はつぶされてしまったのかも。 また石畳の階段。古墳はだいぶ小さくなった。37号墳は1つではなく、これらの古墳群の総称だった。37号墳は小さな古墳が縦に並んでいるだけでなく、横にもあるんやね。慶州の古墳もところどころ芝生に穴が空いていた。ありの巣かと思っていたが、犯人はこいつだった。反対側にもある。上の段の左端はさっきの44号墳。もうすぐ平らになって古墳もなくなる。どうする?道路の向こうの古墳群やドームも見に行く?
今日はこれで止めておこう
というわけでこれにて終了。病み上がりなので無理は禁物、16:30。上からバスが通っているのが見えたので、古墳群から直接道路に出る道を下りていった。しかし、どれに乗ったらよいのかわからない。タクシーを呼んでもらおうと博物館の方に歩いていると、先ほど解説してくれた人が2人でやってきた。
高霊バスターミナルまでタクシーに乗りたいんですが
もう1人がタクシー会社に電話してくれて、
3.000Wですが、いいですか?
やっぱり3.000Wが相場やね。

2008年7月5日土曜日

5日目-6 高霊池山洞古墳群(コリョン・ジサンドン・ガヤコブングン 고령지산동지산동고분군)を上る

古墳には何号墳という石板がある。説明板もたくさんあって、中には大伽倻の年表もあった。
562年9月、道設智王が新羅の真興王の攻撃を防ぎきれずに国家が滅亡したという。それ以降新羅式の積石木槨墓になって古墳が小さくなってしまうんやね。この辺のは小さいから積石木槨墓かな。  遊歩道が整備してあるところは傾斜がきつい。まだ古墳は小さいなあ。 何もない斜面があるかと思えば、円墳が固まってあったりする。左の円墳は大きそう。 これが展示館に再現してあった44号墳だった、15:52。
『大伽倻の歴史と文化』は、44号墳は比較的広くて平たく主山の傾斜面の端にかかっており、最も突き出した所に位置している。古墳の下部は急傾斜で下部が一部見え、上には比較的広い平地があり  ・・略・・  
副葬品の大部分が盗掘されて埋葬当時の姿ははっきりとはわからない  ・・略・・  冑を初めとした鉄製武器類、杏葉、金製ピアス、管玉、ガラス玉等の玉類、青銅製の器等も出土した。
遺物と文献記録で見るとこの古墳は5世紀後半に造成されたものとわかる
という。 また大きな円墳が現れた。これが、池山洞古墳群の中で最大の古墳で、1939年に発掘された。直径49m、石室の大きさが、9.8mX1.8mで、錦林王陵とも呼ばれている。出土遺物は金銅製箶籙(矢を入れて背負った道具)、うぐいの骨、金装環頭大刀、異形金銅製品、鉄鏃30点などがあり大伽倻第15代異脳王の御陵と推定されており、典型的な殉葬形態を見せているという。 坂を登り切ると主山の頂上が見えてきた。大きな古墳が次々に現れる。 ここまで来るとあとはなだらか、であってほしい。 しかし、大きな円墳はまだ続く。この辺が池山洞古墳群として紹介されている写真のところかな? またしばらく登りがあって、やっと最後の大円墳の51号墳、16:07。
え、この向こうに行かんとあの景色が見られへんの?

2008年7月4日金曜日

5日目-5 大伽倻の円墳は多槨殉葬墓

スロープを上って最初に左に見えてくるのが池山洞30号墳である。 説明板(ハングルの文の下に漢字だけある)は、主山南東稜線の単独高塚古墳で、大伽倻の支配層の墳墓である。東西18m南北15m、封土は1.5m。嶺南文化財研究所が発掘調査して、主石室・副槨と東・南・北に殉葬槨があった。伽倻地域の古墳は主石室の下部に石槨が確認され、南東傾斜面に溝が等高線を描き、祭儀用土器があった。出土遺物は、鉢形器台、頂頸壺、把手付壺、高杯、鉄鋌、馬具、武具、金銅冠。下部石槨と蓋石は岩刻画があり、先史時代の信仰の対象であったもが、その機能がなくなったのであるという。  階段を上がると溝はわからなかったが、円墳の周囲に草のない線があって、そこに祭儀用土器が並んでいたのだろうか。日本の古墳の埴輪みたいやね。 ここからはドームのそばに池山洞古墳群の尾根へといく山道が見える。そしてそれだけではなく、左にはトンネルの上も通れるようになっていた。 と思ったら、道路の向こうの山にも小さな円墳があちこちにあった。 資料館でもらった『高霊へレッツゴー』というパンフレットにこのあたりのイラスト地図があった。このイラストがどの程度正確なのかわからないが、向こうの円墳はかなり大きいらしい。
ここは池山洞古墳群だけかと思っていたが、主山の上には主山城というのもあるらしい。大小200余りの古墳があるそうだ。 そしてこちらのドームは44号墳を再現した大伽倻王陵展示館。写真は禁止だが、いろいろ見る工夫がしてあった。 他に写真がなくて残念だが、中央には王の石室墓が地下に造られており、その大きさは、一周する通路にトンネルにして体感できるようになっている。ここには日本語のできる解説者(学芸員かも)がいて、殉葬について詳しく説明してくれた。
殉葬は死後も生前と同じ生活をするために、自分の周りにいるいろんな人たちを連れて行くという意味です。4、5才の女の子から70代の老人まで、身分も様々な人々を殉葬槨に入れました
生きたままですか?
いえ、毒殺か後頭部を殴って殺してからです
その後おっちゃんはことあるごとに、秦の始皇帝でさえ殉葬なんせんかったのにというのである。歴史やから仕方ないでしょ。
ここからは資料館に展示されていた歩揺冠や、大きな金のイヤリングが出土しました
そういえば、太い輪っかのイヤリングがあった。
金の重さがいまいちほからへんけど、中空やったらこんな大きなイヤリングでも耳にぶら下げられる?
こんな重いもんが耳に付けられるわけないやろ
などと話したのだった。
あんな大きなイヤリングを耳に付けていたんですか?
あれは耳ではなく、冠に付けていただろうと言われています
やっぱりなあ  さて、やっと池山洞古墳群へ、15:36。ところが、2、3歩登っただけで、えらくしんどかった。半日ほど体調を崩しただけで、こんなに体力がなくなるものとは。 すぐに坂に馴れたが、稜線にはなかなか行き着かない。 えらく小さい古墳もあるんやね。
大伽倻が新羅に滅ぼされ、新羅の領土になってからは、新羅式の小さな積石木槨墓が造られるようになりましたと言ってたなあ。  むこうにやっと古墳群が見えてきた、15:41。

2008年7月3日木曜日

5日目-4 高霊の博物館は大伽倻古墳博物館というらしい

 
高霊池山洞古墳群に行きたいと思ったのは、山の稜線に整然と並ぶ大きな円墳と、そこを歩く人々という写真を見たからだった。  高霊バスターミナルからタクシーであっという間に高霊池山洞古墳群に着いた。駐車場は広大で、他の車は奧に駐車しているというのに、タクシーは道路脇で我々を降ろしたので、長々とあるかねばならなかった、14:25。左の山に円墳が見える。 先史時代の住居が復元展示してある。手前の土壁は住居、奧の高床式は倉庫。丸木を積んで壁にしてある。 門まで行くとパネルがあり、ここが大伽倻古墳博物館という名称であることと、その中に古墳群も含まれるらしかった。藁屋根を模したような門を入ると右側に石仏があった。ここも新羅に支配されるようになったので、石仏があっても不思議ではないけどね。 そして左側には三層石塔があった。 奧には大伽倻歴史資料館がある。内部は先史時代の石器から始まって様々なものが展示されていた。時代が下がると三島茶碗や刷毛目茶碗が焼成中にくっついてしまったものなどがあり驚いた。古代よりの高度な土器製作技術の伝統があるので、このような陶器が焼かれるようになったという説明文があった。図録がほしかったが、小冊子しかなくく残念。 
文人石が2体。時代はわからない。
燈籠や燈籠の基盤も並んでいる。
そしていよいよ古墳群が!

※参考文献
「高霊へレッツゴー」(高霊郡作成)